琥珀色の戯言

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【読書感想】木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか ☆☆☆☆☆


木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

内容紹介
昭和29年12月22日----。プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦が、当時、人気絶頂の力道山と「実力日本一を争う」という名目で開催された「昭和の巌流島決戦」。試合は「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの、木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。まだ2局しかなかったとはいえ、共に生放送していたテレビの視聴率は100%。まさに、全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまった木村、時に37歳。75歳まで生きた彼の、人生の折り返し点で起きた屈辱の出来事だった。柔道の現役時代、木村は柔道を殺し合いのための武道ととらえ、試合の前夜には必ず短刀の切っ先を腹部にあて、切腹の練習をして試合に臨んだ。負ければ腹を切る、その覚悟こそが木村を常勝たらしめたのである。約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、かつて切腹の練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。しかし、現実にはそうはならなかった......その深層は? 戦後スポーツ史上、最大の謎とされる「巌流島決戦」を軸に、希代の最強柔道家・木村政彦の人生を詳細に描く、大河巨編!!

「ああ、プロレス黎明期に力道山に負けた、柔道家のことか」
この本を読むまで、僕の「木村政彦」という名前についての知識は、それだけでした。
いや、格闘技好き、プロレス好きだから、「名前くらいは知っている」と言うべきなのかもしれません。


この『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は、かなり話題になっている本で、けっこう前から気になっていたのですが、書店でみかけるたびに、あまりの分厚さに二の足を踏んでいたのです。
これ、読み切れるかなあ……って。


今回、Kindle版で読んだのですが、たしかに圧倒的なボリュームがある本です。
冒頭にまず、あの「木村政彦vs力道山」の模様が描かれたあと、物語は、「鬼」と呼ばれた柔道家・木村政彦の誕生に遡るのです。
そしてこのノンフィクションは、その師である牛島辰熊、そして、木村政彦の愛弟子である岩釣兼生の物語でもあります。


この本を読んでいて驚いたのは、著者が関係者への取材も含め、丹念に事実関係を調べていることでした。
18年も取材してきたということには頭が下がりますし、著者の熱意に感応して、柔道や総合格闘技のトップ選手たちが、彼らの視点で、木村政彦という人の「柔道家とて、格闘家としての技術」を率直に語っていることにも驚きました。
こんな人までも!と思うような選手たちが、著者と「木村政彦談義」を繰り広げているのです。
そんな高額な謝礼が出ているわけではないと思うので、これを読んでいると、著者も含めて、柔道をはじめとする武道家、そして格闘家というのは、とにかく「強さ」というものに、圧倒的なこだわりを持ち続け、それを語り、実践することが好きで好きでたまらない人なんだな、とあらためて思い知らされました。


そして、この本のすごいところは、「木村政彦の伝記」だけではなく、「木村政彦と彼に関わった人たちを通じて、戦前、戦後の柔道界、そして格闘技界の裏側に光をあてている」ところです。
いま、講道館にほぼ一本化された「柔道」以外にも、戦前には寝技を重視した「高専柔道」などが大きな流れとして存在していたこと。
いま「綺麗な『一本』にこだわる日本の柔道」というのがメディアでは美化されていますが、スポーツ化を推進するあまり、「本当に実戦で役立つ格闘技」であることから乖離してしまっていることへの疑念や、スポンサーからお金をもらったり、企業に協力してもらっているのに表面上は「アマチュア至上主義」を標榜し、プロレスのリングに上がった多くの選手たちを批判し、排除していることへの問題提起も率直になされているんですよね。


木村政彦vs力道山について書かれたところも素晴らしかったのですが、僕は木村政彦さんと、あの「グレイシー柔術」のエリオ・グレイシーヒクソン・グレイシー父親)と闘った試合の場面では、文字通り「手に汗を握って」しまいました。


日本では廃れてしまった寝技、関節技を駆使するエリオと、あらゆる格闘技に興味を示し、立ち技だけではなく、寝技も「史上最高の使い手」であった木村政彦が、地球で日本の反対側にある国で、「最強」をかけて激突する……
そして、この試合で見せた、すでに全盛期は過ぎてしまっていたはずの木村政彦の強さ!


著者は、この試合の前の、こんなエピソードを紹介しています。

 木村はたしかに試合前にマスコミに対し「私が負ける可能性は皆無だ」と断言していた。しかし、エリオを馬鹿にしていたわけではない。
 エリオによると、試合の数日前、木村に頼まれたといって通訳が一人でエリオの道場にやってきたという。
「木村さんの絞技や関節技が完璧に決まったら、エリオさんはタップしますか?」
 エリオはそれを聞いて激怒した。木村ははじめから自分が勝つと思っているのか。傲慢すぎる……。
「失礼なことを言うな!」
 エリオは通訳を追い返してしまった。
 次の日、木村がその通訳を連れて直接エリオを訪ねてきた。
「ミスターエリオ、昨日は申し訳なかった。私はあなたを見下したりからかったりしているわけじゃないんだ。心から謝る。本当に申し訳ない。試合はどちらが強いかだけをはっきりさせればいいと思うんだがどうだろう。必要以上に傷つけあうことはないだろう? 夜、ベッドの中に入るとき、私は人の腕が折れる音を思い出したくないんだ。結果はやってみなくてはわからない。でも私の技が完全にかかったら、そのときはタップしてくれ」
 エリオは感動した。
 自分は敵の木村を倒すことしか考えていなかったのに、相手の木村はそんなエリオの体のことを本気になって心配してくれていた。話の内容からすれば傲慢だと取られてもしかたがないが、木村の態度からは微塵もそれが感じとれなかった。笑みを浮かべるわけでもなく、威圧もせず、嫌みもなかった。その堂々と男らしい態度に、木村政彦こそ本物の王者だと思った。

