- 作者:佐和子, 阿川
- 発売日: 2020/03/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
Kindle版もあります。
「まずい」それが私にかけられた父の最期の言葉であった――。朝ご飯を食べながら「今夜は何を食わせてくれるのかね?」と訊き、「まずいものは食いたくない」がモットーの父・弘之。そんな食いしん坊で怒りん坊の亭主と四人の子供のために台所に立ち続け、齢九十をこえた母。そして女優業にも忙しくなった娘。毎食が波乱含みの食卓の情景で綴る一家の歴史。和田誠氏への追悼文を附す。
僕はこれまで、阿川佐和子さんの対談本や食に関するエッセーをたくさん読んできました。
長年の盟友・檀ふみさんとの往復エッセイも面白かった。
阿川さんと「食」といえば、食べものに大変なこだわりを持っていた、厳しい(というかけっこう理不尽な)お父さん・阿川弘之さんの話を避けては通れません。
阿川さんとお父さんのやりとりを読むと、向田邦子さんとお父さんの関係を思い出さずにはいられないのです。
以前にも書いたように、私にとって東坡肉(トンポーロー)はトラウマ料理なのである。
たしか中学生の頃だった。なぜか母が家を留守にして、私が父のために晩ご飯を作るはめになった。私は張り切った。よし、頑張って東坡肉を作ってみよう。料理本を繙(ひもと)いた。
そのとき使ったのが皮付きの豚肉ブロックだったかどうかは定かではないが、少なくとも蒸せとは書かれていなかったと思う。とにかく入念なる下準備をし、おそらく六時間以上、台所で立ち働いた末、皿に盛り、書斎に父を呼びにいった。
「できました!」
父はいそいそと食卓につき、「そうかそうか。今日は佐和子が作ってくれたのか」といつになく優しい声で皿を覗き込み、箸を握った。私は父の様子をじっと見守る。父は私の作った東坡肉の一かけを箸でちぎって口に入れた。顎を上下に動かして、しばらく味わって……と思われたその直後、父は私の顔を見て、ニコニコ語りかけたのである。
「よし、明日はなんか旨いもん、食いにいこう!」
それが精一杯の私に対する心遣いだったと、今はかすかに、かすかにですけどね、納得できる。露骨に「まずい!」とは言ってなるまい。でも噓はつけない。はて、なんと言ってこの場をしのごうか。その結果、口から出てきたのは、「明日は旨いもん」だったのであろう。しかし、娘の私にしてみれば、こんな情けないことがあるか。何時間もこの豚のかたまりと闘ってきたのである。
娘である佐和子さんからみた、阿川弘之さんというのは、ちょっとしたことで機嫌が悪くなってしまう、扱いが難しい人だったのです。
日常的に酷い虐待をするとか、育児放棄されていた、というわけではまったくないのですが、子供としては気を遣うだろうなあ、という感じなんですよ。
それは「昭和の家父長制がまだ残っていた時期の典型的な父親像」だったのかもしれませんが、当時インターネットが存在していて、弘之さんの言動を佐和子さんがTwitterに書いたら、弘之さんは大炎上していたに違いありません。
でも、そういう「難しい父親」に接してきた向田邦子さんや阿川佐和子さん、阿川さんの盟友である檀ふみさんが、エッセイストとして名を成しているんですよね。
だから、父親は娘に厳しく、理不尽に接したほうが良い、なんてことはありえないとしても。
そういう環境が「文才」みたいなものを育てるのか、親の教育なんてものは、子供がもともと持っている素質に較べたら、たいした影響はないのか。
しかしこの東坡肉の話、いち読者としては「ひどいなあ!」と思いつつも、そこでお世辞を言えない阿川弘之さんに、つい苦笑してしまうのです。
本人は、「なんとかフォローしているつもり」なんだろうけどねえ。
阿川さんほどの大作家でも、自分の娘に適切な言葉をかけるのは、なかなか難しいみたいです。
