- 作者: 岩佐淳士
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2018/08/20
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
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内容(「BOOK」データベースより)
穏やかな国民性で日本人に大人気のタイ。しかし、王室という絶対的な権威が君臨するタイ社会には、外部からは窺い知れないダークサイドがある。「不敬」のレッテルを政争の具に用いる権力者、繁栄をもたらした「タイ式民主主義」の裏で拡大する格差…気鋭の記者が真実に迫る!
仏教と微笑みの国、タイ。
タイ、という国への僕のイメージは、東南アジアのなかでは比較的政情が安定していて、観光地も多く、日本人にとっては行きやすい国、というものでした。
タイは親日国として知られる。タイ王室と日本の皇室は良好な関係を保ち、外交関係は戦後一貫して密接だ。自動車メーカーなど多くの日本企業が進出し、タイで暮らす日本人(在留邦人、2016年10月時点)は7万人以上。米国、中国、オーストラリアに次いで4番目に多い。海外旅行先としても人気で、私自身、大学時代に初めて旅をした外国はタイだった。だが、政治混乱が続くこの国で起きていることの多くを、日本人はあまり知らない。タイで暮らす日本人も、大半はビジネスに主眼を置き、タイ政治への関心は低い。
しかし、民主主義に揺れるこの王国の苦悩は、日本が抱えうる問題とも無縁ではない。
プミポン国王のもと築かれたタイの政治体制は「タイ式民主主義」と呼ばれる。議会制民主主義を原則としながら、国王が事実上その上位に立つ。タイの憲法には日本の明治憲法さながら、国王は「神聖不可侵」であり、軍の統帥権を持つと定められている。
プミポン国王は神性を帯びて崇敬され、人々に国民としての強い連帯をもたらした。国王はいざとなれば政治対立や混乱を抑え込み、「タイ式民主主義」は長い間、国の安定と経済発展のために機能した。
ただ、王制と民主主義は本来相容れない。国王という存在がもたらす霊的で抽象的な権力は、ときに民主主義に不可欠であるはずの自由な議論や合理的な思考を封殺してしまう。私が現地で目にしたプミポン国王晩年期のタイは、「タイ式民主主義」が自己矛盾を深め、この国が潜在的に持つ危うさが、むき出しになっていったときだった。
僕の周囲でも、タイに行ったことがある人は、けっこう多いのですよね。
ところが、近年、21世紀に入ってからのタイに関するニュースには、大きな洪水や軍部のクーデターなど、不安を感じるものが増えてきたのです。
2016年には、70年間にわたって国の支柱として敬愛されていたプミポン国王が亡くなっています。
この新書は、タイに赴任していた記者が、そんなタイで、太平洋戦争後、そして、21世紀に入って、何が起こってきたのか、を丁寧に紹介・解説したものです。
最初に手にとったときには、「ちょっと面白そうだけれど、外国、それも、タイの話か……自分にはあんまり関係なさそうだな」と思ったんですよ。
でも、読んでみると、タイにおける「タイ式民主主義」を守ろうとする人々と、既得権者に対して疑問を抱き、抵抗する人々というのは、アメリカでの民主党を支持する都市のリベラル層と、トランプ支持者たちの対立と同じ構図のように思われました。
2015年、タイ北部チェンマイ。
「北方のバラ」と呼ばれる古都に、肌寒い季節が近づいていた。市街地からやや離れた古びた木造住宅を訪ねると、幼い姉妹が、帰らぬ人を待っていた。
その2ヵ月前から、彼女たちの母親のサシピモン・パトゥンウォンワーナム(28)は刑務所に入っていた。問われた罪は、不敬罪だった。プミポン国王(当時)に対する悪口など、王室を侮辱する7件の書き込みをフェイスブックに投稿したとして軍事法廷で裁かれ、禁錮28年を科せられたのだ。
サシピモンは逮捕後、否認を続けていたが、最終的に裁判で「自白」した。
