琥珀色の戯言

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【読書感想】ロシア点描 まちかどから見るプーチン帝国の素顔 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

「ロシアとロシア人の魅力を、衣食住の面から伝えたい」という本書の内容は、プーチン大統領の蛮行によってその色合いを変えた。新型コロナウイルスの蔓延下、ロシアを観光で訪れることはかなわない。何より頭をよぎるのは突然、ロシア軍の攻撃によって同胞を失い、住む家、町、国を離れざるをえなくなったウクライナ人の悲しみだ。日本人のロシアやロシア人に対するイメージも、好ましくないものに転じたかもしれない。
しかし、だからこそこの本を手に取っていただきたい。もちろん「ロシア政府とロシア人は別」と簡単に割り切ることはできない。では両者の関係がどうなっているのかということを、なるべく柔らかく、わかりやすく説き、「ロシアという国は何か」について、理解を深める必要がある。
著者は執筆にあたり、次のように語った。「自分のロシアへの『愛』を伝える作品にしたい」。その真意を、一人でも多くの読者に感じていただければ幸いである。


 著者の小泉悠さんは、ロシアの軍事・安全保障戦略が専門で、東京大学先端科学研究センターの講師をされています。
 2009年から2011年には、実際にロシアのモスクワで生活をしていたそうです(著者も、自身の経験談については「10年前のロシアの話」として書かれています)。
 ロシア軍のウクライナへの侵攻で、世界、とくに西側諸国がロシアに向ける視線は「不当な侵略国家」として厳しいものになっていますし、政治やスポーツなどさまざまな場で、ロシア人たちは「排除」されているのです。
 ロシアという国が侵略戦争を行っているからといって、ロシア人たちがみんな「悪」というわけではないはずですが、だからといって、「指導者のプーチン大統領だけの責任」ということで、経済制裁をやらないわけにもいかないのです。実際に困るのは、大統領よりも、ロシアの一般市民であるとしても。

 ロシアという国で暮らしてみてどうにも不思議だったのは、他者に対する不信と信頼が同居しているという点でした。
 ロシア人は見知らぬ人をとにかく警戒します。とにかく身内以外の人を信用しないのです。日本人はよく他人の赤ちゃんを見かけると「あらかわいい」なんて覗き込んだりしますが、ロシア人に対してやると思い切り嫌がられます。
 ただ、面白いのは「ロシア人は特にロシア人を信用しない」ということころです。この点はロシア人も自覚していて、「ロシア人がこの世で二番目に信用しないのはアメリカ人」というジョークがあるくらいです。つまり、「一番はいわずもがな、同じロシア人さ」という言外のオチです。
 その代わり、一度身内扱いになるとどこまでも親切にしてくれたりもします。「困ったことがあったら何でもいえ」「何で俺に相談しないんだ!?」という具合で「とにかく身内に何かしてあげたい!」という気持ちが強いようです。これはロシア人の気の良さでもあるのでしょうし、厳しい気候や専制的な政治体制の下では助け合わないと生きていけなかった、という歴史の反映でもあるのでしょう。
 さらに興味深いことに、ここでいう「身内」は必ずしも血縁とか実利的な関係に限りません。例えばアパートのお隣さん。ソ連時代の夏休みといえば勤務先の用意してくれた保養地に長い休暇に出かけるのが国民的な楽しみだったのですが、こういうときには自宅の鍵をお隣さんに預けていくという習慣がありました。
 出かけている間に家に入らないといけない用事ができたら電話してお隣さんに入ってもらえるように、ということのようなのですが、あれほど他人を信用しないロシア人があっさり鍵を預けて行ってしまうというのがよくわからないところです(ちなみに日本大使館が在ロ邦人に配布するハンドブックには「お隣さんに鍵は決して預けないで」といった注意喚起の文言があります)。


 相手が血縁関係や同国人であっても、なかなか信用しない。
 しかしながら、一度「信用する」ことに決めたら、「身内」として徹底的に、おせっかいなくらいに尽くす。そして、相手にもそれを求める。
 例えが不適切かもしれませんが、マフィアとか任侠の世界みたいだなあ、と感じました。
 

 また、ロシア人は、日本人に比べて、サービスなどに対しても、過剰なおもてなしを求めないというか、「60点で合格できるなら60点でいい。それ以上を求めてどうする」という考え方をするそうです。

 一時期、ロシアでは「日本の電車の車掌がごくわずかな発車時間の遅れを詫びる動画」というのがバズりましたが、これは日本の高品質なサービスに驚いているというより、「そんな細かいこと気にしてどうするんだ」と呆れているような雰囲気が強いと感じました。
 日本との比較でもう一点付言しておくと、日本社会では「平時」と「有事」がはっきり区別され、前者においてはものごとが完璧にまわることが期待されています。ところが、ロシアはそうではない。治安が悪かったり、テロや自然災害があったりして、平時の社会にも多少有事の要素がある。だからロシア人は平時の社会が完璧でなくてもそんなに問題視しませんし、逆に有事においても意外に「しれっ」と生活を続けられたりするのでしょう。
 制裁によってロシア人の暮らしやビジネスが大きな打撃を受けていることはたしかなのですが、その程度で完全にパニックになってしまうわけではない、というのがロシアなのです。


