琥珀色の戯言

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【読書感想】「言葉」が暴走する時代の処世術 ☆☆☆

「言葉」が暴走する時代の処世術 (集英社新書)

「言葉」が暴走する時代の処世術 (集英社新書)

内容(「BOOK」データベースより)
いつでも、どこでも、誰とでもつながれる時代。しかし、かえって意思疎通がうまくいかないと感じることはないだろうか。「わかってもらえない」といった日常の出来事から、SNSでの炎上、引きこもりなど、コミュニケーションが断絶されるケースが増えている。この問題に、爆笑問題太田光と霊長類学者の山極寿一が挑む。ときに同意し、ときに相反しながらたどり着いた答えとは―?私たちは誤解している。大切なのは、「わかってもらえない」ではなく、「わかろうとすること」、そっと寄り添うことなのだ。コミュニケーションに悩む全ての人に贈る処方箋!


 爆笑問題太田光さんと霊長類学者・京都大学総長の山極寿一さんによる「SNS時代のコミュニケーション」についての対談です。

 学生時代、同級生と全く喋らずに過ごしていた時期があった、という太田さんと、霊長類、とくにゴリラの研究で、「言葉を介さないコミュニケーション」を観察しつづけてきた山極さん。
 お二人は、スマートフォン、とくにSNSの普及で、「コミュニケーションが、言葉に依存しすぎていること」を危惧しているのです。

 この本の「まえがき」で、太田さんは、スウェーデンの16歳の女性グレタ・トゥーンベリさんの演説について、こう書いておられます。

 彼女は学校を休んで活動をしている少女で、いつまで経ってもCO2排出量制限の目標を達成できないでいるすべての国々に対して怒りをぶちまけているのだ。


「人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね」


 少女の演説は衝撃的で、世界中のメディアで報道された。日本でも、幼い彼女があれだけ堂々と訴えているのに比べ大人たち、政治家たちは情けないという意見が多く出た。私もあの演説はショックだった。何より一番衝撃を受けたのは少女の言葉でも、温暖化の現状でもなく、表情だった。あれほど憎悪に満ちた顔はあまり見たことがない。


「もしあなた方が私たちを裏切ることを選ぶなら、私は言います。『あなたたちを絶対に許さない』と」


 言葉を聞かずともその気持ちは表情に溢れていた。彼女は心の底から大人を憎んでいる。それも世界中の大人たちを。
 私は現在、54歳だが、自分はどうだっただろうと考えた。今までにあの子ほど人を憎んだことがあるだろうか。


 もともとの顔のつくり、というのは、あるのかもしれませんが、たしかに、グレタ・トゥーンベリさんの演説は、内容よりも、あの表情のほうがインパクトが強かったことに、これを読んで僕も気づきました。
 同じようなことを言っている若者は、世界中に大勢いるはずなんですよね。
 でも、あれほどの「憎悪」を伝えることができる人は、そんなにはいないはず。
 多くの人々は、演説の内容よりも、「自分たちが憎まれている」ことに、反発しているような気がします。
 同じ内容を、穏やかな声と表情で訴えられたとしたら、みんな、「若いねえ」なんて言いながらスルーしていたのではないでしょうか。

 実際のコミュニケーションでは、人は、言葉の内容だけではなく、相手の表情や仕草、間などの、さまざまな要素を含めて判断しているのです。
 ところが、SNSでは、「言葉」ばかりが重くなってしまう。


 太田さんは、自分が出演していた政治バラエティ番組への反応が知りたくて、『2ちゃんねる』の自分についてのスレッドを覗いてみたことがあるそうです。

太田光顔はもちろん、名前もわからない相手が画面に無数に出てきて、みんなが「太田、死ね」って書いているんですよ。こんなにも多くの人間から、俺は憎まれているのかと思うとね、それはもう何とも言えない気持ちになりますよ。そのときに思ったのが、同じようなことを、子どもがされたらどんな気持ちになるだろうなって。俺なんかは、その当時、40を過ぎていて、人前に出る商売をやって、クレームにも慣れている人間なんだけど、それでもこんなに傷つくんだから、小学校や中学校の同級生から「死ね」とか言われている子どもは、もう生きてらんないだろうなって。こんなサイトをそのままにしておいたらいけないと思いました。
 ところがなんとも不思議なことに、今では「死ね」とか言われても慣れちゃって全然平気なんです。すると、生まれたときから、そういう環境で育っている子どもたちは、SNSで「死ね」とか言われても何にも感じないんじゃないかって。


