琥珀色の戯言

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【読書感想】洞窟オジさん ☆☆☆

洞窟オジさん (小学館文庫)

洞窟オジさん (小学館文庫)


Kindle版もあります。

洞窟オジさん

洞窟オジさん

内容紹介
人生のほとんどを洞窟で過ごした男の物語


加村一馬、昭和21年8月31日生まれ。群馬県大間々町(現:さくら市)出身。68才。
昭和35年、当時13才だった少年は「両親から逃げたくて」愛犬シロを連れて家出した。以来、彼はたったひとりで誰にも知られることなく、足尾鉱山の洞窟、富士の樹海などの山野で暮らし、イノシシやシカ、ヘビにネズミ、コウモリ、野ウサギなどを食らい命をつないできた。発見された時、少年は57才になっていた--


2004年5月に刊行され、大きな話題を呼んだ『洞窟オジさん 荒野の43年』(小社刊)。あれから11年、社会復帰を果たした「オジさん」は、群馬県の障害者支援施設に住み込みで働いていた。彼はなぜそこで生きることになったのか。そして、「自分のため」ではなく「他人のため」に生きる喜びを知った「オジさん」は何を語るのか。
トラブル続きの集団生活、「天使のような」女性との出会い、ブルーベリー栽培への挑戦、初めての入院生活…。12万字を越える加筆で奇跡の文庫化!!


 「洞窟オジさん」こと、加村一馬さんを知っていますか?
 ……と、いかにも、僕は知ってました風の書き出しなのですが、僕も知りませんでした。
 どこから聞いたことはあるけど、覚えていないだけなのかな……

 親父はもともと怒りっぽくて気の荒い人だった。いきなりおれのえり首をつかんで外に引きずりだし、両足を揃えて縄で縛り、そのままおれを木の枝に逆さ吊りにしたこともあった。
 1回つまみ食いが見つかると、2日も3日も叩かれ続けた。それでもひもじさには勝てない。2度目のつまみ食いが見つかったとき、親父は顔を真っ赤にした。首根っこをつかまれ、家の裏にある墓地まで引きずっていかれた。親父に大きな墓石に押さえ付けられた後、お袋にロープで何重にもぐるぐると縛り付けられた。ふたりがかりで、おれは何度も何度もお仕置きされた。
 小学校の高学年にもなるとお仕置きはもう慣れっこだった。それでも深夜の墓地は怖くて仕方がなかった。きょうだいは大勢いても、帰る家があっても、おれはひとりぼっちなんだ――そんな思いだけがどんどん大きくなっていった。


 この加村さんのすごいところは、親の虐待に耐えかねて、自ら家を出てサバイバル生活を開始し、それを40年以上も自分の意思で続けてきたことなんですよね。
 
 太平洋戦争後、生き残った日本の兵士たちが、まだ戦争が続いていると信じて、ジャングルでのサバイバル生活を行っていた、という事例はあるのです。
 彼らは、敵にやられるという恐怖と、まだ戦争が続いているという使命感があって、否応なくそういう生活をしてきたのですが、「洞窟オジさん」は、(とんでもない虐待をするひどい親であっても)帰る家があったし、実家に戻らなくても、人間のなかでの暮らしに戻る機会はたくさんあったんですよね。
 それでも加村さんは、「洞窟暮らし」を選んだ。
 そして、二度と家に戻ることはありませんでした。
 どんなに家でひどい目にあっていたとしても、まだ13歳だったのに。
 

 他に何か食べる物はないかとあたりを見回したら、洞窟の入り口のところに枯れ草がこんもりしているのが目に入った。何気なく枯れ草をはがしてみた。平べったい石ころが出てきたので、それもどかしてみる。すると、ヘビが何匹もとぐろを巻き、固まっていた。もう寒くなっていたから冬眠していたのかな。いろんなのがうじゃうじゃといた。たぶん20匹はいたんじゃないかなぁ。とんでもなくでかいのはいなかったけど、どれもこれもほどよく太っていた。
 気持ち悪いなんて思わなかった。それよりも、食べるものが見つかったとホッとしたぐらいだ。子供の頃に、親父と山に入ってヘビを捕まえて食べたことがある。料理といっても何もできなかったから、皮をはいで日干しにしてから焼いて食べるだけだったけど、これが意外にうまかったことを覚えていた。
 ヘビのつかみ方は親父のやり方を見ていたのでわかっていた。まず自分の髪の毛を数十本鉈で切り、燃やす。そうすれば、焼けたにおいに誘われてヘビがニョロニョロとはい出してくる。そこで後ろから首根っこをつかんで、口のところを持って尾に向かって一気にバリッと裂くんだ。こうすればはらわたもきれいに取れる。首をもぎ取り、肉は食べやすいように木の枝で叩き、ヘビに多い小骨を粉々に砕いておく。


