琥珀色の戯言

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英国王のスピーチ ☆☆☆☆☆



映画『英国王のスピーチ』公式サイト(注・音が出ます!)

あらすじ: 幼いころから、ずっと吃音(きつおん)に悩んできたジョージ6世コリン・ファース)。そのため内気な性格だったが、厳格な英国王ジョージ5世(マイケル・ガンボン)はそんな息子を許さず、さまざまな式典でスピーチを命じる。ジョージの妻エリザベス(ヘレナ・ボナム=カーター)は、スピーチ矯正の専門家ライオネル(ジェフリー・ラッシュ)のもとへ夫を連れていくが……。

2011年7本目の劇場鑑賞作品。
日曜日の10時台からの回だったのですが、観客は30人くらい。
けっこう年配の人が多かったです。

僕は、この映画を観ながら、大学の同級生のことを思い出していました。
彼女は吃音症ではなかったのですが、人前で喋るのが苦手で、プレゼンテーションの際に、いつも教授に怒られていたんですよね。
「もっと大きな声で喋らないと聞こえないよ!」って。
彼女は就職してから上司の勧めで、「大きな声が出せるように」と歌の教室に通ったりもしていたのですが、その後、どうしているのかはわかりません。
でも、「もっと大きな声で」と怒られるたびに、どんどん声が小さくなってしまうのを目の当たりにすると「人前で話すことが難しい」というのは、それを要求される人々にとっては、すごくつらいことなのだろうな、というのは伝わってきました。

それなら、人前で喋らなくてもいい仕事につけばいいんじゃない?
そう言う人もいるかもしれなけれど、「誰かと話をする」というのは、まさに、「他者とのコミュニケーションの、ほとんど唯一に近い入り口」なんですよね。
そこで打ちのめされてしまうと、あらゆることに自信が持てなくなってしまう。


この『英国王のスピーチ』のあらすじを最初に聞いたとき、僕は、「かわいそうな王様と完全無欠の名医の感動の物語」だと想像していました。
でも、この作品は、英国王室がサポートしているにもかかわらず、ジョージ6世の吃音症と気難しく、癇癪持ちという性格をちゃんと描いています。
ライオネルも、「完璧な名医」なわけではなくて、役者を志すも、「そのオーストラリア訛りじゃ、シェイクスピアは無理だ。年もとってるし」なんて言われ、生きる手段として、「言語療法」をやっている人物です。
この「欠点だらけの2人の人物」が、お互いの立場をこえてぶつかりあい、いがみあいながらも、少しずつ近づいていく、それがこの『英国王のスピーチ』。
ジョージ6世が本当に必要としていたのは、「吃音症の治療のために自分に仕える医者」ではなくて、たったひとりの「心を開ける友人」だった。
この映画のなかで、どうしても言葉が出ないジョージ6世に、「もっとリラックスして」と父王がアドバイスする場面があるのですが、リラックスしろと言われてできるくらいなら、苦労しないんですよね。
でも、それができる人にとっては、他人がなぜできないかを理解するのは本当に難しい。


コリン・ファースは素晴らしい役者さんだと思います。
もともと「喋ることのプロ」である俳優が「吃音症」という病気のことを理解し、演じるのはとても難しかったはず。
彼の演技は、「技術」だけではなくて、「こころ」も伝わってくるものでした。
名前を聞いたとき、コリン・ファネルはいつからそんな演技派になったんだ?と勘違いしてしまって申し訳ない。
(いや、『アレキサンダー』のときに、コリン・ファネルさんは「彼の英語は訛っていて王らしくない」なんてバカにされていたので、この「言葉」を題材にした映画で演技を評価されたのであれば、ちょっといい話だな、とか思っていたんです)

シェイクスピアの『お気に召すまま』という舞台に

世界は劇場。男も女もみな役者

という有名な台詞があります。
この映画のなかでも、ジョージ5世は息子に「昔の王は馬に乗っていればよかったが、いまの王は、ラジオで民衆に語りかけるのが仕事だ」と話していました。
人生とは皮肉なもので、それを最も望まなかった男が王として世界という大舞台の「主役」を演じなければならず、演劇の舞台に立つことを切望していた男は主役を支える「黒子」にならざるをえなかった。
そして、ふたりの間には、役者としての友情が生まれた。


クライマックスの「国王のスピーチ」は、内容的には、別にそんなに素晴らしいものではないと思うんですよ。
でも、この映画を観ていると、ヒトラーの「上手な演説」よりも、ジョージ6世の「危なっかしくてしょうがない演説」のほうが、ずっと愛おしく感じられるのです。
僕はなんでも「気持がこもっていれば良い」とは思いません。
やっぱり、「伝えるための技術やトレーニング」は大事なことだから。
大きな声や喋り方の工夫で、「伝わる」ようになることは少なくないし。


しかしながら、代議士の流暢なスピーチよりも、披露宴の最後に、新郎の父親がべろんべろんになって、涙を流しながら行う、まともに言葉になっていないようなスピーチのほうが、僕たちの心を打つことがあるのも事実です。
「言葉でなにかを伝える」っていうのは、本当に難しい。

それにしても、今年のアカデミー賞の作品賞を争っている2作(『英国王のスピーチ』と『ソーシャル・ネットワーク』)が、いずれも「人と人とのコミュニケーション」を題材にしているというのは、象徴的なことですよね。「多くの『自分に合った人』とネットを通じてつながろうというシステムをつくった男」と「たったひとりの『本音で語り合える存在』がいないことに苦しんでいる男」、それぞれの物語。
どんなにシステムが進化しても、他者とのコミュニケーションというのは、人間にとっての「悩みの種」であり続けるのでしょう。

淡々としながらも、噛めば噛むほど味が出てくる、そんな映画だと思います。
ぜひ、多くの人に観ていただきたい。


彼女もどこかでこの映画を観て、少し勇気づけられていればいいな、などと考えながら。

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