琥珀色の戯言

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【読書感想】イェール大学集中講義 思考の穴──わかっていても間違える全人類のための思考法 ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

本書の著者は、学生たちが日々直面する
思考の不具合に関する問題について
「シンキング(Thinking)」という授業を開始したところ、
大講堂が毎週、満員になる前代未聞の大人気に。

・人は論理的でも合理的でもない
・戦略的に「論理的思考力」を向上させる
・人は「自分のこと」がとても知りたい
・あえて「偶然」に身を委ねる
・誤謬を避けるには「大数の法則」を利用する
・「データサイエンスの思考法」で考える

ノーベル賞研究から、BTSのダンスまで、
ありとあらゆる角度から語り尽くして、
世界最高峰のエリートたちを熱狂させている、
伝説の「思考教室」、ついに日本上陸!


 アメリカ東部の名門大学群アイビー・リーグに所属する8大学のうちの1校、イェール大学。その人気講義「シンキング(Thinking)」を担当しているのが著者なのです。

 ハーバード大学、とかケンブリッジ大学、とか海外の有名大学で人気!と言われるだけで、もう「すごいに違いない!」と思い込んでしまうのですが、この本を読むと、そういう自分のイメージとか第一印象に対して「ちょっと待てよ」と一呼吸置く、そんなことを意識できるようになります。

 人間は、自分が考えている以上に「先入観」とか「思い込み」に支配されている。
 ただし、著者は、それを完全に否定しているわけではなくて、人間が膨大な情報のなかで効率的に生きていくには、そういう機能は不可欠なのだ、とも述べているのです。

 2003年にイェール大学の心理学教授となってからは、人を惑わせるさまざまなバイアスについて調べ、さらにはそうしたバイアスを正す方法を考案してきた。その方法は、日常生活で遭遇する状況に実際に適用できるものだ。
 また、調べると決めた「バイアス」だけでなく、それ以外にも存在するありとあらゆる「思考の不具合」について探究してきた。私や私を取り巻く人たち(学生や友人、家族など)を困った状況に追いやるさまざまな問題だ。
 課題を先延ばしにした学生は、することはまったく同じなのに、いま対処するより未来に対処するほうが上手くできると思ってしまい、後から苦しむことになった。私の教え子を誤診した医師は、自身が立てた仮説を裏付ける質問しか尋ねなかったから誤診した。
 それから、現実を一方向からしか見ようとせず、自分に降りかかる災難を全て自分のせいにすることで不幸になる人もいれば、自分に非があると考えもしない誰かのせいで不幸になる人もいる。
 また、相手が絶対にわかる言葉で伝えたと思っていたら、実際には完全に誤解されていて苦々しい思いをした夫婦もいる。


 著者は、さまざまな具体例を挙げ、ときには実験をしてみせて、無意識のうちに「バイアス」に影響されていることを示していきます。

 まずは、韓国の人気グループBTSが歌う「Boy With Luv(ボーイ・ウィズ・ラブ)」のニュージックビデオから切り取った6秒の動画を流す。このビデオのユーチューブでの再生回数は、14億回を上回る。私はあえて、振り付けが複雑すぎない部分を選んで切り取った(公式MVを見つけた人は、1分18秒から1分24秒の部分を参照)。
 動画を流し終えたら、そのダンスを踊ることができた人に賞品を用意したと告げる。そして同じ動画をもう10回流す。さらには、このダンスの指導用に制作されたスローバージョンの動画も流す。
 そのうえで、ダンスに挑戦する志願者を募る。
 ひとときの名声を得ようと10人の勇敢な学生が講堂の前方へやってくると、他の学生たちから大きな歓声があがる。声を上げた学生のほとんどが、自分も踊れると思っているに違いない。何度も繰り返し動画を見れば、私ですら踊れそうな気がしてくる。しょせんはたった6秒のダンスだ。それほど難しいはずがない。
 観客となった学生たちから、画面ではなく自分たちのほうを向いて踊れとの要求が飛ぶ。そして曲が流れ出す。志願者は腕を激しく振り回し、跳んだりキックしたりするが、そのタイミングはみなバラバラだ。誰かはまったく違うステップを踏み、何人かは3秒で踊るのをあきらめる。その姿に、みなが大笑いする。


 前に出てきた同級生たちの奇妙なダンスで盛り上がる教室の様子が伝わってきます。
 同じことを日本でやったら、積極的に前で踊ってみせようとする学生は少ないような気がしますが(僕が大学で講義を受けていたのは四半世紀くらい前なので、今は雰囲気も変わっているかもしれませんけど)、「見るのとやるのは大違い」というのは理解できます。

 僕自身、若い頃に忘年会などで「芸出し」をさせられた際に、同僚たちと流行りの曲のダンスをやろうとして、その難しさに困惑した記憶がありますし、研修医時代の簡単な手術の際に「じゃあ、手術がはじめられるように準備をして」と指導医に言われて、どこから手をつけていいのかと混乱してしまったことも思い出しました。

 その処置は、それまで飽きるほど見てきたはずなのに、「消毒の仕方や範囲、清潔な布をかける範囲」など、自分がやるときには、絶対に知っておかなければならない初歩的なことは意識せず、病巣を切除するとか臓器や血管をつなぐなどの『見せ場』を眺めているだけだったことを思い知らされたのです。

 頭のなかで容易に処理できるものは、人に過信をもたらす。そうして生まれる過信のことを「流暢性効果」と呼ぶ。流暢性効果はそっと私たちに忍び寄り、さまざまな錯覚を生じさせる。

 ちなみに、先人の研究として、マイケル・ジャクソンの「ムーンウォーク」の動画を1回だけ見たグループよりも、20回見たグループのほうが「自分にもムーンウォークができる」という強い自信を示したが、実際にやってみるとこの2つのグループ間には全く差がなかった、というのがあるそうです。

