琥珀色の戯言

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【読書感想】限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

嘘八百・誇大広告、デタラメ営業、乱開発……
高度成長期・バブル期の仰天販売手口を紹介し、
「資産価値マイナス物件」が再び分譲されている現状を明らかにする

(目次)
第1章 取り残される限界ニュータウン
第2章 限界ニュータウンはこうして売られた
第3章 原野商法の実相
第4章 変質するリゾートマンション
第5章 限界ニュータウンの住民 
第6章 限界ニュータウンの売買
第7章 限界ニュータウンは二度作られる


 「土地を買っておけば値上がりする」「不動産投資で安定収入!」
 いわゆるバブル経済の時代には「不動産神話」が真剣に語られていて、これから人口もどんどん増えていくし、土地も足りなくなって地価が上がっていく、と多くの人が信じていたのです。
 しかしながら、現在、2024年の日本は、少子高齢化、人口減に直面しており、「空き家問題」がとりあげられることも多くなりました。

 未来の予想なんて、当たらないものですよね。

 僕の親世代、いわゆる「団塊の世代の世代」から、もう少し上の世代が買った「職場からは遠いけれど、憧れのマイホーム」や「将来の資産として投資した土地」は、「子どもたちは別の土地に生活の基盤があって誰も住まなくなり、売ろうとしても買い手がおらず、維持費や固定資産税だけがのしかかってくる」という「負の遺産」となっているのです。
 これを書いている僕自身も、その問題を抱えていて、「もっと前に売っておけば、それなりのお金になったのに」という後悔と、「これを自分の子どもたちに『引き継ぐ』わけにはいかないけれど、どうすればいいのか……」と悩んでいるのです。
 少しでも参考になれば、と思いつつ、この新書を読みました。

 僕が定義している「限界ニュータウン」「限界分譲地」とは、僅かにしか家屋が建てられておらず、今なお多数の区画が更地のまま残されているような住宅分譲地のことである。
 しかし、「限界ニュータウン」と一言で言っても、これは都市問題の用語として正式に採用されているものではないため、その定義にはどうしても個人の主観が混じってしまうのだが、僕が定義している「限界ニュータウン」「限界分譲地」の多くは、いわゆる「郊外エリア」のさらに外縁部、都市近郊型の農業地帯の中に虫食い状に点在している。
 限界ニュータウンの語源となった「限界集落」は、基本的には都市部から遠く離れた山村の小集落であることが多いため、限界ニュータウンも同様の立地のものと思われてしまうことがある(実際、山間部に開発された住宅地を指していることも多い)。「限界」という語句と、物理的な距離やアクセスの難易度がイメージとして結びつきやすいのだと思う。
 しかし、僕が取材のフィールドにしている千葉県北東部においては、「限界ニュータウン」といえど、立地はあくまで都市近郊型の農村地帯である。基幹産業である農業や、その産業を担う既存の農村集落までもが、将来的な課題はあるとはいえ、現時点で直ちに持続不能になるほど著しく衰退しているという印象はない。
 また、市街地でも、旧市街地の空洞化という課題を内包しながらも、今も通常の経済活動が展開されている。そうした少年のすぐ外側に「限界ニュータウン」「限界分譲地」は存在する。
 この、「都市部から極端に遠いわけでもなければ、かといって利便性を享受できるほど近くもないという絶妙に中途半端な立地こそが、限界ニュータウンを巡る諸問題を引き起こす要因の一つであると考えている。


 過疎地・僻地の「限界集落」は、住民の高齢化や買い物の不便さ、各種インフラの劣化などで「消滅」してしまったところも多いのですが、「限界ニュータウン」に関しては、「車の運転ができない、自力で移動できない高齢者を除けば、日常生活に著しく支障が出るほど悪条件の立地でもないため、地価が安い住宅地として、地域社会に今も組み込まれているという実態がある」と著者は述べています。
 都会の立地が良いタワーマンションは、人口減の時代でも、やっぱり価格が高くて、簡単に買えるものではない。
 「限界ニュータウン」は、車が運転できたり、ネットショッピングを積極的に利用できたりすれば、「安い金額で住める土地・家」としてのニーズがあり、近年はその需要が一時より高まっているそうです。

 著者の調査によると、千葉県北東部の農村においては、1970年代の初頭から分譲地が開発され、「都心通勤者のためのベッドタウン」として売り出されていました。実際に都心に通勤するには片道2時間、あるいはそれ以上かかってしまうにもかかわらず。
 それを購入していたのは、自分で住むためではなく、将来の値上がりを期待して投資目的で買っていた人が多かったのです。
 その人たちは、土地に家を建てず、空き地のまま放置していたのだけれど、1980年代後半からの「バブル景気」の時代に、不動産価格の全体的な値上がりで都心から遠い地域にも需要が生まれ、かなりの新築の家屋が建てられた、ということでした。
 しかしながら、それで実際に家が建てられたのはごく一部で、そのうちにバブルは崩壊し、1970年代に投資目的で買われた土地の多くは、結局、利用されることもないまま地価が大きく下落し、現在に至っているわけです。
 いくら「安い」とはいっても、ずっと生活するには通勤・通学や買い物の不便さの問題があり、やはり不動産の価値は立地が大きい、ということのようです。


