琥珀色の戯言

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【読書感想】作家という病 ☆☆☆☆


作家という病 (講談社現代新書)

作家という病 (講談社現代新書)


Kindle版もあります。

作家という病 (講談社現代新書)

作家という病 (講談社現代新書)

内容紹介
どこかしら「過剰」だからこそ作家なのだ--。小説新潮の編集に約30年携わり、同誌の編集長もつとめた著者が、鬼籍に入った思い出深い著者たちの記憶をたどる。渡辺淳一山村美紗遠藤周作水上勉井上ひさし城山三郎久世光彦……総勢21名の作家たちのそれぞれの業(ごう)を秘話満載で描く。


 文芸誌に30年携わり、さまざまな作家と直に接してきた編集者が語る、「作家という人種」。
 これを読んでいると、作家には「普通のひと」って、いないのだろうか?と疑問になってきます。
 やっぱり、「普通じゃない作品」を書くには、「普通じゃない人格」が必要なのだろうか。
 もっとも、作家にかぎらず、世の中には「すべてにおいて普通の範疇に入るひと」なんていないんですけどね。
 

 ここで紹介されている物故作家のエピソードは、作家たちの「過剰さ」と「繊細さ」が溢れてきて、読んでいて、「こんな人たちと付き合うのは、大変だろうな」と考えずにはいられませんでした。
 編集者というのも、「文学」に対する責任感、みたいなのが少しはないと、続けていくのは難しい。


 作家にとって、編集者というのは「身内」みたいなもので、「身内にしか見せない顔」もあるのです。
 久世光彦さんの章より。

 はっきり言って、山本(周五郎)賞と直木賞では、ステイタスが何倍も違う。そればかりか、取るか取らぬかで生涯の収入が億単位で変わってくるとさえ言われていて、私もそれは本当だと思う。芥川賞直木賞受賞者という肩書きは一生通用するのである。
 私は三十数年の文芸編集者としての立場から、直木賞に頭を焼かれてしまった小説家を何人も見てきた。担当編集者や編集長が二十人、三十人と会場に集まり、選考会の途中経過を聞き、選考会の結果を待つ雰囲気は特別なものがある。たいていは、落選となるのだが、その瞬間の作家の落胆ぶりは見ていられないほどであった。屈辱で顔を真っ赤にした候補者もいたし、酒肴をそのままにひとり去って行った候補作家もいた。それから、一、二年のうちに受賞に至る作家はいいが、一度見せられた餌を期待して、五年、十年と待ち続ける作家の姿は悲惨とさえ言えるかもしれない。

 公式の「落選コメント」的なものは「残念ですけど、またがんばります」みたいなものばかりなのですが、実際はこんなに悲壮なものなんですね……もちろん、「人にもよる」のでしょうけど。
 伊坂幸太郎さんや横山秀夫さんが「直木賞は要らない宣言」をされていますが、それは、おふたりが超人気作家だからできることであって、生涯年収がこんなに違うのであれば「くれるものなら欲しい」ですよねそれは。
 著者は「直木賞狙い」の小説を書いて、自分のフォームを崩してしまった作家の話も紹介しています。
 伊坂さんや横山さんが、あえて「要らない」と宣言しているのも、きっと「候補になるというだけで、平常心ではいられなくなるから」なんじゃないかな。
 しかも、決めるのは選考委員で、自分の努力だけではどうしようもないところがありますからね、文学賞って。


 都筑道夫さんには、こんなエピソードが。

 都筑は、ときどき、テレビ画面に目をやりながら原稿を書き、またときどき私とも会話を交わす。私も、もちろん、受け答えする。そのときも、都筑のペンはとにかく動いているのである。私に、マルクス兄弟のヴィデオを見た話をしながら、テレビのヴァラエティに目をやり、原稿用紙には、キリオン・スレイ(都筑の創造した代表的な探偵)の推理を書き付けている。あなたは聖徳太子か! と胸のなかで思わず突っ込んでしまった。聖徳太子の十人には及ばないが、少なくとも三人分は一手に引き受けていたのである。


 こんな執筆スタイルの人もいるのだなあ、と。
 とんでもなく頭が良い人なのか、ラジオを聴きながら受験勉強をする「ながら族」みたいなものなのか。
 そんなに余裕があるのなら、もっとスピードアップして書けばいいのに、と思うのですが、都筑さんは「コタツで執筆し、決して急いだりあせったりすることがなかった」そうです。
 逆に、「普通に机の前で書くほうが難しい」のでしょうね、都筑さんの場合は。