タイの裁判では被告が自ら罪を認めれば、刑の軽減が得られる。減刑前の量刑は禁錮56年だった。軍政樹立後、サシピモンのケースを含め不敬罪の多くは非公開の軍事法廷で裁かれ、異議申し立ても許されていない。判決では、サシピモンが嫌がらせをしようと再婚相手になりすまして及んだ犯行だと指摘された。
いずれにしても、判決が確定した以上、いくら冤罪を訴えられてもその証明はほぼ無理だ。
だが大半の日本人なら、疑問に思うのではないか。たとえ彼女が本当にフェイスブックに王室批判めいた書き込みをしていたとしても、28年間も刑務所で過ごさなければならないほどの罪なのだろうか、と。
タイの刑法112条は「国王や王妃、王位継承者、摂政を中傷、侮辱した場合、1件あたり3~15年の禁錮刑に処する」と定めている。この国の不敬罪は世界的に見ても極めて厳しいと言われている。そして、王室を絶対視するタイの人々は、それを最も許されない罪だととらえている。人々はこの罪を話題にすることすら恐れ、国内メディアは抑制的にしか報じない。
ただそれにしても、サシピモンらに対する長期刑判決は異例で、タイの人々にも少なからずショックを与えたようだった。軍政の言論統制にもかかわらず、判決を批判的に取り上げたネットメディアもあった。
これまでも不敬罪はときの権力者による政治利用が指摘されてきた。サシピモンと同じ時期、別の男性にも禁錮30年が言い渡され、国連人権高等弁務官事務所は声明で「ひどく(罪に対し)不釣り合いな判決にぞっとした」と批判している。
この男性は、反軍政の活動家だったとされる。一方、サシピモンは政治活動に関わっていたわけではなかった。スチンは「娘は(王政護持を訴える軍政によって)みせしめにされた」と言う。現地からの報道によると、その後、サシピモンは2度の恩赦で約12年まで刑期を減じられたが、釈放はされていない。
かつては王室を敬うことにこれほどの息苦しさはなかった。軍が強権を振るわなくてもプミポン国王の人気は絶大だった。
サシピモンさんは、「離婚した元夫の再婚相手名義のフェイスブックに王室批判を書き込んだ」というのが問題視されました。
彼女は「友人が自分のパソコンを使って書き込んだ」と主張していますが、その友人の所在はわからない、ということです。
本当に彼女が書いたのはどうかはわからないのですが、いずれにせよ、フェイスブックへの批判的な書き込みだけで、禁錮28年というのは、いまの日本で暮らしている僕には、信じがたい話でした。
太平洋戦争のときの日本にSNSがあれば、同じようなことが起こっていたのだろうか。
タイで、「国王に対する侮辱」という罪や「反国王派」というレッテルが、反対派を排除するために濫用されているのを知って、僕は怖くなりました。
いまの日本でも、「国益に反する」というレッテルを貼って反対派を批判する人が大勢いるとも考えてしまいます。
タイの場合には、国王を中心とする現在の既得権者層に対して、これまで貧しかった人々の所得アップや豊かな生活をスローガンに躍進してきた、タクシン元首相という有力政治家の台頭によって、国内は混乱していったのです。
タクシン元首相の政策によって、田舎で貧しい生活を強いられていた人々の収入は大きく増えたのですが、汚職もあり、これまで農民たちから搾取してきた既得権者たちの危機意識も高まってきたのです。タクシン元首相は、国民の人気を背景に、神聖不可侵だったはずの国王の権威にも影響を与えるようになりました。
既得権者たちは、数では劣りながらも、国王の権威と軍の支持を利用して巻き返しをはかり、現状では、タクシン派をかなり追い詰めてきています。
タクシン元首相の政策は「ポピュリズム」ではあるのだけれども、貧しい人々は、たしかにかなり豊かになりました。
これまでの既得権者たちは、伝統の破壊者としてタクシン批判を続けてきたけれど、その「伝統を守る」というのは、自分たちの地位や財産を守る」のと同じように、多くのタイ国民に見えていたのです。
もともと汚職が蔓延していた社会ということもあり、タクシン支持者たちは「洗練潔白ではなくても、自分たちを救ってくれたのはタクシンだ」と考えているのです。
そして、それは「一面の真実」でもある。