 よくこんなに覚えているなあ、と感心してしまうくらい、「洞窟オジさん」は、洞窟生活で食べたものや日常生活を詳しく説明してくれています。
 あれだけ酷い目にあわされた親だけれども、その親に教えてもらったスキルを活かして生き延びていたのだよなあ。
 でも、ヘビが大の苦手の僕としては、洞窟でヘビに遭遇したら、それだけでもう洞窟生活をリタイアしてしまいそうです。手で捕まえて、食べる、のか……

 家出したときから着ていたYシャツも学生服もジャンパーも靴も、もうボロボロだった。靴のゴム底には穴があき、布は擦り切れて、糸だけでかろうじてつながっていた。ひもを外し、靴底だけをつるで足に結わえて靴の代わりにしていたけど、履き心地は最悪だった。
 学生服は、まずズボンの膝が擦り切れてボロボロになり、あちこち穴も開いていた。裾も糸がほつれてビラビラだ。山の中を歩くので、枝が刺さったり岩肌にこすれたりして、生地もペラペラになってしまった。色も変わった。黒い学生服は薄い紺色になり、ボタンは全部なくなってしまった。
 それでも、おれは家にいるより幸せだった。3日間何も食べられなくても、服はボロボロでも、おれにはシロ(加村さんと一緒に家を出てきた犬)という相棒がいる。だから、家に帰りたいとも、学校に行きたいとも一度も思わなかった。


 加村さんは、よほど家で辛い目にあわされていたんですね。でも、学校に行きたいとも思わなかったのか……


 加村さんは、その後、洞窟を出て、山菜をとってきて売ったり、川辺で魚を獲ったりして暮らしていたそうです。
 長年、字の読み書きもできませんでした。


 一時的に、住み込みで内装の仕事をしたものの周囲との折り合いが悪くなって飛び出してしまったそうです。
 

 その後、請われて知的障がい者の自立支援施設で働くようになった加村さんは、施設での仕事とともに、子供たちにサバイバル術を教える教室も開くようになりました。
 親切な人々との出会いもあって、「社会復帰」していったのです。
 ただ、子供ならともかく、還暦くらいの人に、今さら「日本の高度成長期を渡ってきた人」と同じように適応することを求めるのが正しいことなのかどうか、僕にはわからないのですけど。
 だからといって、「もう、ずっと洞窟で勝手に暮らしてもらえば良いじゃないか」とも、言えませんよね。

 それでもおれには、やり残したというか、やってみたいと思っている夢は、まだあるんだ。
 おれが経験したサバイバル術を子供に教えることで、ひとりでも多く、たくましく生きてほしいと願っている。1泊でもいい、一緒に山に入ってナイフや斧の使い方を教えたい。まずは屋根と寝床を確保する家作りだ。食糧と水はカブトムシの幼虫だったり、川や湧き水がなければ木から水分を確保すればいい。山奥へ行けば白樺の木はたっぷりと水分を含んでいるからナイフの先端で穴を開けて、その下に竹筒を置いておけば水が流れてくるってもんだ。火をおこすときは、弓矢のような弦に棒を巻き付けて回す。棒の先端と松やにの摩擦によって火をおこせる。
 ところが、子供たちがサバイバルを経験したいといっても、今の親たちはナイフは危ないとかいわないだろうか。親がサバイバル術を知らないのなら、まずは親とサバイバル経験をしたほうがいいかもしれないな。


 なんのかんの言っても、親の影響ってけっこう大きいですよね。
 加村さんも、厳しく折檻された親の知識をずっと役立ててきたわけだし。
 うーむ、僕は自分の子供たちに、「サバイバル術の魅力と意義」を伝えることができるだろうか。
 スマートフォンでのSOSの出しかた、とかのほうが、今の日本では生き残るために有益なのでは……とか、つい考えてしまうのです。
 インドア父さんで、すみません。


洞窟ばか (扶桑社BOOKS)

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