琥珀色の戯言

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【読書感想】核兵器について、本音で話そう ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

中朝露数千発の核ミサイルの射程内にある日本は何をすべきか。専門家によるタブーなき論議
日本は、中国、北朝鮮、ロシアなど猛烈に核能力を向上させている国に取り巻かれており、数千発もの核兵器の射程内にある。「唯一の被爆国の悲願」としての核廃絶は正しいが、本当にそれを望むならば、東アジアの現状を踏まえた、ありうべき国家戦略を日本自身が構想しなければならない。内閣、自衛隊、メディアなどで核政策に深くコミットしてきた4人の専門家が、「タブーなき核論議」を展開する。


太田昌克(オオタマサカツ)
1968年生まれ。共同通信編集委員

兼原信克(カネハラノブカツ)
1959年生まれ。元国家安全保障局次長

見澤將林(タカミザワノブシゲ)
1955年生まれ。元軍縮会議日本政府代表部大使

番匠幸一郎(バンショウコウイチロウ)
1958年生まれ。元陸上自衛隊西部方面総監


 マスメディア、政界、軍縮会議の日本政府大使、元陸上自衛隊高官。
 それぞれ異なる領域で「各国の思惑と核兵器」についてのキャリアを重ねてきた4人の会談形式での新書です。

 ロシアのウクライナ進出がきっかけになって、日本のTwitterなどでも「ウクライナ核兵器を持っていたらロシアに侵攻されずに済んだのではないか」「ロシアは核兵器を必要と判断したら使用するのではないか」「日本も国を守るために、核武装について議論すべきではないか」というような意見を頻繁に見かけるようになりました。
 
 戦後、1970年代前半の日本に生まれ、広島で子供の頃暮らしていた僕は「核兵器は絶対に二度と使ってはならない存在」であり、「被爆国である日本が核武装すれば、核兵器を廃絶しようとする国は無くなってしまう」と考えてしまうのです。
 九州に引っ越してきてわかったのですが、広島・長崎という土地は、直接の被害を受けたこともあり、日本の中でも、「非核」への意識が高いと思います。広島では、毎年8月6日は小学校の夏休み中の登校日で、被爆者の体験談を猛暑の中講堂で聴いていましたし。今はどうなっているのかはわからないけれど。

 戦後、核兵器を巡る議論は欧州を中心に展開した。英仏の核武装、ドイツを始めとしたアメリカの同盟国の安全保障、アジアでの米国の同盟網創設、NPT(核兵器不拡散条約)体制の発足など、戦後の主要な外交、安全保障問題にはほとんど核問題が絡んでいた。
 日本は、半世紀近く続いた冷戦の期間中、陸上国境で強大なソ連軍と接していた欧州ほどの軍事的緊張感をついぞ抱かなかった。また対中国交正常化、ベトナム戦争終結以降は戦略環境が改善し、国内の強い反核感情もあって、核抑止の議論はなおざりにされてきた。広島・長崎の悲劇を繰り返させないという理想と、米国の核の傘なしには日本の安全保障が成り立たないという現実は、交わることなく放置されてきた。
 日本の21世紀は、中国の台頭と台湾有事の危険、北朝鮮核武装という暗雲たれ込める中で幕を開けた。「核兵器の存在は是か否か」という神学論争をいつまでも続けていられるような戦略環境に日本はない。冷戦初期のドイツのように、日本は核問題を自分自身の安全保障の問題として真剣に考える時期に来ている。


 この本で、4人の「世界の核戦略の最前線」を読んで意外だったのは「日本も核武装すべきだ」という発言は全く無いことでした。

 とは言っても、「日本は『非核』を貫くべきだ」というわけではなくて、「現実的には、すでにアメリカの『核の傘』の中に入っているのだから、いまさら『自国の核保有』を求めて他国と揉める原因をつくる必要はない」というスタンスだったのです。

 書籍の元になった会談は2021年の秋に行われたそうですが、その当時、まさかロシアがウクライナに侵攻するという、20世紀半ばくらいのようなヨーロッパでの「戦争」を予測していた人はほとんどいないはずです。
 
 北朝鮮の核保有に、経済成長とともに「軍事大国化」してきた中国の圧力と、日本の安全保障には問題が山積みだったのに、それに加えて、ロシアも危険因子として考えなければならない時代となっています。

 第二次世界大戦後、アメリカ対ソ連、という二つの大国、資本主義と共産主義というイデオロギーの対立の時代が続いていたのですが、中国の台頭により、アメリカとソ連(ロシア)は、お互いだけを意識していればいい時代ではなくなりました。参加者のひとリは、アメリカとソ連は、長年対立しながらも、核兵器による人類を絶滅させる戦争への危機意識を共有し、お互いへの「対処法」も熟知していたけれど、中国という新興勢力には読めないところがある、と述べています。

