琥珀色の戯言

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【読書感想】セガハード戦記 ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

セガが好きすぎるセガ社員」「異世界に行かなかったおじさん」が語る!
約20年に渡るセガハードの戦いの歴史がこの1冊に。

本書は、セガの家庭用ゲーム機の誕生から終焉までの戦いの歴史を追った本です。
今から40年前の1983年7月15日。任天堂ファミリーコンピュータを発売したのと同じ日に、セガ初の家庭用ゲーム機SG-1000は誕生しました。それから約20年間、セガ・マークⅢ、メガドライブセガサターンドリームキャストと、セガはハードを次々と進化。市場も日本から北米、欧州へと拡大させながら、任天堂ソニーの繰り出す最強のライバルハードたちと熾烈な戦いを繰り広げていきます。
マスターシステムの逆転劇、メガドライブGENESISが導いた世界での躍進、セガサターンが挑んだプレイステーションとの次世代機戦争、ドリームキャストが示した未来、そして終戦へ……。
今も現役でセガに所属する著者が、波乱に満ちたセガCSハードの歴史を愛情たっぷりで振り返ります。
「失敗と敗北ではない。挑戦の歴史がここにある」


 著者の奥成洋輔さんは、1971年生まれの現役セガ社員で、近年では『メガドライブミニ』の制作に「コンテンツ統括」(ゲームソフト部分の責任者)として参加されています。
 
 著者は僕と同世代で、テレビゲームという新しい遊びと子ども時代に出会い、魅了され、その発展と人生を重ねてきたのです。奥平さんの場合は、「仕事」にされているのですからなおさらでしょう。

 セガの社員だから、もっと「セガ寄り」「セガ贔屓」のセガハード史になっているのだろうと思いながら読みはじめていたのですが、記述はかなり俯瞰的・客観的なものでした。
セガ愛」を散りばめながらも、「セガハードが果敢な挑戦を繰り返したものの、結局、覇権を取れなかった理由」や、「天下を取れたかもしれない」ターニングポイントについて内側からの視点も交えて書かれているのです。

 正直なところ、僕はもっと「セガの内幕を告発したり、その失策を厳しく指摘するような内容」を期待してもいたのですが、著者は「歴史家」として、まずは「正史」を残すことに徹しているようにも感じました。
 同世代人で、僕自身は「そうそう、こんな感じだったよなあ」と思うところも多く、懐かしさと同時に「それはもう知っているんだけど……」と物足りないところもあったのです。

 いまの10代、20代くらいのゲーム好きたちは、「セガのハードが存在していた」ことさえ知らない、あるいは歴史年表中の出来事になっているわけです。
 この「家庭用テレビゲームの初期、カセットビジョンLSIゲーム、ゲームウォッチから、セガドリームキャストまで」の歴史を1冊の本で知ることができる貴重な機会だと思います。

セガは、覇権を取ることはできなかったのか?」
この本を読みながら、僕はあらためて考えずにはいられませんでした。

 ハードの性能が劣っていたのか、ソフトの質が問題だったのか、サードパーティ、マンガ誌などのメディアとの相乗効果をうまく生み出せなかったのか(アメリカでのジェネシスメガドライブ)は一時は覇権を握った、とも言えますが)、あるいは、運やタイミングに見放されてしまったのか?

 純粋にハードの性能で言えば、あの時代に『ゲームボーイ』があれだけ流行したのは不思議、とも言えますし、それを支えた『テトリス』や『ポケモン』をセガは生み出せなかったのも事実です。
 とはいえ、セガハードの歴史を追っていくと、3DOピピンアットマーク、PC-FXのような「土俵にも乗れなかった惨敗ハード」よりはずっと売れて、支持を集めてもいたし、僕自身もセガのハードやゲームは大好きだったんですよ。

 でも、今から思い返すと「メジャーなファミコンやスーパ―ファミコンプレイステーションよりもセガのハードのほうが好き!」と言いながら、実際に遊んでいる時間はファミコンやプレステのほうが、ずっと長くもありました。