いや、この話だけだったら、「不器用なお父さん」だと思われるだけかもしれませんが、阿川佐和子さんのエッセイには「食べ物に関する、お父さんの酷い話」がたくさん出てくるのです。
たしか四歳の頃だった。家族でどこかへ出かけた帰り、苺をワンパックいただいた。父の運転する日野ルノーの後部座席に腰掛けて、私は膝に苺の包みを抱えていた。そして、呟いたのである。
「この苺、生クリームで食べたいな」
それより少し前、近所の阪田さんの奥様から手作りの苺のショートケーキをいただいた。その衝撃的なおいしさが記憶に鮮明だったからだ。当時、お菓子屋さんで売っているケーキはだいたいバタークリームでできていた。しかし阪田さんのショートケーキはクリームがふわふわで甘すぎず、いかにも手作り感のある粗い生地のスポンジとよく合って、たいそう新鮮な味がした。そのまっ白なクリームが、生クリームというものであると知り、以来、生クリームに憧れていたのである。牛乳ではなく、苺に生クリームをかけて食べたらどんなにおいしいことだろう。苺のパックを膝に載せ、私は妄想した。と、たちまち運転席から父の怒声が飛んできた。
「なんだと?!」
何ごとかと思った。
「苺を生クリームで食べたいだと? なんという贅沢なことを言うんだ、え? だいたいお前の教育が悪いからこういう子供になるんだぞ」
父の怒りの矛先は収まらず、母にまで及び、その夜は一家離散の危機も覚悟しかねないほどの悲惨な顛末と相成った。
四歳の娘のささやかな夢に、激怒するお父さん……阿川佐和子さんのエッセイには、こういう「突然大噴火するお父さん」のエピソードが、たくさん出てくるのです。
こういうお父さんと長年付き合ってきたのですから、世間の年長者とうまく接するのも、そんなに苦にならなかったのかもしれませんが……しかし、よくグレなかったものだな、阿川さん。
ちなみに、このお父さんに長年食事を作り続けてきたお母さんの、お父さんの死後の変化についてもこのエッセイに書かれていて、佐和子さんに「あの料理を覚えたいから作って」と得意だった料理をリクエストされても、「作り方を忘れた」「デパートで売ってる」と、きっぱり拒否しているというのが、なんだか清々しく感じました(認知症の影響もある、とのことですが)。
あと、こんな話も出てきます。
私はラップを二度使いするオンナである。
そんな話をテレビのバラエティ番組で他意なく披露したところ、
「えー、アガワさんって、一度使ったラップをもう一度、使うんですか?」
司会者の声に「ものを大事にする人なんですねえ」といった賞賛の色合いはかけらも見当たらず、むしろ呆れ返ってものが言えぬとでも言いたそうな気配が濃厚である。一緒に出演していた若いタレント嬢に至っては、唖然を通り越したか、まさに苦虫をかみつぶしたかのごとき顔の歪め具合で私を凝視している。そんなに非難されるべきことか?
確かに、直接食べ物に触れていない場合などは、二度使いできないことはない、かもしれませんよね……ちなみに、阿川さんは割り箸も洗って使うことがあるそうです。
これを読んでいて思い出したのですが、僕の母親も、僕が子供の頃、割り箸を洗って使っていたんですよね。物が十分にない時代を生きてきた人にとっては(阿川さんは僕の母親より干支一回りくらい若いけれど)、まだきれいな割り箸を一度しか使わずに捨てるというのは、ものすごくもったいないことだったのかもしれません。それでお腹をこわした、という記憶もないので、おそらく、割り箸の二度遣いは、そんなに危険なものではないとも思われます。少なくとも家族間での使用については。
阿川さんはベストセラーを出したり、テレビにたくさん出演したりされていて、お金もたくさん持っていらっしゃると思うのですが、それでも、あまり変わらない、自分のことは自分でやる生活をされているようにみえるのは、けっこう凄いことですよね。