 著者は、1970年代に横行した「原野商法」の実際について、当時の広告を紹介しながら、こう述べています。

 上の図は、典型的な当時の北海道の原野商法の広告である(1973年7月3日付読売新聞)。「将来性を第一とお考えの方に大札幌圏をおすすめします」とのキャッチコピーのもと、札幌駅前の地価上昇率が全国2位となったことを高らかに謳っている。価格は300㎡で39万円から。開発計画に、今日においてもなお札幌までの延伸が実現していない「北海道新幹線」の基本計画の記載もある。
 しかし実際の分譲地は札幌市内ではなく、札幌市の北東部、石狩川の対岸にある石狩郡当別町に位置している。しかもその所在地である字弁華別(あざべんけべつ)はその当別の市街地からも遠い山林で、もちろん分譲から半世紀を経た今なおまったく市街化は進んでいない。分譲地の近隣にあった、木造校舎で知られた旧弁華別小学校は閉校し、むしろ地域は当時より衰退している印象すらある。
 問題の分譲地は今も山林のままで、航空写真を見る限り、現地へ続く舗装道路がある様子も見られない。図面上では一応区画整理されていて、私道らしきものも確保されてはいるのだが、実際は、それはただ図面上でそう描いていただけで、現地では全く何の造成工事も行われていなかったというのは、原野商法の手口として今もよく知られている通りである。


 当時、買った人たちは、「将来的には、きっとこの土地は便利になって賑わうはず」だと信じていたのでしょうね。
 いま、「半世紀後の答え」を知っている僕には、「こんな手口に騙されるなんて」としか思えないのですが、これと似たような「都合のいい想像」をかき立ててお金を集める手法は、さまざまな分野で、2024年にも少なからず存在しているのです。
 これらの広告を載せていたマスメディアにとっては、これらの悪質な業者も「広告主」であったため、大手新聞は政治の罪として批判したり、裁判になったものはニュースとして採り上げたりはしたものの、宣伝に関与した自らの罪は見て見ぬふりをしていたのです。

 これは僕自身の考えなのですが、これからも人口減が大前提である日本で、維持費がかかり、建物は経年劣化し、どんどん新しい物件がつくられる不動産は、投資対象としてはかなり厳しい。これから自分の子孫がどこで生きるかなんてわからないのだから、持ち家もあまり資産価値を期待しない方がいいと思います。自分自身が住みたい環境をつくるために家を建てたい、というのであれば、自分で使い潰すつもりで建てるべきでしょう。

 この新書を読むと、著者の地道な調査によって、僕が不動産に関して、信じて、想像していたことには、正解も誤解も入り混じっていたことがわかりました。
 「バブル期に建てられた湯沢町のリゾートマンションが、1室10万円で販売されている」というのを聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
 友人とご飯を食べているときに、「10万円ならみんなで買って、共用の別荘にすればいいんじゃない!」なんて盛り上がったこともありました。
 しかしながら、これは「苗場スキー場の近くに乱立した不便なマンションには、書い手がつかずに価格が暴落しているものもある」という話のようです。
 それなりに便利な湯沢町のマンションは、今でも、それなりの価格で売り買いされている、ということでした。

 誰が買うのだろう?という閑散とした土地に「売地」という看板がずっと立てられている仕組みについても書かれています。
 どんなことでも、「お金を稼ぐ手段」にしてしまう(できてしまう)人や会社というのは、いるものなのだな、と感心してしまいました。

 僕が東京都内から千葉県に転入して、最初に借りた八街市内の家の近所には、ちょうど1990年代初頭、地価がピークに達した時代にその土地を購入し、自宅を新築した老夫婦が暮らしていた。2017年の時点で、その分譲地内にはまだ多数の空き地が残されていて、いつ買い手が付くのかもわからないまま草刈りが繰り返されていたのだが、その夫婦は、自宅を建てた60坪の土地を、当時2000万円という価格で購入したのだという。1990年代前半頃、八街市内の建売住宅は、一般的なファミリー向けサイズで3000万〜4000万円程度で販売されていたが、当時の金融機関の一般的な住宅ローンの金利を考えれば、総支払額はその販売価格の2倍以上になる。
 本書執筆時点で、その分譲地の最も安い売値は、51坪で47万円という価格だが、金利を度外視した物件価格だけでも、土地の実勢相場は30分の1にまで下落している計算になる。「私たちは、一番高い時に買ってしまった」と力なく語っていたその姿を前に、今はそんな時代じゃないからあきらめろ、などと面と向かって言う勇気は僕にはなく、その時代は八街だけが高かったわけではないですから、と語ることしかできなかった。


 自分自身がまったくそういう問題に縁がなければ、「そんな土地が値上がりするわけないじゃん、馬鹿じゃないの」と一蹴できるのかもしれないけれど、「空き家問題」を抱える当事者の一人としては、その時代に一般の人が得られた情報を想像すると、「買ってしまった」人たちを責めたりバカにしたりする気持ちにはなれないのです。僕の親だって、自分たち、そして子どもたちの将来の役に立てば、という希望を持っていたのでしょうし。
 それでも、維持費や固定資産税を支払う時期になると、憂鬱にはなるし、なんとかしたいんですけどね。そんな親の希望を「損切り」するのも後ろめたい、めんどくさいし、とか思っているうちに、どんどん損切りすることさえ大変になってきています。

 ただ、この老夫婦の話を読みながら、「土地の価格が暴落してしまったのは残念だったけれど、その愚痴をこぼしあえる家族とこうしてずっと一緒にいられたことは、このご夫婦にとって『プライスレス』だったのではないかな」とも思ったのです。


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