琥珀色の戯言

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【読書感想】国宝消滅―イギリス人アナリストが警告する「文化」と「経済」の危機 ☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
なぜ日本人は、「カネのなる木」を枯らすのか?「国宝」なのにボロボロな理由、日本の職人をクビにして海外へ外注、伝統工芸品の価格は「ボッタクリ」だ、「補助金漬け」の実態、他。「山本七平賞」受賞作に続く衝撃の問題提起。


 僕は日本人で、海外旅行の経験はあるものの、自慢できるほどではない(記憶しているかぎりでは8ヶ国だけ)なので、著者が語っている「日本の観光地の物足りないところ」というのは、いまひとつわからない感じもするのです。
 じゃあ、僕が行ったイタリアやアメリカ、オーストラリアという国の観光地では「そこで生活していた物語」が再現されていたか?と問われると、必ずしもそうではなかった記憶があるし。
 とはいえ、「何十万円ものお金と長い時間をかけて、海外からやってきた人が、日本の観光地に対してどういう印象を抱くか」というのは、日本人にはわからないのも事実です。
 

 また、実際に大勢の「職人」たちを雇用している立場から、「日本の職人は、あまりにも自分たちの仕事を特別視しすぎているのではないか」と苦言を呈しています。
 職人たちの「伝統的な技術」には敬意を表しつつ。


 著者は、1965年生まれでゴールドマン・サックスという「拝金主義の総本山(とか言うと語弊がありますが、あくまでも僕のイメージです)」を退職後、2009年に経営立て直しのため、乞われて小西美術工藝社に入社し、2010年に会長、2011年からは社長に就任しています。
 この小西美術工藝社というのは、創立300年以上の老舗で、国宝や重要文化財の補修を手掛けており、業界内では4割のシェアを占めている最大手なのです。


 長年茶道も愛好し、日本の伝統文化に愛着を持っている著者なのですが、それだけに、いまの日本の文化財の扱いへの疑問も強いようです。

 「観光立国」に貢献できる文化財にするにはどうすればいいのか。文化財行政をどのように転換すればいいのか。本書で詳しく述べていきたいと思いますが、その前にひとつ断っておきたいことがあります。
 ありがたい文化財を「観光の目玉」にするような提言に、なかには拒否反応を示す方もいらっしゃるかもしれませんが、その際に考えていただきたいのは、これは社会保障制度の問題でもあるということです。
 文化財の観光資源化を認めないということは、医療費の負担増や年金のさらなる減額を受け入れるということでもあるのです。これは極論でも何でもありません。欧州各国が観光業に力を入れ始めた時期を調べてみてください。それはみな、社会保障制度の問題が表面化し始めた時期と見事に重なっているはずです。先ほども申し上げたように、これは好む好まざるではなく、少子高齢化問題に直面した先進国が避けては通れない道なのです。


 正直、僕は日本の国宝や文化財、その周辺の歴史的建造物などへの扱いは「こんなもの」だというくらいのイメージしかなかったんですよね。
 なるべくいまの状態を崩さないようにして、未来に受け継いでいけば良いではないか、と。
 以前読んだ新書には「現存している文化財は、わび、さびなどと言われているけれど、製作時に比べると色が落ちて、かなり様相が変わっている」と書かれており、いま観ているものも「昔とは違う」可能性が高いのですが。


 観光というのはグローバル化した世界において、大きな産業のひとつになっています。
 とくに外国からの観光客を増やすというのは、外貨獲得の重要な手段のひとつなのです。
 日本政府も「海外からの観光客を増やす」ためにさまざまな試みを行っていますが、それぞれの観光地は、異文化に触れることを期待し、お金と時間をかけてやってきた人々に対して、あまりにも素っ気ないのではないか、と著者は述べています。

 先日、岐阜城への視察に同行しました。立派な甲冑や火縄銃など、展示物はかなり充実していましたが、立派な火縄銃についた英語の解説は、「GUN」と記されているだけです。他の文化財で見た兜も、「HELMET」と記されているだけで、それ以上、何の解説もされていませんでした。
 日本文化を知りたいと訪れた外国人観光客にとって、この説明はかなり物足りないというか、がっかりしてしまうのではないでしょうか。


 これはたしかに……ああいう、申し訳程度の「解説」って、役に立つのだろうか?
 日本人として外国に行くと、「銃」程度の日本語の解説も無いことが多いので、これでも無いよりマシ、なのかもしれませんが、「世界基準」で考えると、もう少し詳しい英語での解説があったほうが良いのではないかと僕も思います。
 「来ていただく」立場としては、ね。