山極寿一:やっぱりディストピアに向かっていると思わざるを得ないような話だね。もう言葉にも身体で反応できなくなっているのかもしれない。


太田:今の子どもたちが言葉に対して持つ感覚は、俺らとはまったく違うような気がするんです。なんだろう、言葉に対する免疫反応みたいな能力を持っているのかもしれない。


 この対談を読みながら、僕のなかでは「やっぱり、言葉に、とくにディスプレイに表示された文字に偏重したコミュニケーションは危険だよなあ」というのと、「とはいえ、今さら『SNSのない社会』『対面コミュニケーション中心の世界』が戻ってくるとも思えないし、これからの人間は、SNSでのコミュニケーションに適応していくだけではないか」という気持ちがせめぎあっていたのです。
 そのリスクは承知していても、われわれは「インスタ映え」を捨てられない。
 

太田:「伝える」ということでいうと、俺は相模原で起きた障がい者施設の殺人事件のことを思い出すんです。


山極:というと?


太田:あの犯人は、「障がい者には生きている価値がない」みたいな勝手なことを言っていた。人と言葉でうまくコミュニケーションできないような人たち、「何も表現できない人間」には生きている価値はないんだと。あの犯人の風貌を覚えていますか? 全身に入れ墨をして、整形もして、自己主張の塊みたいなやつです。変わっているとはいえ、言葉だって話す能力はある。だけど、彼を理解していた人は周りにどれだけいたんだろうと思うんです。ほとんどいなかったんじゃないか。
 一方で、あの施設に入所していた人々は、言葉はうまく話せなかったかもしれない。でも、家族や施設の人たちと、ちゃんとコミュニケーションは取れていた。少なくとも、入所者の気持ちを、みんなでわかろうとしていた。周りとコミュニケーションが取れていたのは、一対どっちなんだという話です。それは言うまでもなく、あの施設の入所者たちのほうです。わかりたい、寄り添いたい、そう思う人たちが周りにいた。「伝える」ための小手先のテクニックを磨くより、周囲にそういう人たちがどれだけいるのか。そのことのほうが重要なんじゃないかと思うんです。


山極:おっしゃるとおりだと思います。犯人こそ、自分が誰にもわかってもらえない怒りと絶望を抱えていたのかもしれない。


太田:だからコミュニケーションにおいて重要なのは、表現力があるかどうかではなくて、自分の言葉に耳を傾けてくれる人、自分に興味を持ってくれる人をどれだけ持っているかじゃないかと思うんです。コミュニケーション能力というのは、決して表現力だけの問題じゃない。


 僕が数ヵ月外国に滞在したときに実感したのは、コミュニケーションというのは、その国の言葉の上手い下手よりも、相手が「この人の話を聞いてあげよう」という姿勢でいるか、「英語もうまくしゃべれないような奴には、めんどうだから関わりたくない」と考えているかの影響が大きい、ということでした。
 「言葉もわからないアジア人に関わるのはめんどくさいなあ」って思っているのが伝わってくることも多々ありましたし、そんななかで、こちらの話を聞いて、助けてようとしてくれた人が少なからずいたこと心から感謝しました。
 日本では、僕も外国から来た人に対して、「うまくしゃべれないから、めんどくさいなあ」と避けてしまうことが多かったのです。

 コミュニケーションの「技術」が語られがちだし、それは、ビジネスの場では重要なのだと思います。
 でも、いちばん大事なのは「自分に興味を持ってくれて、メッセージを受けとろうとしてくれる相手が存在すること」なんんですよね。
 もちろん、そういう関係を築くためには「言葉」が重要な役割を果たすことが多いのですが。


 たぶん、これからの人間は、LINEのスタンプから、相手の「表情」を類推する、というようなコミュニケーションに長けていくのでしょうし、その流れは、もう止められない。
 だからこそ、「言葉だけが上手い人」には、注意が必要だし、「一緒にいて心地よい人」の重要性は、変わらないと思います。


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