 とはいえ、今回のウクライナでの戦争では、ロシアも、日本の感覚では予測できない国であることも思い知らされているのですが。


 元国家安全保障局次長の兼原信克さんは、ロシアの「核戦略」について、こう述べています。

兼原:ロシアは武門の国ですから、軍事だけは手を抜きません。経済規模は日本の4分の1でも国防予算は日本よりずっと多い。日本の5兆円規模に対して7兆円規模くらいあります。日本の自衛隊は25万人ですが、ロシアの軍隊は90万人ぐらいいる。それでも広すぎる国土を守るには充分じゃないので、核戦力だけは絶対に譲らないと言っています。核ミサイルも、航空機搭載のキンジャール、戦域ミサイルのイスカンデル、極超音速のアバンガルドなど、開発に余念が無い。
 一番怖いと思うのは、彼らの核ドクトリンです。「ロシアの死活的な利益が脅かされた場合は核を使う」と公言しています。これは「戦術核を使う」という意味です。そう言っておかないとあの広い領土が守れない、と彼らは考えている。最近は北極海の氷も解け始めていますから、長大な北極海沿岸部も守らねばならないとなったら、大変なのは確かです。しかし、ロシアの戦術核先制使用のドクトリンは、核の均衡と安定を図る上で、不安定要素になっていると思います。


 今回のウクライナ侵攻の前から、ロシアという国は「必要とあれば、核を使う」と公言している国だったのです。
 本当にウクライナに攻め込んだのを目の当たりにすると、「人類滅亡につながる核兵器は、まさか使わないだろう」という「こちら側の常識」は通用しない可能性も高いのです。

 そもそも、戦争で敵を殺す、という点では、「核兵器による殺戮」だけが特別視される必要はない、と考える人も少なからずいるんですよね。
 核兵器というのは、より多数の敵を、より安いコストで排除できる兵器ではあるのです。放射能の影響も考えると「威力が大きすぎる、使ってはいけない兵器」だというイメージが強いのは、被爆国・日本に生きてきたから、なのかもしれません。
 核武装したことを「国民的に祝った」国もありますし。
 北朝鮮にしても、核を持っていることで、他国の脅威となり、さまざまな外交的な譲歩を引き出しているのです。


 結局のところ、現状では「核兵器のない世界」を作り上げるには至難であり、いかにして核の存在を利用しながら平和と均衡を保っていくか、ということなんですよね。
 みんながそれぞれ「均衡」を求めてくれていれば良いのだけれど、実際には、各国は「より遠くに、正確に飛ばすことができ、迎撃しにくい核兵器」へと改良を続けてきているのです。
 抑止効果とはいうけれど、自分たちが持っている核兵器の方が優れていればいるほど安心できる、と多くの国が考えているわけです。
 また、サイバー攻撃で、近代兵器や国の重要なインフラが無効化されてしまう、という可能性も指摘されています。

兼原:日本で実際に米国の核弾頭を置くかどうか、置くとしてもどこに置くかという話は、国内世論的にはすごく難しい。だからできないかもしれない。ただし、その論点はちょっと横に置いて純粋に軍事的な議論をすると、日本の国土が核攻撃された時に、アメリカは本当に撃ち返すと信じ込んでいていいのでしょうか。それがドイツを悩ませたデカップリングの議論です。
 例えば九州のどこかが核攻撃されたとして、米国が中国に核ミサイルを撃ち返すでしょうか。撃ち返さないですよ。東京でも撃ち返すかどうか分からない。東京がやられたら日本は即死です。アメリカにとって同盟国としての価値がなくなる。
 逆説的ですが、だからこそ「相手に絶対に核は撃たせない」ために最大限の努力をするべきであって、「撃たれたら」の答えは、実はないんですよ。「日本が核で本当にやられたら、最重要の同盟国を失った米国は中国と停戦協議に入って、撃ち返さないかもしれない」というのがあり得る答えの一つなんです。
 だから米国には核抑止力のレベルを上げてもらう必要がある。核兵器国の米国が万全の準備をしなければ、非核兵器国の同盟国は安心できない。これは核兵器国と非核兵器国の間に普遍的に起きる心理ゲームです。米国はトライデントなどの第2撃戦略核があるから核戦争は起きないし、絶対に大丈夫だ、安心しろという。でも前線に立たされている非核兵器国は安心なんてできない。自分が核兵器された後に見捨てられるのではないかと恐れる。これが核兵器国と非核兵器国の同盟関係のマネージメントの一番難しいところです。ドイツがそうでした。米国は絶対に自分を信用しろと言い、ドイツは万が一にも裏切られることがあるかもしれないと常に怯えていた。
 日本に米国の戦術核兵器を置いておいたら、日本を核攻撃しようとする国は「この戦術核は、日本が核攻撃されたら、米国が報復に使うに違いない」と考える。物理的な配備によって、米国のコミットメントを形にして見せる。そういうことだと思います。
 抑止のパラドックスみたいな話になっちゃいますが、緊張を高めることによって安定させるというのは、私は軍事的には意味があると思うんです。


 「日本が核攻撃されたら、アメリカは本当に反撃してくれるのか?」
 反撃してくれるはず、だと多くの日本人は信じているのだけれど、実際にそれが起こったら、「全面核戦争にエスカレートしていく危険を考えたら、反撃しないほうが良いのではないか」と主張するアメリカ人も少なからず存在するはずです。

 ウクライナで起こっている戦争への西側諸国の態度のように「かわいそう」と思い、犠牲者たちに経済的な支援はするとしても、自国民が血を流すような反撃をしてくれるのかどうか。議会が反対する、という事態も考えられます。「緊密な同盟国」であれば大丈夫、とも言い切れないですよね。
 だからと言って、不安ばかりが積み重なって「軍拡競争」になるのも困ります。核兵器は「使えない兵器」だと言うけれど、100%使われないのであれば、抑止効果もありません。

「理想」は核兵器が全くない社会なのだけれども、今の世界でそれを実現するのは難しい。
「本音」で話せば話すほど、何が正しいのか、よく分からなくなってくるのです。


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