- 作者: エズラ.F・ヴォーゲル,橋爪大三郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/11/19
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: エズラ・F・ヴォーゲル,橋爪大三郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/11/27
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内容紹介
現代アメリカで中国研究を代表する社会学者、エズラ・F・ヴォーゲルは、10年をかけて『トウ小平』を書いた。『トウ小平』は関連資料をくまなく踏査し、歴史を拓いた指導者の実像に迫っている。しかし、ボリュームが大きく、値段が高く、専門的である。そこで、ヴォーゲルのトウ小平研究の核心を、わかりやすく伝える「普及版」が必要であると考えた橋爪大三郎が、実際にヴォーゲルにインタビューしてまとめたのが本書である。
エズラ・F・ヴォーゲルさんが書いた『現代中国の父 訒小平』は、近代中国史についての名著として知られており、中国でもベストセラーとなったそうです(ヴォーゲルさんは、中国で読まれることは、あまり想定されていなかったようですが)。
2013年9月には、日本経済新聞出版社から邦訳が出ているのですが、上下巻がそれぞれ、600ページ、550ページをこえる大著で、各巻4000円以上します。
この分野の専門家やすごく興味がある人にとってはけっして長くも高くもないとは思われますが、「ちょっと興味はあるんだけど」という人には、やっぱり敷居が高い。
そこで、ヴォーゲルさんと以前から親交のある橋爪大三郎さんが、そのヴォーゲルさんにインタビューして、ヴォーゲルさんの『訒小平論』のエッセンスをまとめたのがこの新書です。
「日経版が出てから、2年以上経過してから出版すること」が条件のひとつとなっていたそうですが、こういうやり方もあるのだなあ、と。
対談形式で、読みやすいので、まずこちらを読んでみて、より深く知りたい人は日経版を手にとってみるのも良さそうです。
ただし、読みやすいとはいっても、太平洋戦争後の中国史の概略くらいは知らないと、この新書も読みづらいかもしれません。
「文化大革命」と「天安門事件」という言葉を聞いて、「何それ?」っていう人は、まず、世界史の教科書を再読することをおすすめします(まあ、そんな人はそれほど多くないとは思うけど)。
ヴォーゲルさんは、冒頭で、こう書いています。
20世紀の後半、中国は、新中国としてみごとに復活を果たした、その復活の道筋をつけた指導者は誰かと、後世の歴史家がふり返るとすれば、その立役者こそ、毛沢東ではなくて、訒小平にほかならない。
毛沢東は偉大な「革命家」ではあったけれど、革命後は、むしろ中国を引っ掻き回した、という印象のほうが強いんですよね。いまの時代からみると。
共産主義政策による経済や生活水準の停滞から、現実路線に舵を切り、中国に経済成長をもたらしたのが、訒小平だったのです。
何度も左遷され、文化大革命のときには追放されたりもしましたが、いずれも復活し、権力の座についた訒小平。 同僚たちが権力争いに敗れ、退場していくなかで、「いざとなったら必要になる人材だから」と、毛沢東も完全にとどめを差さず、切り札として「温存」していた人物でもありました。
毛沢東の死後、訒小平は改革開放路線に転じていきます。
それも、あからさまに「毛沢東は間違っていた」というわけではなく、いままでと同じようなことをやっていますよ、と言いながら、実際には違うことをやっていったのです。
ソ連ではフルシチョフによる「スターリン批判」という劇的な転換点があったわけですが、訒小平は、そういうリスクをとらず、「共産主義」を換骨奪胎していった。
訒小平は、1962年に「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」(共産主義の理念と反するところがあっても、経済的に豊かになるのなら、良いではないか。なりふり構わず、現実を見よう)という発言をしています。
ただし、この発言は、のちの文化大革命のときに「反革命的」と批判され、失脚の理由のひとつとなったのです。
訒小平が、毛沢東を直接批判することなく、経済政策を変えていったのには、この苦い経験で学ぶところがあったのかもしれません。
――改革開放の経済システムがやがて、「社会主義市場経済」とよばれるようになります。私はこれは訒小平が考えた言葉かと思っていましたが、『訒小平』(本編・日経版)を読みますと、そうじゃなくて、江沢民が考えた。江沢民が考えて、これでいいですかと訒小平に聞いて、いいと言われたのだそうですが、そうですか。
