琥珀色の戯言

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【読書感想】サザンオールスターズ 1978-1985 ☆☆☆☆

サザンオールスターズ 1978-1985 (新潮新書)

サザンオールスターズ 1978-1985 (新潮新書)


Kindle版もあります。

サザンオールスターズ 1978-1985(新潮新書)

サザンオールスターズ 1978-1985(新潮新書)

内容紹介
あの曲のあのメロディの何が凄いのか? 《勝手にシンドバッド》《いとしのエリー》《C調言葉に御用心》など、1978〜1985年の“初期”に発表した名曲を徹底分析。聴いたこともない言葉を、聴いたこともない音楽に乗せて歌った20代の若者たちは、いかにして国民的バンドとなったのか? 栄光と混乱の軌跡をたどり、その理由に迫る。ポップ・ミュージックに革命を起こしたサザンの魅力に切れ込む、胸さわぎの音楽評論!


 この本を読んでいたら、いまや「日本を代表する国民的バンド」となった、サザンオールスターズのデビュー当時の僕の記憶が鮮やかによみがえってきました。
 当時まだ小学校低学年で、『ザ・ベストテン』を毎週楽しみに観ていた僕は、そこに出演した、「なんかよくわからないことを早口で歌う、おちゃらけた兄ちゃん、姉ちゃん」に、面食らってしまったのです。
 なんなんだこの人たちは……
 いまの僕の年齢よりもずっと若かった母親が、サザンの曲を聴いて、「何を歌ってるのか、全然わからない。何なのこれ?こんなの歌じゃないよ」と嘆いていたのもよく覚えているのです。
 この本のなかでも触れられているのですが、サザンオールスターズが『勝手にシンドバッド』で登場したときは、「どうせすぐ消えるコミックバンド的な存在だろう」という雰囲気だったんですよね。
 そのサザンが、『いとしのエリー』で、いきなり真面目なバラードを歌っているのを見たときには、小学生の僕もけっこう驚きました。
 こういうのを「ギャップ萌え」と言うのでしょうか。


 当時のサザンと周りの大人たちの評価を覚えている僕としては、今、神格化されているというか、下ネタばかりの曲でも「さすが桑田さん!こんなにビッグになっても、遊び心を忘れない!」なんて言われてしまうことに、不思議さも感じるんですよね。
 あの「すぐ消えるであろうノリだけのコミックバンド」が、こんなふうになってしまうなんて。
 桑田さん自身は、そんなふうにもてはやされることに、居心地の悪さを感じることもあるんじゃなかろうか。


 著者は、リアルタイムで聴いてきたサザンオールスターズというバンドの初期の軌跡を丁寧にたどっています。
 「日本を代表するバンド・サザンオールスターズ」として振り返るのではなくて、「学生バンドから試行錯誤しつつ、成り上がっていく過程」を描いているのです。
 

勝手にシンドバッド》の歌詞に話を戻せば、重要なフレーズは3つある。
 1つは何といっても「♪胸さわぎの腰つき」。この曲の中で、最も重要なフレーズ。
 よく考えてほしい。「胸さわぎの腰つき」の具体的意味は何か、と。歌詞の文脈を追えば、その「腰つき」をしているのは「あんた」だから、女性だ。女性自身が「胸さわぎ」をしながらの「腰つき」なのか、もしくは「俺」に「胸さわぎ」を与えるような「腰つき」なのか。そもそも「腰つき」って何だ? 腰のかたち? 腰の動き?
 つまりは、意味の連想は人によってバラバラなのである。しかし、文字列としての「胸さわぎの腰つき」が与えるイメージ連想切迫感や焦燥感、卑猥さ……などは、人によっても、かなり均一だと思う。「意味が通じないからということで、このフレーズを、スタッフが「胸さわぎのアカツキ」や「胸さわぎのムラサキ」(!)に変えようとしたという話がある。変えてくれなくて本当に良かった。


 僕も子供の頃、「胸さわぎの腰つき」って、いったい何だよ?と思った記憶があります。
 大人になったらわかるのか、と思っていたけれど、まあ、たしかにわかったような、やっぱりわからないような……
 でも、「アカツキ」や「ムラサキ」にならなくて本当に良かったとは感じます。
 あらためて、すごいセンスだなあ、と。


 『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」のコーナーで、サザンオールスターズが番組初登場した際の、黒柳徹子さんと桑田佳祐さんとのこんなやりとりは、もはや伝説となっています。