師匠である牛島さんが、柔道家としての強さと同時に、「国士」として政治的な活動も行っていたのと比較して、木村さんは、あまりにも「非政治的な人間」であったことを著者は記しています。
だからといって、清廉潔白だったというわけではなく、「飲む」「買う」方面などの、さまざまな「いたずら(では済まないような話もあるのですが)」を、師匠の目の届かないところではやり続け、経済的にも逼迫してしまうなど、ずっと「悪童」であり続け、ヤクザとの付き合いも深かったという木村さん。

 強豪選手たちが三時間稽古していたので木村は倍の六時間から七時間稽古していたが、倍の稽古だけでは「絶対」の境地には辿り着けない。ライバルたちも必死に努力しているからだ。二倍程度の稽古量では、なにかのはずみで勝敗がひっくり返ることもありえる。しかし三倍の九時間以上稽古をすれば、他の人間はついてはこれまい。
 木村の稽古は毎日九時間以上という信じられないものになっていく。この伝説の九時間の練習量を「それは座禅やウェイトトレーニングなどの時間も入れているのではないか」と思っている者が多いと思う。
 だが違うのだ。
 木村は乱取り(スパーリング)だけで毎日百本はこなした。
 一本五分としても、これだけで九時間近くになる。ウェイトトレーニングなどを含めると十三時間から十四時間はこなしていることになる。

 著者は「経験者なら、乱取りは五時間が限界、それも合宿などの、ごく短期間なら」と仰っていますが、テレビ番組などでのボクシングのスパーリング風景をみていると、「五時間どころか、一時間でも信じられない」という感じです。
 木村さんの練習は、まさに「人間離れ」しています。


「強くなる」ことに対しては、信じられないような純粋さを貫いたのだけれど、天覧試合を制して「日本最強の柔道家」になり、師匠の元を離れ、戦争を経験し、木村さんは、良く言えば「自由」になり、悪く言えば「迷走」してしまうのです。


そんな木村さんと、プロレスの英雄・力道山との邂逅が、(少なくとも木村さんにとっては)不幸な結末を生むことになりました。

 木村政彦は怪物であった。
 しかし、力道山もまた怪物だった。
 こう書くと、十五年不敗の不世出の柔道王と関脇止まりの力士を一緒にするなと柔道関係者は思うであろう。
 たしかに怪物性の色は違う。しかし、力道山もまぎれもない怪物である。それは木村政彦の側に立って評伝を書く私が言うのだから間違いない。
 何をもって怪物というのか。
 説明する際に、まずはプロレスファンの作家、故・山田智彦の書いた文章を読んでほしい。

 力道山は、たしかに純粋で人のよい一面を持っていたし、笑ったときの表情など忘れたがたいものがあるが、それはほんの表面だった。猜疑心の強さ、傲慢さ、酒ぐせの悪さ、金銭への執着など、調べれば調べるほど、一ファンとしてはとまどうことが多い。(『ザ・プロレスラー』)

 プロレスを愛するからこそ言える潔いものだ。
 力道山の身近にいた者たちは、みなその人間性を否定する。たとえばアントニオ猪木が靴を履かせようとした際に動物を扱うように靴べらで顔を叩かれて「いつか見返してやる」と暗い怒りを腹に溜めていたのは有名な話だが、一方で力道山に可愛がられていたといわれるジャイアント馬場でさえ「人間として何一ついいところのない人でした」と言っている。

 師匠であり、日本のプロレス界の大功労者に向かって、そこまで言うか……という感じなのですが、「そこまで言うほど、酷かった」ということでもあるのでしょうね。
 なんとしてでものし上がっていこうという野心家・力道山と、格闘家としての強さへのこだわりはあったけれど、それ以外のもので自分を武装することなど考えもしなかった木村政彦の「最強」決定戦。


 このノンフィクションは、さきほどの引用部にもあるように「木村政彦の側に立って」書かれた評伝です。
 そして、著者は「木村政彦の圧倒的な強さ」を紹介していきます。
「全盛期を過ぎていたとはいえ、史上最強の柔道家であった木村政彦が、相撲で関脇止まりだった力道山に、負けるはずがない」
 その思いから、この評伝は書き始められました。
 しかし、著者は「あの試合」について検証していくうちに「迷い」を感じることになるのです。
木村政彦は、力道山にだまし討ちにされたのか? 実力勝負なら、勝っていたのか?」
 「あの試合」について、著者が出した「結論」は、実際にこの本を読んで確認していただければ幸いです。


 暴漢に刺され、若くして命を落とした力道山
 「最強」を自負しながら、「力道山に負けた男」として、75歳までの「余生」を生きた木村政彦
 どちらが「幸せ」だったのか?


 「骨太なノンフィクション」であり、格闘技に興味があれば、「読まないと損」とすら思われます。
 終わりのほうに出てくる、柔道金メダリストの石井慧さんの話を読んで、僕は、いままで自分がメディアによって植え付けられてきたイメージと、実際に著者が取材した実像との違いに、驚いてしまいました。
 ああ、僕はいろんな偏った情報だけをみて「知っている」つもりになって、いろんなものを見下したり、無視したりしているのだな、って。

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