- 作者: 壇蜜
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2017/11/16
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 壇蜜
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2017/11/24
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内容(「BOOK」データベースより)
生ハムは、ピザやパスタにトッピングされ、オーブンに入れられてもまだ「生」なのか。ラブホテルで頼むピザのサイズはSMLどれが正解なのか。賞味期限切れの牛乳はいつまで「チャレンジ」できるのか。謎めく才女の脳裏に食を巡る疑問、懸念、記憶の数々が渦巻き続ける。自分の納豆の食べ方は普通ではないのか。イメージDVDにつきものの魚肉ソーセージとはどうつきあうべきか。「食べ物」が壇蜜を語り出す―。
壇蜜さんの日記やエッセイは面白い。
すごく不思議な人なんですよね、壇蜜さん。
自らが「壇蜜」でありながら、他人事のように「壇蜜ウォッチング」をしている人でもあるのです。
壇蜜さんの日記には「おいしい食べ物」の話は、ほとんど出てきません。
もちろん、美味しいものを食べた、という日もあるのですが、「食べ物へのこだわり」みたいなものは、ほとんど感じられないのです。
カップラーメンを食べて終了、みたいな日とか、ずっと昼寝していた、とか、飼っている熱帯魚の水槽のコケを取っていた、なんていう日もあります。
そんな壇蜜さんがエッセイの連載を依頼されて、出てきたテーマが「食べ物」だったのです。
食べ物についてなら書けるといったが、既存の連載とかぶらないよう消去法でテーマをしぼり、「人は誰でも食べるでしょ」という生物の通常行為はいくらかの感情の共有を期待するというしょうもない目論見あっての話だ。このように食べ物に対する情熱が低い上に、それほど造詣も深くない。勉強して調理師になったことがあってもそれは過去の話。勤めていた和菓子工場では熱意のなさが露呈して勤続3年も持たなかった。この冷めた背景を軸にどうやって書こうと悩んだ結果、「色々思うことはあれど、まずは食べてみようじゃないか。そして思うことや過去の記憶を関連付けて毎週俳句とイラストで記していこうじゃないか。そして、執筆代をもらおうじゃないか」という体温の低い書き方が自分に合っていると思った。
基本的に、食べ物エッセイって、「食べることが大好きな人が、自分が食べてきたものの思い出や蘊蓄、こだわりを語る」というものがほとんどなんですよね。
そんななかで、「食べ物に対して体温が低い」壇蜜さんの話は、かえって新鮮な感じがしました。
何かを熱く語る壇蜜さん、というのも、ちょっと見てみたい気もしますけど。
読んでいて、食べ物の好みや食べ方に、僕と壇蜜さんはけっこう共通点があるのではないか、と思ったんですよ。
「納豆の食べ方」について。
私はひきわりタイプの納豆を好み、タレ以外は何も入れず、あまり混ぜずにパックにご飯を少しずつ投入して食べていたのである。今でもこの食べ方は変わらず、コレを見せるとやはり少し驚かれる。
お茶碗を使ったりネギを入れたりして食べる納豆の「普通」と呼ばれる姿とあまりにも違うため、「ええーそんな食べ方するの? それって変だよ」と言われることを避けたかったのだ。納豆には多くの食べ方が存在し、正解も不正解もなければ、他者の食べ方を批判することもナンセンスだ……なんてことは頭では分かっていたが、「変だよそれ」に耐えられる強いマインドは、学生時代の私には備わっていなかったのが現実だった。今なら変と言われても、大人ならではの邪道という評価を受けても、笑顔で無視することが出来るほどふてぶてしく振る舞えるのだが。
食べ方が少数派でも、美味しく食べたいと思う気持ちは多数派の方々と変わらない。ただ、パックからいただけば茶碗がねばつかないし、パックの隅まで納豆を満喫できて無駄がないと思ったからだけなのだが……。納豆から引く糸の細さぐらいの微かさでもいいので、納豆をパックから外に出さない食べ方をする者を評価し、その行為を尊重してほしいものだ。
僕も小分けパックの納豆に対して、壇蜜さんと同じ食べ方をすることが多いので、ものすごく共感してしまいました。
「胃のなかに入ればいっしょ」だし、納豆のネバネバがついた茶碗を洗うのって、けっこう大変だし、このほうが「合理的」ではないのか。
たしかに、小さなパックに少しずつご飯を投入していく姿は「豪快さ」「爽快感」とは程遠いかもしれないけれど。
学生時代には、レトルトカレーを温めて、そのレトルトにご飯を投入して食べていた友人もいたのですが、さすがに今はやっていないのだろうなあ。
こういうのって、学生や若者がやっていると許されても、大人がやると、生活に余裕や丁寧さがない、と見なされがちです。
壇蜜さんが「カレー」の項の冒頭で語っている、こんな話も印象的でした(カレーとはあんまり関係ないんですが)。
私はサプライズが苦手だ。するのも、されるのもだ。どうしても「体のいい強制ドッキリ」にしか見えない。特にサプライズとやらを受けた後の、サプライズをした側による「ねえ、どう? あなたのためにこんなことしちゃったー! ねぇ、どう?どう? 感動したよね、ね?」と言わんばかりの雰囲気には緊張しか感じない。反応しなければ、否応なしに悪者にされるからだ。「正解の反応」は「喜んで感動する(泣いたらモアベター)」の一択。それ以外は非難の対策となる。これが強制ドッキリでなくてなんなのか。ドライに反応したがゆえに「あんなに頑張ったのに、冷たい」という声を浴びせる者がいたら言いたい。「悪者にされるところまでがサプライズなのか? だったら大成功だな」と。
壇蜜さんの文章はこう続きます。
「感動がない」と非難されることには慣れている。昔から上手いこと感動を伝えられず、「子供らしくない」という理由で親から悲観された。
僕も「なんらかのリアクションを期待されること」に対して、けっこうプレッシャーを感じてしまうんですよね。
相手の期待に応えたいのは山々なのだけれど、それを意識すればするほど、なんだか自分でもわざとらしく感じてしまうし、どれが「望まれる反応」なのか、わからないし。
それならもう、平常営業でいいよ、と思うのです。
うまく愛されるのも、案外、難しい。
壇蜜さんらしいエッセイ集だと思います。
美味しい食べ物や新しい店を開拓したい、という人には、ほとんど役には立たないのですが、食べ物の話に「食傷気味」の人にこそ、読んでみていただきたい。
- 作者: 壇蜜
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2016/02/18
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- 作者: 壇蜜
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2016/06/10
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