Kindle版もあります。
その愛は、あまりにも切ない。
正しさに縛られ、愛に呪われ、それでもわたしたちは生きていく。
本屋大賞受賞作『流浪の月』著者の、心の奥深くに響く最高傑作。
ーーわたしは愛する男のために人生を誤りたい。
風光明媚な瀬戸内の島に育った高校生の暁海(あきみ)と、自由奔放な母の恋愛に振り回され島に転校してきた櫂(かい)。
ともに心に孤独と欠落を抱えた二人は、惹かれ合い、すれ違い、そして成長していく。
生きることの自由さと不自由さを描き続けてきた著者が紡ぐ、ひとつではない愛の物語。ーーまともな人間なんてものは幻想だ。俺たちは自らを生きるしかない。
2023年本屋大賞受賞作。
正直、僕はこの本の著者の凪良ゆうさんの小説が苦手です。
fujipon.hatenadiary.com
fujipon.hatenadiary.com
なんだか最近の『本屋大賞』ノミネート作や『王様のブランチ本』って、「生きづらさ」とか「毒親」とか「泣ける」みたいな話ばかりで食傷してもいるのです。
これを書いている時期、映画『ザ・フラッシュ』が公開されていて、ネットでの映画の宣伝で「まさか、『フラッシュ』で泣くなんて思ってないじゃないですか、だから、ハンカチとか何も用意していなくて……」という女性のコメントを何度も見ました。
みんな、このCMを観て、「おお、『泣ける映画』なのか!」って映画館に出かけるのだろうか。
僕は、「泣いたり感動したりする『ザ・フラッシュ』とか、なんか違うんだよなあ」としか思えないのです。
というか、なんでもかんでも「泣かせればいい」わけじゃないと思うし、「狙いすましたお涙頂戴作品」ほど泣けないものはない。
この『汝、星のごとく』、ものすごく評判が良いのだけれど、僕は「ああ、『ノルウェイの森』とか『世界の中心で、愛をさけぶ』とか、若者の恋愛+難病ものって、10年に一度くらい大ベストセラーが出るよなあ」と思いながら読みました。
ただ、これまでの作品が男性側が主人公で、女性が「壊れていく側」だったのに対して、『汝、星のごとく』に時代の変化を感じたのも事実なのですが。
僕自身は「恋愛体質」的なものとは縁がないし、こういうステレオタイプな「田舎の閉鎖性と大自然」とか、「永遠の初恋」とか、もううんざり、なんですよ。
というか、ヤングケアラー同士の共依存+やりたい盛りを徹底的に美化し、アルコール依存の迷惑な大人として長生きするわけでもない、現実離れした話だなあ、と。
「理解のある男」が絶妙のタイミングで登場してくるのも、なんのかんの言って、あっさり他の人と寝ちゃうところも、「こんな安酒で酔える人はコスパが良いねえ~」とか言いたくなるのです。
「好きな人が自由に生きられるように何があっても応援する」って、そんな都合のいいヤツを「理想の人」みたいに持ち上げる読者がたくさんいることにも驚かされます。君たちはヤフコメで広末涼子さんがバッシングされているのはおかしい、と思っているのかね?
広末さんに関しては、僕も「自分には関係ないし、野球の結果や新作ゲームの発売日のようが重要」ではあるんですけど。
フィクションでは「自由に生きている人」にみんなが憧れ、「私もそんなふうに生きたい」「周囲の無理解に憤りを感じる」のですが、同じようなことを現実でやる人がいると「子どもがかわいそう」「不倫は民法上の犯罪」「親の顔がみたい」の大合唱。
『嫌われる勇気』のアドラー心理学と同じように「それはひとつの考え方ではあるけれど、人はそんなに簡単に人を許せないし過去をリセットできない」のです。僕は半世紀くらい生きていきたけれど、「教え子に手を出す教師」は信頼に値しない、というサンプルをそれなりの数みてきました。
結局みんな、自分にとって「都合のいい男」「都合のいい女」「都合のいいパートナー」が好きなだけじゃないのか。
(いや、僕だってそうだけどさ)
中島らもさんが、アンドレ・ジッドの「女にとって、男は、愛を引っかけるための釘にすぎない」という言葉を紹介していたのを思い出します。
ただ、これまでの恋愛小説って、「ひたすら尽くしてくれて、いいタイミングで退場してくれる運命の人」は、だいたい、男からみた女だったのです。
そういう「定跡」を違和感なく覆してみせたところが、この作品の新しさであり、時代性ではありそうです。
この作品が「純愛」「自由に、自分の感情のままに生きる」人たちの物語と肯定されるのであれば、ベッキーさんや広末さんも、もう少し温かく見守られてしかるべきではなかろうか。
その一方で、もう50を過ぎたオッサンになると、こういうのは「なろう小説」みたいなもので、現実にはできない、起こりえない物語に触れることで気分転換をして、また、ヤフーコメントの世界に戻って生きていくための「避難場所」だと割り切るべきなのかな、とも思うようになりました。
アルコールは身体にはよくない。でも、酒を飲んでストレスを発散させたい夜もあるし、そうすることは「いたしかたない」ことではある。
酔っ払うための飲み物に、「こんなのに酔わされるなんて」とか言うのは不粋だし、余計なお世話でしかない。
僕には酔いにくい酒だけれど、読んでいて「まあ、一度きりの人生だし、本当に自分がしたいことに耳を澄ませべきだよな」と何度か思ったのも事実です。
「こんなやつは現実にはいない」からこそ、フィクションには価値がある。
実際は「事実は小説より奇なり」と感じることもたくさんあるんですけどね。