琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】存在のすべてを ☆☆☆☆☆


平成3年に発生した誘拐事件から30年。
当時警察担当だった新聞記者の門田は、旧知の刑事の死をきっかけに被害男児の「今」を知る。
異様な展開を辿った事件の真実を求め再取材を重ねた結果、ある写実画家の存在が浮かび上がる――。
質感なき時代に「実」を見つめる、著者渾身、圧巻の最新作。


 本屋大賞ノミネート作。
 『本の雑誌』の年間ベストでも絶賛されていました。
 
 前代未聞の「二児同時誘拐」に隠された真相、が描かれていくミステリ作品、なんだな、と思いながら読み進めていったのですが、ストーリーは途中からちょっと脱線して誘拐された子どもの「空白の時間」とその後が濃密に描かれます。
 なんか青春小説みたいになっているじゃないか、と、ツッコミを入れつつ読んだ章もありましたし、それはちょっと都合が良すぎる「偶然」ではないか、と感じるところもあったのです。
 いまの「画壇」って、こんなひどいところなのだろうか、とも。
 
 インターネットは、人が世に知られる過程をショートカットできるツールだけれど、現実は、まだまだ「人脈」みたいなものがものを言うことが多々あります。
 それこそ、インターネットネイティブの人たちには、想像もつかないような。
 その一方で、「人と人とのつながり」を利用してステップアップするのが正しい、と教えられてきた人たちが、このネット社会で、「今まで自分たちが懸命に積み上げてきたものは、なんだったんだろう?」と置き去りにされているのかもしれません。

 僕はアートの作品論を読むのがけっこう好きなのですが、村上隆さんは「作品そのものは大事ではあるけれど、今の時代はそれをどう『現代アートの流れ』に乗せるか、多くの人に「価値」を感じさせる説明をできるかが勝負なのだ」というようなことを著書で述べておられました。
 
 この「存在のすべてを」は、けっしてメジャーとは言えない絵画の一つのジャンルがモチーフになっているのです。


 僕は、この小説を読んでいて、中学生のときに美術の教科書でみた、アンドリュー・ワイエスという画家のことを思い出していたのです。


ja.wikipedia.org


 ワイエスの絵は、まるで写真のように写実的に描かれていて、「すごいなあ!」とその技術に感心するのと同時に、僕の心には疑問も浮かんできました。

 こんな「写真のような絵」を描くのであれば、写真を撮ったほうが手っ取り早いと思うんだけど……なぜワイエスは、あえて「絵」を描いたのだろう?
 ワイエスは1917年生まれですから、デジカメ(スマートフォン)で、何枚でも撮影し、要らない分は消せばいい、という現在ほど写真はカジュアルな存在ではなかったでしょう。
 とはいえ、リアルな絵を描くよりは、写真のほうがよほど簡単で「リアル」だったはずです。

 その「なぜ」が僕にとって、ワイエスを印象的な画家にしてしまいました。

 僕は、この『存在のすべてを』を読んで、その答えに少し近づけたような気がしたのです。

 この感想を書くために、Wikipediaの「アンドリュー・ワイエス」の項を確認したのですが、ワイエスが挿絵画家だった父親から受けた影響が書かれていて、この『存在のすべてを』の著者の塩田武士さんも、僕と同じように、ワイエスの絵に惹かれたことがあったのではないか、と想像してしまいました。

 監視カメラが町中にあったわけでも、Nシステム(車両情報を追跡する警察のシステム)が整備されていたわけでもない時代だから、かろうじてリアリティがある、そして、散々勿体ぶっているわりには、最後のほうはえらくフレンドリーだな、と思うところもあるのですが、「アートという魔物に魅入られてしまった人たちの物語」として、僕はなんだか圧倒されてしまいました。
 モームの『月と六ペンス』、僕が「こういう生き方も『アリ』なのかもしれないなあ」と思えたのは、40歳近くになって再読したときだったので(もっと前に読んだときには「家族が可哀想、なんてひどい野郎だ」としか思えなかった)、あの主人公の倫理観を受け入れられる若者ってすごいなあ、とも思ったのです(いや、若者だからこそ、だったのか?)

「どんでん返しに驚かされるミステリ」を期待して読むと、けっこう肩透かしかもしれません。むしろ、アートとは何か、人が人と繋がる、というのはどういうことなのか、を考えさせられる「小説」です。
 誰かを不幸にしないように、と頑張ることで、自分とその相手の人生を狂わせてしまうこともある。

 僕が拠っている「正しさ」は、世間からの「借り物」ではないのか?
 そんなことも考えさせられました。

 しかしこの作品、映像化されそうで、実際は難しいかもしれませんね。
 映像化するのなら、この物語に説得力を持たせる絵がないと、成り立たないのだから。


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