 そういえば、『ドラゴンクエスト』が出たときも、「こんなの『ウィザードリィ』や『ウルティマ』の劣化コピーだろ」と実際にプレイしたこともない海外の有名RPGを引き合いに出して侮っていたのを思い出します。
 後年、『ウィザードリィ』『ウルティマ』をパソコンでプレイしたのですが、認めたくなかったけれど、『ドラクエ』のほうが、ずっと遊びやすくて、僕には面白かった……

 それにしても、セガというのは、「惜しい」「間が悪い」メーカーではありました。
 1994年の年末に『プレイステーション』、その10日前に『セガサターン』が発売されています。
 当時を思い出してみると、僕はプレイステーションには、そんなに期待はしていなかったんですよね。
 ソニーは日本の電機メーカーの巨人ではあったけれど、テレビゲームの世界では新参者だったし、「セガは、あの『バーチャファイター』が出るのに、プレステは『闘神伝』だものなあ……」と。

 そんな世の中の空気が一気に変わったのは、1994年5月にソニー・コンピュータエンタテインメントSCE)が行った発表会だった。プレイステーションという正式名称や本体デザインの公表とともに公開された実記映像は、業界だけでなく、すべてのゲームファンに衝撃を与えた。
 発表会では開発中の新作ゲームの映像は1つもなかったのだが、その代わりに3Dで描かれたT-REXティラノサウルス)がリアルタイムでアニメーションしているデモンストレーションが公開され、その映像のリアルさにみんな魅了されたのだ。そしてそれに続く多数の参入メーカーの発表。これだけのメーカーが、このT-REXみたいなすごい映像のゲームをたくさん開発するのかと、たった恐竜1匹でソニーはゲームファンの心をつかんでいた。


(中略)


 実はプレイステーションのお披露目は、ここからさらに半年前に、関係者向けのみのクローズドで行われていたらしい。もちろんそれよりも前から各ゲームメーカーへ打診はしていたものの、最初はどこの会社も3DCGで作るゲーム開発のイメージがつかめず、あまり乗り気ではなかったそうなのだ。しかし『リッジレーサー』や『バーチャファイター』の発売直後のタイミングで行われたこの会は盛況で、プレイステーションはこのときに多くの参入メーカーを増やしたとのことだ。
 当時3DCGというのはハードウェアもソフトウェアも非常に高度な技術であり、ゲーム業界でも大手であるナムコセガを除く多くのメーカーには、すぐに手を出せるような一般的な技術ではなかった。ところがこのプレイステーションならそれができる。今3D技術を学ばずして未来のゲーム業界では生き残れないと察した多くのゲームメーカーは、このソニーの新ハードに飛びついたのだった。奇しくも『バーチャファイター』の大ヒットが、セガの新たなライバルを生み出す結果となったのだ。そしてこの5月の発表会で発表されたタイトルの中には『リッジレーサー』の名もあった。


 著者は、このT-REXのデモを見た同僚が、セガサターンで同様のT-REXの映像をつくり、火を吐く映像まで加えていたことを紹介しています。
 ハードの機能としては、たしかにプレイステーションは3Dゲームの制作に向いてはいたけれど、セガサターンにも得意な分野のゲームはあったし、そんなに性能差はなかったのです。
 ソニーは、その機能のプロモーションの仕方をはじめ、「ユーザーやゲームメーカーが求めているものを理解する力」にすぐれていました。
 セガ渾身の大ヒット作『バーチャファイター』は、3Dゲームの時代を切り拓き、サターンへの移植版も大ヒットしたのですが、結果的に「『バーチャファイター』のようなゲームをつくりたい」ゲームメーカーたちは、3Dゲームの作成に向いていたプレイステーション陣営に流れていくことになったのです。
 もちろん、『バーチャファイター』が無くても、「3Dゲームの時代」はやってきたと思いますが、その象徴ともいうべき『バーチャファイター』を「作ってしまった」のがセガだったのは、運命の皮肉にも思われます。

