琥珀色の戯言

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【読書感想】トランプのアメリカに住む ☆☆☆☆

内容紹介
ハーバード大学客員教授として1年間、ライシャワー日本研究所に滞在した著者が、この社会を中心近くの崖っぷちから観察した記録。非日常が日常化した異様な政権下、この国が抱える深い暗部とそれに対抗する人々の動きをリアルタイムで追う。黄昏の「アメリカの世紀」とその未来について考察する、『世界』好評連載の書籍化。


 2017年9月から2018年6月まで、ハーバード大学客員教授として赴任し、マサチューセッツ州ケンブリッジに滞在した著者による、「トランプ大統領アメリカに住んでみた」。
 

 私の滞在は、2017年1月に大統領に就任したドナルド・J・トランプの政権一年目から二年目にかけての時期となる。どんな大統領でも、就任して一年目から二年目あたりは政権の本性が見えてくる頃である。ところがトランプ政権の場合、一年を経過するよりもずっと前から、大統領自身の口から性懲りもなく飛び出す暴言とコロコロと変わる決定で、アメリカ社会を混乱の渦中に陥れていた。何よりも、歴代大統領が暗黙裡に前提としてきた常識から大きく逸脱する非常識この上ない政権が巻き起こす混乱は、アメリカという国が長く隠蔽してきた多くの亀裂や根深い問題を、次々に白日の下にさらけ出していた。「トランプのアメリカ」の虚勢や自惚れ、エゴイズム、差別意識反知性主義ポスト真実等々——そのすべてが、今日のアメリカそのものなのである。まさにそのアメリカに住むことで見えてくる世界の変容とは何か。ハーバードでの授業準備の傍ら、それも考えなければならないと私は思い始めた。


 この本、東大からハーバードに赴任した大学教授が書いている、ということもあって、読んでいると、「ああ、日本でもアメリカでも、インテリ層のトランプ政権へのイメージって、こんな感じなんだよなあ」と、けっこう鼻につくところがあるんですよね。
 いや、僕自身も、どちらかといえば、その「腐れインテリグループ」に属するだけに、彼らのスタンスは理解できるのです。
 僕も、トランプ大統領が言っていることも、やろうとしていることもけっこうムチャクチャで、それでもアメリカには、その暴挙を無効にするいろんなシステムがあるのだなあ、と、この「自由の国」がけっこううまくできていることに感心しているので。
 ただ、著者がこうしてマサチューセッツ州からトランプ大統領の間違いを指摘し、その支持者たちを批判すればするほど、トランプ大統領支持者との乖離はすすんでいくのだろうな、と考えずにはいられません。


 著者も、トランプ大統領を支持している人たちを無視したり嘲笑したりしているわけではないのです。
 知ろう、理解しようとしているのは伝わってくるんですよ。
 でも、アメリカの社会、とくにハーバード大学のようなコミュニティでは、アメリカに住んでいても、ラストベルト(さびれた工業地帯)の労働者階級と直に接する機会はほとんどないはずです。
 そこで、「わかったようなこと」を書くよりは、誠実なのかもしれません。

 彼らは極貧で生活している人々ではない。たとえばその一人の家の地下室に案内されると、そこには「野球大会のトロフィーが50個ほど、メダルも60個ほど。ベンチプレス、ルームランナー、テレビゲーム、ジャグジー風呂、モノにあふれた、米国のミドルクラスの豊かな暮らしぶりがそのまま保存されていた」。彼は、かつて「平日は製鉄所で、週末は野球場で汗を流した。試合の遠征があれば有給休暇を充てた。……労働者は手厚く守られていた」という。今、彼らは「かつての豊かな暮らしが終わる。低所得層に転落しそうだ」、あるいはもう自分は転落し、生活の先が見えないという不安を抱え、さらにその子世代は、「子どもの頃に当然だったことを、大人になった自分は実現できていない」という現実に直面している。
 毎週の講義準備や身の回りのことで精一杯で、トランプ支持者のコミュニティに分け入ることなどまるでできていない私は、ニューヨークを訪れた際、特派員として駐在する金成氏と会って話を聞くことにした。印象に残ったのは、彼がトランプ支持者との会話から感じ取った「誇りが失われる」、あるいは「失われている」という感覚の政治力学である。この恥辱とも喪失感ともいえる感覚にトランプは言葉を与え、亀裂を広げ、その広がった亀裂を利用して自分を押し上げていった。彼らは「自分の声など誰も聞いていない、自分の暮らしぶりに誰も関心がない。あきらめに近い思い」を持っていた。そんな人々の心をつかむのは政策の「正しさ」ではない。そこで彼らの喪失感や恥辱を「敵」への攻撃に転化させる詐術をトランプは使い続けた。トランプを支持した人々は、まだ自分が詐欺に引っかかったことに気づいてはいない。というか、最初からそれに気づいていても、気づかないふりを続けるのである。
 「トランプ王国」の住人たちにとって、物事のプライオリティは明白である——「生活」と「誇り」。大統領候補が語る政策の実現可能性や主張の間の矛盾はさほど気にしない。民主党候補はもっと「配管工、美容師、大工、屋根ふき、タイル職人、工場労働者など、両手を汚して働いている人に敬意を伝えるべき」だったというのは、金成が取材をしたラストベルトの地元委員長の言葉である(「朝日新聞」2017年11月16日)。彼らは自分の仕事に「誇り」を持っており、その「誇り」を維持できなくなった現実に絶望している。