ヴォーゲル:江沢民だけじゃなく、たくさんのひとがそう考えていたと思うんですね、ボクは。ほかにもあらゆる言葉がったんですけれども、どういう言葉を使うか、いろんな話し合いがあった。そのなかで、それでもいいと、彼が、やっと決めたわけですね。
ボクはね、客観的にものを言いたいんです。訒小平は偉いですけど、そういうようなことは、別に彼独自の考え方、でもないんですね。大勢のひとが、それに似たことを考えた。彼は最後に、それでいいと決めた。
――なるほど。
「社会主義市場経済」は、大変よくできた名前で、日本でも、中国といえば社会主義市場経済というふうに理解されている。
ヴォーゲル:ああ、そうですか。
――理解されていると思うんですが、よく考えてみると、非常におかしい。
ヴォーゲル:ハハハハハ。
ヴォーゲルさんは、訒小平の業績を高く評価しつつも、「そういう考え方は、彼独自のものではなかった」ことにも言及しています。
僕は日経版を読んではいないのですが、いろんな評価や感想をみたかぎりでは、本当に「学術的にちゃんとした本で、憶測でものを言わないようにしている」みたいです。
訒小平は、「時代精神」の象徴のようなものであるのと同時に、彼が決定権を握っていたことで、中国の改革があの時代にすすめられていった。
訒小平がいなくても、いずれは誰かが同じようなことをやっていたとしても、彼ほど上手にやれたかどうかはわからない。
その一方で、訒小平は、晩年、「天安門事件」という歴史的な汚点を残すことになります。
1989年、胡耀邦・元総書記の死去を契機に、民主化を要求した学生たちが天安門で座り込みを行いました。
同年6月4日、その学生たちに軍隊が発砲、200人以上の死者が出ました(海外の推計では、その10倍とも言われているそうです)。
ヴォーゲル:あとひとつ、大事な疑問は、ある中国の友だちの言い方なんですが、訒小平はどうして、「ひとを少し殺してもいい」と思ったのか。
たぶん訒小平は、当時の中国の政治の状況をみて、こう思った。指導者が強くないと、ちょっとでも弱みを見せると、人びとは勝手に行動するようになる。それを統制し、安定した政治を進めるために、指導者は、強さを誇示しなければならない。弱みを見せては危ない、と。
86年に、訒小平は経済改革と並んで、政治改革も進めるよう党内で研究をさせていたのですが、折から海外の動きに刺激された学生運動が高まり、それを胡耀邦が抑えられなかったというので、胡耀邦の更迭も決めていた。そのころから、政治改革は先送りにしたほうがいい、という判断に傾いていたのです。
――なるほど。
ヴォーゲル:中国でよくあるのですが、役人が中央から地方に行くと、威厳を見せつけるために、なにか目立ったことをやる。自分が強くて恐ろしいと、みなにわからせるためです。さもなければ、秩序が乱れてしまう。天安門事件も、似たようなところがあるのではないか。ある中国の友人の解釈です。合理的な意見だと思う。
――わかりました。
以上をまとめると、訒小平には、いくつか間違いがあった。そして、訒小平が実力で、学生から死者が出てもいいと思うようなやり方で鎮圧したのは、それが必要で、政治的効果があるからだということですね。
ヴォーゲル:そう。仕方がない。そういうことはやりたくないけれども、国を考えるならば……彼のロジックは、個人的なロジックではなく、全国を統一するためのロジック、なのですね。
200人は「少し」じゃないだろう、とか、こういう「力を見せつけるやりかた」というのは、訒小平が日中戦争や国共内戦で実際に軍隊を率いていたことの影響が大きかったのではないか、と僕は思うのです。
でも、「天安門事件」がああいう形で「鎮圧」されなかったら、中国は平和な民主国家になっていたかと問われると、あまりそんな気もしないんですよね。
中国は、あまりにも大きすぎる。
――中国に話を限っていいんですが、中国はなぜ、ポスト冷戦の時代に、解体しなかったんでしょうか。社会主義体制が。
ヴォーゲル:まあそれは、ひとつには、経済成長がものすごく速かったことですね。80年代に、みんな生活がよくなった。もうひとつは、阿片戦争以来、この国を統一するのが難しいとわかっていること。政治が乱れ国が分裂している状態では、ダメだと、誰もが骨身にしみてわかっている。多くの人びとがこのふたつを認めているから、中国共産党が支持されているのだと思うんです。
中国という大国には、それに適した「やりかた」がある、ということなのかもしれません。
それにしても、天安門事件は「やりすぎ」だとは思うのだけれど。
訒小平という人への興味が、あらためて湧いてくる新書、だと思います。
それでも、日経版はやっぱり僕には敷居が高いかな……