黒柳徹子「急上昇で有名におなりですが、あなたたちはアーティストになりたいのですか」


桑田佳祐「いえ、目立ちたがり屋の芸人で~す」


 この「目立ちたがり屋の芸人」は、サザンファンの中で有名なフレーズだが、実は、事前に台本に書かれていたフレーズらしい。この発言の影響もあってか、その後しばらくサザンは、コミックバンドとして扱われる。


 この桑田さんの発言、いまだったら、「芸人をバカにしている」ってネットで炎上するかもしれません。
 サザンって、最初の頃は「コミックバンド枠」だったんですよ。
いとしのエリー』以降は、けっこうイメージが変わったけれど、『チャコの海岸物語』では、『ザ・ベストテン』で、桑田さんが「ここーろーかーらーすきだよー〇〇!」の「〇〇」の部分に、アドリブでいろんな人の名前を入れるのが「お約束」になっていましたし。


 この本を読んでいると、覚えているつもりでも、記憶というのは改変されるものだ、ということを思い知らされます。


 ここで問題。
 Q:サザンオールスターズの名曲『いとしのエリー』『チャコの海岸物語』『YaYa(あの時代を忘れない)』『メロディ (Melody)』を発表順に並べよ。




 答えは、この並びのままで、『いとしのエリー』(1979年3月)、『チャコの海岸物語』(1982年1月)、『YaYa』(1982年10月)、『メロディ』(1985年8月)の順番です。
 僕の記憶では、サザンはデビュー以来、休養期間を除いては、ずっと売れ続けていたのです。
 しかしながら、この本を読むと、1980年、81年のサザンオールスターズは、シングル曲があまり売れず、やや低迷していたことがわかります。
 『チャコの海岸物語』って、もっと初期の頃の曲だと思い込んでいたけれど、『いとしのエリー』から3年も後だったんですね。
 40年やっていれば、2年や3年は「短期間」のように思えてしまうのかもしれませんが。


 著者は、『チャコの海岸物語』は、サザンが「マーケティングに目覚めた曲」だと位置づけています。
 夏とか海という、周囲が持っているイメージを自ら利用して、『勝手にシンドバッド』の二番煎じのような曲を「売るために」つくってみせた桑田佳祐という人は、本当にすごい。


 そして、サザンの曲というのは、最初はノリ重視でチャラチャラしているように思えたのだけれど、40年経った今も、この新書を読んでいると、また聴きたくなるような普遍性を持っているのです。
 今の十代の若者にとって、サザンオールスターズって、どう見えているんだろう?
 親が石原裕次郎をうっとりしながら語っているのをみて、「正直、どこが良いのかよくわからん……」と内心思っていた僕のように、若者たちは「おっさん、おばちゃんたちの音楽」だと認識しているのだろうか。
 昔から聴いていた人間にとっては、ずっと「今の音楽」なんだよなあ。

「ロックミュージシャンは、いつも強面で仏頂面でなければならない」という、当時の音楽業界をなんとなく支配していた、とても貧乏くさい価値観の中で、コミカルな側面を全面に押し出した桑田は、やはり偉大だったと思う。
 そして、ラジオ番組『桑田佳祐やさしい夜遊び』(TOKYO FM)において、未だに下ネタを連発する桑田を聞くにつけ、コミカルなことが心から好きな人だということを、改めて確認するのだが。
 それでも最近、例えば2016年に発売された、桑田のシングル《ヨシ子さん》を聴いて感じるのは「過度にコミカルな路線は、もう要らないんじゃないか」ということだ。これは、《ヨシ子さん》がそんなに面白くなかったということもあるが、どちらかと言えば、続くシングルにして名曲=《君への手紙》のような路線に、還暦桑田のエネルギーを集中してほしいと思うからである。


 ああいう路線がなくなったら、桑田さんらしくない気もするし、年齢とミュージシャンとしての残された時間を考えると、もう、そこまで「らしさ」にこだわらなくても良いんじゃないか、とも思う。
 僕はサザンオールスターズの超熱心なファン、というわけじゃないけれど(それでも、コンサートには何度か行ったことがあります)、サザンが元気に活動しているあいだは、まだ僕にお迎えが来る順番じゃないような感じがするんですよね。こればっかりは、わからないけれど。


 読んでいると、紹介されているサザンオールスターズの名曲を、あらためて聴きなおしてみたくなる、そんな新書です。
 ああ、いろいろ考えていたら、サザンの曲を聴きながら運転していたときに、車をぶつけられたのを思い出してしまった……サザンの曲がBGMに流れている忘れられない記憶を持っているひとって、大勢いるよね、きっと。


すいか SOUTHERN ALL STARS SPECIAL 61 SONGS

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