 もちろん、経済制裁が全く効いていない、というわけではないのでしょうが、ロシア人は「有事に慣れている」というか、さまざまな非常事態が起こることは織り込み済みで日常を過ごしているのです。
 とはいえ、プーチン大統領の政権下で、まん延していた汚職はかなり減り(その一方で、大統領の関係者はさまざまな権益を受けてはいるのですが)、格差は拡がったものの、人々の生活や考え方も「資本主義社会化」しているようです。

 ロシア人は、カロリーの高い食生活をしていて、中高年になるとものすごく太ってしまう、というイメージが僕にもありました。
 しかしながら、それは暖房が十分に普及しておらず、食生活が貧しかった時代の話で、プーチン大統領の「健康寿命を延ばそうという政策」の影響もあり、最近は、年を重ねても異常な太り方をする人は少なくなったのだとか。
 ロシアといえばウオッカですが、近年は酒量も激減しているそうです。

 高校時代に「宮沢りえさんは、ロシア人の血が入っているから、中年になったら激太りするのではないか」と言われていたのを思い出します。
 実際は、ご本人の努力もあってなのでしょうけど、宮沢さんは見事な体系を保っておられます。

 著者によると、ロシアの国産食料品の品質は長年いま一つだったのですが、2014年のウクライナ危機の際にEUからの農産品の禁輸措置が発動されたのがきっかけで、国産品の品質が大きく向上したそうです。
 さまざまなトラブルに対しても、「それなら我慢するか、自分たちでなんとかしてしまおう」という気質なのです。
 思えば、第二次世界大戦では、ドイツとの泥沼の戦争で、世界で最も多くの犠牲者を出しながら戦い抜いた国民でもあるんですよね。

 現在のロシアは、経済的には「超大国」ではないのです。人口は1億4400万人で、日本より2000万人くらい多いけれど、GDPは日本の3分の1以下で、韓国と同じくらいだそうです。世界の国別ランキングでは11位。
 国連の常任理事国であり、核兵器を持つ軍事大国であることが、ロシアにとっては誇りであり、「世界に冠たる『大国』であり続けたい国」なのです。
 なぜ、この2022年に他国に軍事的な侵略なんかするのか、と僕も疑問というか、そんなことする国ないだろ、というのが実感だったのです。
 ロシアからすると、「経済力」では大国として振る舞うのが難しいけれど、「軍事力」なら世界でもトップクラス(とはいえ、アメリカにはかなり差をつけられているのですが)なので、自らの「強み」を活かそうとした、とも考えられます。

「大国」であろうとし、実際にそのように振る舞うロシアは、他国に対しても同じような基準で値踏みをします。つまり、「大国」として一目置くべき相手なのか、そうでないのかということです。
 たとえばプーチン大統領は2017年に「ドイツは主権国家ではない」と発言したことがあります。米国で「アメリカ・ファースト」を唱えるトランプ政権が成立し、当時のメルケル首相が「もう大西洋の向こうの同盟国に頼れない時代が来た」と発言した際のことです。そんなことを言って外国に安全保障を依存するような国は、同盟の盟主(この場合はアメリカ)から「主権を制限」された状態にあるというのです。
 しかし、アメリカやロシアのように強力な軍隊と各兵器を持ち、同盟に依存することなく安全保障を全うできる国というのはそんなにたくさんありません。実際、プーチンはこのとき、「世界に本当の主権国家はそう多くない」と述べ、その数少ない例外が中国とインドであるとしています。要するに独自の核戦力を持って非同盟を貫ける「大国」だけがプーチン的世界観では本当の主権国家なのだということになるのでしょうし、この基準でいうとドイツのような経済大国でさえ「主権を制限された国」になってしまうのです。
 別の言い方をすると、プーチン的世界観では同盟は「支配の道具」なのです。ごく少数の「大国」だけが本当の主権を持ち、そうできない国を従えてブロックを形成しているという世界観です。冷戦後、ワルシャワ条約機構に参加していた東欧社会主義国を、ソ連はまさにこういうふうに見ていました。


 この「プーチン的世界観」でいえば、「日本も主権国家ではない」ということになるのでしょう。
 正直、そう言われても仕方がない面はあるな、とも思いますが。

 「ロシアの花屋が24時間営業の理由」とか、「クレムリン地下60メートルの秘密施設」の話など、「こんな戦争が起こらなかったら、著者はきっとこういう「ロシアの面白いエピソード」をもっと紹介したかったのだろうな、とも思うのです。
 
 これを読んで僕が感じたことは、「ああ、ロシア人は、この戦争でも、そう簡単には屈しないのだろうな」ということでした。
 一度は行ってみたい国ではあるのだけれど、僕の身体が動くうちに、気軽に観光に行ける日が来るのだろうか。


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