 著者は、この「流暢性効果」に対する(「できる」という錯覚を打ち破る)方策として「実際にやってみる」ことで、自分で自分にフィードバックするのが最良だと述べています。
 「試してみるなんて当たり前のことではないか、と思うかもしれないが、実際に試す人は意外にもあまり多くない」とも。

 いまのネット時代、わからないことは、手元のスマホで「検索」すれば、ほとんどの答えはわかるはずなのに、「ちゃんと検索する人」って、案外少ないですよね。それで「わからない」と嘆き続けている。
 「できない」のではなく「できるのに、やらない」のが人間の性なのかもしれません。

 それでは始めよう。
 法則に当てはまる3つの数字の並びは「2、4、6」だ。
 さて、どんな3つの数字の並びを試すだろう。
 この問題を出題したときに起こる典型的な例を紹介しよう。マイケルという名の学生にこの問題を出題したとする。マイケルは「4、6、8」と言い、私はその並びは法則に当てはまると答える。すると、マイケルは法則がわかったと思い込み、「簡単すぎですよ」と言い、「法則は、2ずつ増えていく偶数です」と答える。
 だが、私は彼に不正解だと告げる。
 マイケルは自説を振り返り、「ならば、偶数に限らず、2ずつ増えていく数字が答えではないか」と考える。この説に満足し、「3、5、7」の並びを伝え、法則に当てはまるはずだと期待する。実際、私の回答は「当てはまる」だ。マイケルはさらに念を入れ、「13、15、17」の並びも問いかけ、これも法則に当てはまる。
 すると彼は意気揚々と、「2ずつ増えていく数字!」と回答する。
 だが私は、その答えも違うと告げる。
 マイケルはSAT(大学進学適正試験)の数学で満点を獲得しており、正解を出せないことに彼のプライドは激しく傷ついている。そして再度チャレンジする。


 マイケル:−9、−7、−5。

 私:当てはまります。

 マイケル:なるほど。では、1004、1006、1008は?

 私:当てはまります。

 マイケル:えっ、本当に「2ずつ増えていく数字」じゃないんですか?」


 マイケルがしたことは、ピーター・C・ウェイソンの有名な「2-4-6課題」に挑むほとんどの人と同じだ。マイケルは自説を確かめるにあたり、自説が正しいと証明する証拠ばかりを集めているのだ。
 自説を裏付ける証拠となるデータはたしかに必要だが、それだけでは十分ではない。
 その仮説の反証も試みる必要がある。


 えっ、じゃあこの答えは何なの?と気になった方は、ぜひ「2-4-6課題」で検索してみてください。
 ……と書いてはみたのですが、なんとなくめんどくさくてやらない人も多いと思うので、この課題について書かれたサイトへのリンクを貼っておきますね。

statistics.calculator.jp


 言われてみれば「えっ、それでいいの?」という話ではあるのですが。
 病名を診断する際にも、こういう「自分の仮説へのこだわり」には陥りやすいよなあ、と頷くばかりでした。

 その一方で、ある症状の患者さんを診るたびに、最初から希少な疾患まですべて検証していくのは現実的には無理であり、「大局観」とか「経験知」も大切なものだと著者は強調しています。

 その研究で行われた実験は、ペアを組んだ参加者のどちらか一人に、いま紹介したようなメッセージをいくつか渡し、それをペアの相手に向かって発言して、指示された意味を伝えるというものだった。ペアの聞き手は、話し手が発言するたびに、4つの選択肢からその意図に沿うものを推測して選ぶ。
 参加者のペアは「ラボで初めて会った人どうしのペア」、もしくは、友人や配偶者といった「親しい間柄で組んだペア」のどちらかであった。夫婦ペアの結婚歴は、平均14.4年だった。
 この実験で話し手となった参加者も、皮肉について調べた実験のときと同じで、自分が伝える意図は聞き手に理解されると自信を持っていた。当然、友人や配偶者とペアになった話し手ほど、その自信はことさら強かった。
 ところが、聞き手が旧知の相手でも初対面の相手でも、メッセージの意図の理解度に違いはまったく見受けられなかった。聞き手が話し手の意図を正確に推測できたメッセージの数は、平均すると半分にも満たなかった。
 つまり、結婚して14年たった後でも、相手にいくつもの意味に取れるメッセージを言う時は、声の調子に意味を込めても、半分の確率で、その意図が正確に伝わっていないかもしれないのだ。


 コミュニケーションというのは、本当に難しい。こちら側からは「長い付き合いだし、言わなくてもわかるだろう、あるいは、こういう言い方でも真意は伝わるだろう」と思ってしまうけれど、少なくともその半分は、理解してもらえないのです。そして、「長い付き合い」や「親しさ」が、その伝達率を向上させることもない。

 実は、他者の心を理解し、自分の思いを明確に伝える能力を向上させる確実な方法がひとつある。しかも、それは簡単だ。


 えっ、そんな方法があるなら、ぜひ知りたい、と僕は思いました。そして、これに続く文章には、こう書かれていたのです。

 自分の思いを他者に推測させず、率直に伝えればいい。そして皮肉を込めたジョークを文章で送るときは、明らかに皮肉な感情を表す絵文字をつけるようにする。


 身も蓋もない話です。
 でも、50年以上生きていると、その通りだ、と認めざるをえないのです。
 これを素直にできていれば、若い頃から意識していれば、僕の人生は、もう少しうまくいったのではないか、と後悔もしました。


 機会があるのなら、若いうちに、知っておいたほうが良いことが詰まっている本だと思います。
 そして、誰でもこれからの人生でいちばん若いのは、今なんですよね。

 「わかっていても間違える」のだとしても。


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