 著者が書いていることは「正論」なんですよ。
 でも、彼らがトランプ大統領を支持するに至ったのは、それまでの民主党の政治が、「自分たちから誇りを奪うグローバリズム」や「インテリ、富裕層には口当たりが良く、極貧層には厚めの社会保障を提示して票を集める一方で、これまでのアメリカを支えた中流階級や労働者たちを軽んじてきた」ように感じ続けていたからだと僕は思うのです。
 彼らは、新自由主義グローバリズムから取り残された人々で、このままではじり貧になると危機感を抱いており、「それならば、とにかく何かを変えてくれる人」として、トランプ大統領を選んだのです。
 世の中には、悪いほうに変えるのであれば、変えないほうがマシなことって、たくさんあるんですけどね。
 いままで持っていたものを失っていく怖さというのは、当事者でないと、わからないものなのかもしれません。
 彼らはバカではない。
 でも、「座して死を待つよりは、変えてくれそうな人に賭ける」あるいは「トランプ大統領が大嘘つきでも、いままで好き勝手に富や権力を独占してきたインテリやリベラルの連中も道連れにしてやる」というのは、道連れにされるほうは傍迷惑でも、思考の過程としては、理解可能ではあります。

 
 この本を読めば読むほど、アメリカの「断絶」を感じずにはいられなくなります。
 そして、日本で現在のアメリカを語る人の多くが、「良識あるインテリ」であるがゆえに、アメリカの半分の情報が、偏見とともに伝えられているように思われます。
 
 現実には、アメリカの人口動態を考えてみると、「中流にしがみつきたい白人労働者」たちは、これから、どんどん少数派になっていくと予想されているのですが。


 著者が指摘している、日本とアメリカの大学制度についての提言は、興味深いものでした。

 要するに、アメリカの大学生活は、日本のよりもはるかにメリハリが利いている。働くときは集中して働き、学ぶときは真摯に学ぶが、時間が過ぎるときっぱりそこから離れる。もちろん日本の大学人だって、多くの人はそのほうが望ましいと思っているに違いない。しかし、日本の大学では決められるべきことが延々決まらず、多くの教職員が手続きや調整、意思決定に膨大な時間を使い、結果として業務が果てしなく続く。教員も職員も、先の見えない非効率な長大な時間を使い、結果として業務が果てしなく続く。教員も職員も、先の見えない非効率な長時間労働でやがては疲弊していくのが現実である。なぜ、ハーバードでごく自然に実現できていることが、日本のとりわけ国立大学ではまったく実現しないのか——。
 その最大の原因は、大学の諸機能の専門分化が進んでいないことにある。私が渡米してハーバード大学で諸々の手続きを始めたのは2017年8月のことだった。最初の二週間、私はライシャワー日本研究所の優秀なスタッフに助けられながら多くの手続きをした。おそらくは日本の大学ならば、この手の手続きは所属学部の総務課あたりに書類が揃っていて、その係員に助けられながらその場で書類に記入していくだろう。その際、決定権は職員にはないので、諸委員会を経て1か月くらい後に決定が下されることになる。ところがハーバードでは、私はあちこちの専門職員のオフィスに連れていかれ、質問に答え、提示される書類にサインをした。それ自体は面倒だが、その職員の承諾が得られると、その場で私に関するすべての事項が決定された。ちょうど入国ビザが、大使館の係官の面接によって決定・支給されるのと同じである。各専門職員は、自分の職掌の事項では直接、最終決定権を持っているのである。
 つまりハーバードでは、各分野で決定権を持った職員がおり、その人自身の判断で相当なところまで決裁できる。より上位の誰かに確認したり、委員会に諮ったりといった手続きは行わない。このように意思決定の専門化と分業化ができていることが、ハーバードという巨大組織の運営を効率化している。ところが日本のとりわけ国立大学では、意思決定を過剰に合議制に委ねているため、職員が決定権を持つ範囲が狭く、そもそも職員の専門職化も進んでいない。


 僕はアメリカの大学で働いたことはないのですが、日本の大学(多くの組織にもあてはまる)はなんでも決めるのに時間がかかるし、「みんなの意見をきいて」という名目で参加者の人数がムダに多くて、会議の数もさらに増えていき、とにかく効率が悪いんですよね。
 大学の偉い人たちは「自分たちの決定権を保持しつづけること」を重視しているのだろうけれど。

 日本の大学は、もっとみんなが時間を有益に使えるように、役割分担や専門性を考えて、効率化したほうが良いと僕も思います。

 ちょっと言い回しが凝りすぎていて、とっつきにくいところもありますが、こういう本こそ、頑張って読んでみるべきなのでしょう。



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