 そして、なんといっても『ファイナルファンタジー7』がプレイステーションで発売されたのは、プレステの優位を決定的なものとしました。『ファイナルファンタジー7体験版』が同梱された『トバルNo.1』がものすごく売れて、みんな「体験版」の話ばかりしていたことも書かれています。これを読んで、「そういえば、体験版についていたゲームは『トバル』だったな、と思い出した人も多いはず。

 プレイステーション2で最初にいちばん売れたソフトは映画『マトリックス』だと言われていました。
 まだゲームソフトのラインナップが少なかったこともありましたが、ビデオテープに替わる「DVD再生機能」には大きな魅力があったのです。当時はまだDVDが再生できる機器は高価だったのですが、プレステ2は「新しいゲームができて、DVD再生機としては安い」というお得感があったのです。

 セガソニーの戦いのなかで、セガには『湯川専務』『せがた三四郎』など、記憶に残るCMもたくさんありました。

 こうしてセガハードの歴史を辿ってみると、セガは家庭用テレビゲームのハードでは「覇権」を取ることはできなかったけれど、「セガという選択肢」が存在し続けていたことで、テレビゲーム界は面白くなったし、ゲームの多様性にもつながっていたのです。
 当時は「どれか一つのハードに統一してくれたら、買う側としてはラクなのに」と思っていたのですが。


 著者は、ドリームキャストの『ファンタシースターオンライン』について、こう述べています。

ファンタシースターオンライン』は、ドリームキャストの悲願であるオンラインゲームの決定版であった。
 これまでPCユーザーしか知らなかったオンラインゲームの魅力を、うまく家庭用ゲーム機に翻訳しており、プレイのハードルは低く、そしてゲーム内容は新しさにあふれていた。
 基本的なゲームの流れは、当時PCでヒットしていたマルチプレイヤーオンライン(MO)RPGの始祖『ディアブロ』(Blizard Entertainment)にならいつつ、全世界4人同時オンラインパーティの3Dアクションに仕上げた。マンガ的な吹き出し演出のチャットでコミュニケーションを取りながらのチームプレイ、モーフィングによる自分だけのプレイヤーキャラクターエディットなど、プレイヤーの個性を生かす機能が盛りだくさんで、全てが世界中で誰も見たことのない、しかし極限までネットゲームのハードルを下げた、受け入れやすいゲームになっていた。
 このプレイ体験こそドリームキャストというハードがずっと求めていたものだった。プレイステーション2を含むほかのどんなハードでも決してできない、オンラインゲーム時代の象徴となるゲームが、本体の発売から2年を経てとうとう完成したのだ。
 ドリームキャストのユーザーはこぞって『ファンタシースターオンライン』をプレイした。常時接続がまだなかった時代、テレホーダイを存分に利用して、夜中の11時から朝の8時までぶっ続けでプレイしていた人も少なくなかった。
 もちろんドリームキャストだけでの話であるので数は極めて限られていたが、2000年というネットワークゲームの黎明期に、日本だけで9万人のユーザーが同じゲームをプレイしていたのだと考えると、ついにドリームキャストが描いた夢が現実になったのだと言えた。


 『バーチャファイター』『バーチャレーシング』による3Dゲーム、そして『ファンタシースターオンライン』によるネットワークゲームと、セガは挑戦者であったがゆえに、新しいことをやろうとし続けていたのです。
 そして、セガが多大なコストをかけて開拓したジャンルを成熟させて、より多くの収穫を得たのは、つねにその追従者たちでした。

 僕自身も、その栄枯盛衰と並走してきた気がしている『セガ』の挑戦の歴史が一冊に凝縮された本だと思います。
 次作があるならば、もっとマニア向けの「セガ社員として、内側からみたセガの話」を聞いてみたいなあ。


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