 遠藤周作さんについて。

 先に遠藤はナイーブな人だったと述べたが、勿論、単なるナイーブな人間ではなかった。遠藤が亡くなったあと、安岡章太郎阿川弘之などの友人の作家たちが、「遠藤ほど理解しにくい人間はいなかった」と述べているのには大きく頷いてしまう。阿川は<「ちぐはぐな天才」という言葉が似合ひさうな、をかしな人であった。>(「眠れ狐狸庵」)と書いている。遠藤の不思議さというのは、礼儀正しいと思えば無礼、気配りの人だと思っていると図々しい、通俗だと思っていると純粋であるというように、両極端な側面を同時に見せられるところからくる。


 ユーモアあふれるエンターテインメント作品もあれば、キリスト教を題材にした、身を切られるような純文学もある遠藤周作さんらしいといえばらしいのですが。
 このあと、著者が紹介している「不可思議な礼儀正しさの一例」を読むと、「うーむ、これは『正気』だったのだろうか……」などと考え込んでしまうくらいです。


 あと、山村美紗さんと西村京太郎さんの「京都時代」の話も「こんなことになっていたのか……」と驚きました。
 僕は中高時代、西村京太郎さんのミステリにハマっていて、なんでこんなに山村美紗さんと仲良しなんだろうな、と思っていたんですよ。

 私が「小説新潮」の編集部次長のときに、京都の二人の原稿を積極的にもらうべきかどうかという議論が社内で持ち上がっていた。結局は文庫で常に二十万部以上の売れ行きが見込める西村の小説をどうしてもほしいという文庫編集部からの要請で、雑誌が協力することになったのである。山村の小説も売れるほうのランクではあったが、西村作品の比ではなかった。そして、西村の作品をもらうには、山村へのケアを万全にすることが絶対条件であった。私は親しい他社の編集者たちに二人の作家との付き合い方を積極的に聞いて回った。
 京都の二人の原稿を手にするには、幾つかの儀式を通過してからでなくては不可能だった。その儀式は毎年繰り返される。まずは、年の初めの一月に新年会。八月に誕生会。二人の誕生日は同じ日ではないが、その中間をとって八月の下旬に開くのである。この二つは、ホテルの会場を使って、大々的に催す。新年会・誕生会では、役員が出席することも条件である。専務・常務は当たり前で、社長が出席する会社もあるくらいである。


(中略)


 福引籤という演し物は、山村・西村のパーティでは必須の項目だった。常に賞品は、最高賞の「両先生賞」シャープ・ワイドテレビ32型、33万円から、ナショナル掃除機2万8000円まで総額1000万円という豪華な陣容だった。ただし、これほどの高額が新年会だからであって、夏の誕生会では、総額400万円ほどに縮まる。山村美紗が亡くなったあとの偲ぶ会でも故人の遺志を汲んで、この福引が行われたほどである。
 これらの賞品は、東京新橋にある家電量販店のキムラヤで担当幹事数名が購入し、京都に送ったものである。山のような賞品を舞台に並べ、その前でこのコーナーの担当である編集者が、オークションの競り人さながら、次々に当選番号を読みあげていくのである。こうした光景は純文学の現場では決してみられないであろう。一口に文芸編集者というが、純文学とエンターテインメントでは現場の雰囲気がまったく違ってくる。どちらが大変と考えるかは人生観による。


 『明石家サンタ』かよ!
 しかし、なんでこんなことをやっていたのでしょうか。
 編集者たちの歓心を買う、つもりだったとしても、編集者たちにとっては、かえって負担にもなっていそうだし。
 とにかく、派手なこと、盛り上がることが好き、だったのか……
 作品の売り上げからすれば、編集者たちのターゲットは西村京太郎さんのほうだったと思われるのですが、当時の西村さんは、山村さんの言いなりだった、とされています。
 これも不思議な関係だよなあ、と。


 亡くなられた作家のエピソードということで、やや古い時代のことでもあり、ある程度自由に書けているところがあると思うのですが、現役作家たちは、どうなのだろう?
 「常人には書けないもの」をつくるためには、やはり、「過剰さ」みたいなものが必要なのだろうか。
 でも、「つまらない小説しか書けない、いい人」よりは、「ものすごく困った、迷惑な人なんだけど、作品は滅法面白いし、売れる人」のほうが持て囃される世界も、少しくらいはあっても良いのかもしれませんね。
 とりあえず、僕は「読むだけ」の立場だから。

 

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