ちょうどタイの社会が高度成長期に入っていた、ということもありますし、一種のバラマキ政策のようでもあるのですが、「自分たちが豊かになったという実感」は、やっぱり大きい。
日本でいえば、田中角栄さんみたいな感じですよね。
アメリカでトランプ大統領を支持してきた人々にも、タクシン派のような「反感」があるのです。
「民主党を支持している人たちは、リベラルとか言うけれど、善良なわけではなく、『自分たちの既得権益が揺るがない範囲で、おとなしくしている弱者だけは助けてやろう』というだけじゃないか」とうんざりしていることが、トランプ現象の背景にある。
極論すれば、「あいつらの既得権益を守るためのきれいごとに付き合わされて、ずっと自分たちが抑圧され続けるくらいなら、全部リセットしてぶち壊してしまったほうがマシだ」ということなのかもしれません。
実際は、トランプさんも「別の既得権者たちを守っている」だけではあるのだけれど。
米国を中心とする西側諸国は資本主義を重視する立場から民主主義を推進してきた。そうしたなかで「法の下の平等」をうたい、一人一人が同等の議決権を持つ民主主義は、「機会の平等」と担保しつつ市場競争原理を重視する経済的自由主義と親和性を得てきた。民主主義は多数決を原則に国のあるべき姿を求めていく。それは互いの競争による利潤追求が社会全体の利益につながるとする市場原理の考え方とよく似ている。
だが、「自立した個人」を前提とした西洋的な競争主義は、曖昧さや緩やかさを好むタイの人々の本来の気質とは相容れない。「機会の平等」があっても「結果の平等」が保障されるわけではない。飢えることもなく、安全に暮らせるのであれば、何もあくせく働いて競い合う必要があるのだろうか。慈悲深い国王のもと安定した秩序で、それぞれがそれぞれの立場で満足する暮らしをするほうが幸せだ――。「タイ式民主主義」が機能した背景には、この国の人々のそんな思いもあったのではないかと感じることもある。
プミポン国王のもと、タイは西側諸国と協調し、経済発展に邁進した。ただ、その一方で国王は西洋的な自由主義や競争原理を過度に導入することには否定的だった。
アジア通貨危機が起きた97年、プミポン国王は恒例の誕生日演説で「足るを知る経済」を提唱した。仏教の「少欲知足」に由来し、持続可能な発展を目指す哲学だ。
冷戦は「資本主義陣営の民主主義」が勝利して終わり、世界ではより市場原理を重視する新自由主義が拡大した。しかし、プミポン国王が人々に求めたのは、過度な富の追求をせずに、”身の丈”に合った幸せに満足することだった。
そんなタイ社会にあり方を根底から変えようとしたのがタクシンだった。
タイの場合は、アメリカのトランプ支持者のような「情念」の問題だけではなくて、実際に収入が上がり、生活がマシになった、というのも事実なんですよね。
僕は、東南アジアに関するニュースは、見出しくらいしか読んでこなかったので、「タクシンっていうポピュリストが、タイの人々を扇動して政治を混乱させているのだな」と思い込んでいたのです。
しかしながら、この本を読んでみて、「これはどっちが正しいとも言い切れないというか、僕が農民だったら、タクシン支持になるだろうな……」と思いました。
それぞれの立ち位置による「正義」はあっても、万人に共通する「正解」はない。
そこで、何を基準に政治は行われていくべきなのか。
民主主義であれば、選挙の結果がタクシン支持であれば、それに従うべきではないのか。
でも、「タイ式民主主義」では、あくまでも「国王の権威の下で」の民主主義だから、「国王の意向」を振りかざせば、「多数の意見」に従わなくてもよくなるのです。
たしかに「君主制」と「民主主義」は、もともと矛盾しているんですよね。これまでは、プミポン国王というカリスマの存在が、その矛盾を覆い隠してきたけれど、プミポン国王は、もういない。
タイの話ではありますが、日本や世界のこれまで、そしてこれからを考えるための大きな手掛かりになると思います。
そもそも、人は、本当に「足るを知る」ことができるのだろうか?
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