 先日、ある場所で講演をさせていただいた後、参加者のみなさんと談笑していたら、このような意見をおっしゃる方がいました。
 「日本の文化財というのは、何回も見に来ればじわじわと理解できるものなので、解説やガイドは必要ない」
 これはよく聞く意見です。私はお能が好きで、よく見に行くのですが、そこでオペラのように詳しい解説と字幕をつけたらどうでしょうと提案をしたら、同じような説明をされました。4〜5回見に来ればわかるようになると言うのです。
 私は解説をすべきだと思うだけで、どちらが正しくてどちらが間違っているという議論は、まったく本質的な話ではありません。もっと言ってしまえば、文化財の所有者がどう考えるのかも、文化庁がどう考えるのかも、学芸員の意見も関係ないのです。


 「おもてなし」という日本のホスピタリティについて、2020年の東京オリンピック招致をきっかけに日本国内で再評価されてきましたが、少なくとも、この「4〜5回我慢して見ろ」というのは「おもてなし」とはかけ離れている感じがします。
 「そんなに簡単にわかるようなもんじゃない」って言いたい気持ちは、理解できるんですけどね。


 この本のなかで、著者は、文化財への「入場料の安さ」にも苦言を呈しています。
 本当に維持・修復して、未来に受け継いでいくのであれば、それなりの対価を観光客にも求めて、経営的にも健全化することが大事ではないのか、と。
 興味深いのは、海外の有名観光スポット(バッキンガム宮殿やロンドン塔、大英博物館(ここは無料)、ベルサイユ宮殿、ルーブル美術館エッフェル塔、ピザの斜塔、サグラダファミリアアンコールワット自由の女神など)と日本の観光スポット(日光東照宮金閣寺清水寺、姫路城など)の入場料の比較でした。
 

 ホームページや観光サイトに掲載されている入場料が正確であるという前提ですが、日本円にして平均1891円という結果が出ました。一方、左側の日本の有名な国宝や重要文化財の拝観料、入場料等の平均を出してみると、結果は593円。海外平均の31%にすぎず、圧倒的に安いことがわかります。


 とはいえ、こういうのは国による物価の差も大きいし、「世界」でひとくくりにするのはいかがなものか、と思われるかもしれませんが、この本に掲載されている表をみていると、いわゆる「先進国」から「発展途上国」まで、入場料は2000〜3000円くらいで、あんまり格差はないんですよね。
 その観光地の規模による差はあるみたいですが。
 おそらく、外貨を稼げるような施設は「世界基準」にしてある、ということなのでしょう。
 入場料が安い、というのは、良いことのように思われるのですが、著者は「ちゃんと内容に見合った入場料を徴収し、その分、サービスも拡充すべきだ」と考えているようです。
 それは納得できる意見であるのと同時に、僕が観光に行ったときに「値上がり」していたら、やっぱり良い気分はしないだろうな、とも思うんですけどね。
 

 著者は、実際に大勢の「職人」たちを雇用している立場から、「日本の職人は、あまりにも自分たちの仕事を特別視しすぎているのではないか」と苦言を呈しています。
 職人たちの「伝統的な技術」には敬意を表しつつ。


 「伝統的な技術だから」と政府からの補助金ばかりを求めたり、料金も相手の懐具合をみたり、自分が欲しい金額を基準に「どんぶり勘定」で請求してきたりと、時代に合わなくなってきている面を厳しく糾弾しています。
 著者は経営者として、伝統的な技術を後世に受け継いでいくためには、適正な価格と誠実な仕事で発注量を増やし、高齢の職人の給料を少しずつ下げていくことによって、若い人を雇っていく、という選択をしています。

 仕事の質を下げ、価格をそのままにすれば、短期的には経営状況は改善します。しかし、長期的には信用を失い、問題がさらに悪化することが多いのです。文化財業界のなかにもそれを問題視している方がいまずが、残念ながら今も文化財業界では「仕事が減れば価格を上げる」、もしくは「最終的な価格をそのままにして、原価だけを下げる」という考えが根強く残っています。だから、一部の関係者の間では、自嘲を込めてこんな冗談が囁かれているほどです。


「『伝統』と書いて『ボッタクリ』と読む」


 もちろん、著者の提言を全部鵜呑みにすべき、というわけではありません。
 でも、これだけの親日家でさえ、これだけ言いたいことがあるのだから、ちょっと興味を持って観光に来た人たちが理解できないと感じるところは、もっとたくさんあるのではないかなあ。
 僕も海外では「素っ気ない展示だなあ、って感じることが多かったので、「そういうものなんだろうな」と今までは思っていたのだけれど。

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