- 作者: 宇佐美文理
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2014/06/21
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (6件) を見る
内容紹介
日本でも西洋でも、絵画の基本的な要素は、「形」だが、中国絵画の場合、さらに「気」という要素が加わる。「気」とは何か? 気が絵画にどのように表れるのか、その実例を示しながら、中国絵画独特のこの考え方を丁寧に説明する。そして、原始から清までの代表作150点を紹介し、その魅力を探る。カラー16頁。
Q:中国の「画家」の名前を挙げてください。
……僕は、結局、ひとりも思いつきませんでした。
中国史はけっこう好きで、学生時代からけっこう本も読んでいたつもりなのですが、中国の「絵」については、全く無知。
展覧会などで、「山水画」をみて、「ああ、こういうのが『中国の絵』なんだな」と思うのだけれども、「要するに、モノクロで、山が描いてあって、掛け軸になってるやつだろ」という程度の知識です。
というかこれ、「知識」なんて言えるようなものじゃないですね。
絵画を観賞するのが好きな人は、けっこういると思うんですよ。
で、ピカソとかゴッホ、ダ=ヴィンチのような西洋絵画は、その画家に関するドラマ的な部分も含めて、それなりに認知されているはず。
日本画に関しては、西洋絵画ほどではないけれど、浮世絵などもそれなりに親しまれているし、近年、再評価の機運が高まってきているようです。
僕が住んでいる地域で行われていた『ボストン美術館展』も、好評だったみたいですし。
(ボストン美術館は、浮世絵など、日本の絵画コレクションでも有名な美術館です)
イスラム教の世界では、偶像崇拝が厳禁されていたという歴史もあり、絵画そのものがあまり盛んではなかった、と聞いたことがあります。
最近は、「現代アート」が、作品としても、投機対象としてもけっこう盛り上がってきているようです。
とくに中国やインドネシアなどのアジア圏で。
僕にとっては「何なんだこれ……」としか思えないような作品も多いのですが、裾野は、確実に広がってきています。
しかし、「中国絵画」か……
中国の長い歴史を考えると、有名な作品・画家のひとつやふたつ、すぐに思い浮かんできても、おかしくなさそうなんですけどね。
本当に「知らない」。
まあ、新書一冊くらいなら、中国の絵画に付き合ってみてもいいかな、なんて思いつつ読み始めたこの新書、最初のほうは、「これはトンデモ本」なのでは……と不安になりました。
「気」が中国絵画の重要な要素であるということは百も承知だという方はいるだろう。しかし、これまでそれについて正面から記述されたことはほとんどなかった。もし美術史の人が本書と同じような、中国絵画史のようなものを書こうとすると、どうしても美術史的記述が必要で、作者の伝記、社会背景、あるいは作品が真筆か模本かなどの考察を書かないと話が進まない。美術史的には、ある画家が本当はどのような絵を描いたのかということが重要なことがらとなるからである。
本書は、その部分をほとんど捨象している。その分、気と形の関係の記述に多くのページを割いている。従って年号もほとんど出てこなければ、作者の伝記にもほぼふれない。のちに述べるように、中国絵画は画家の人格と密接にかかわるので、伝記の記述はもちろん意味あることなのだが、「文人として理想の人格」が想定されて、「その人格の表現として芸術作品は存在する」という発想なのだから、大きな流れをつかむためには必ずしも必要ではないと判断してここでは話を進めている。また、作者が必ずしも明確でないもの、あるいは後世の模本についても、「〜作と言われている」などの書き方にとどめている。詳しくは本文に譲るが、模本についてのイメージが前近代の中国と現代の我々とでは相当違うということは、少し記憶にとどめておいていただきたい。
要するに、本書は、「造形作品」としての中国絵画史を書くことを目的としている。そのために、絵画のもっとも基本的な要素である「形」が「気」とどのようにかかわり合いながら、造られるのかを考えてみた。
いきなり、「気」ですからね……
そんなの見てわかるのかよ!と思ったのですが、うまくできていて、この新書を読んで、中国の絵画史の概略をたどっていくと、なんとなく「わかったような気がしてくる」のです。
この新書、かなり思い切って「ざっくり」書かれているのですが、そのおかげで、全体としての流れがつかみやすく、「個々の作品や画家についての知識がそんなに増えるわけではないけれど、中国の絵画の見方が少し理解でき、興味がわいてくる」内容になっています。
そして、多くの「ちょっと中国の絵画のことも、知っておきたい」という読者への入門編としては、このくらいが適切なのではないかな、と。
カラーやモノクロで、代表的な作品もかなり紹介されていますし。
個々の絵が小さいのは、新書の限界なので仕方がない。
そして、口絵2の北宋・郭熙の「早春図」を見ていただきたい。この絵には、春の気が描かれている。と筆者が言うまでもなく、この絵はそのように見なければいけないのであり、少なくとも前近代の中国の知識人たちは、この絵をそのように見ていたことはまちがいない。そして、また同じことをくりかえすことになるが、あなたがこの絵を見て「感じとったこと」、つまり、山があるとか、木があるとか、建物があるとかなどの、形あるものを言葉で認識したことがらではなく、言葉にはならない、ともかくこの絵から感じとられたこと、それがまさにこの絵のもっている気にほかならない、ということが重要なことがらである。それは、これから本書の中に出てくるすべての絵画についてそう考えていただいて結構である。中国絵画における気とは、そのようなものである。
これを読んだ人の半分くらいは、「なんじゃそりゃ?」って思うのではないでしょうか。
僕もそう思いましたよ。
「そういうものだから、それが『気』だから」って言われてもねえ……
ただ、この本を一冊読んでいくと、なんとなく、わかったような気分にはなります。
習うより慣れろ、といったところなのでしょう、たぶん。
たしかに、アートって、そういう「数をこなすことによって磨かれる審美眼」みたいなものがあるのだろうし。
唐の時代には、絵画に対する「人格主義」という考えが主流となり、ずっと影響を与えていくのです。
平心に考えれば、絵画の価値を決めるものは、その作品にあるはずである。しかし、中国の芸術は、しばしば作品ではなく、作者によって価値を判断する。簡単に言うと、絵がうまいとか下手とかいう問題をわきにおいて、絵を描いた人物自体の価値を基準としようとするのである。
これは、のちに見るように、蘇東坡や郭若虚といった北宋の人物の発言によって、文人画の基礎理論として確立するのだが、すでに唐の時代、たとえば『歴代名画記』の著者である張彦遠の発言にその萌芽が見てとれる。そしてそれは、この逸品画風のような、かならずしも職人画家による熟練の技によって引かれる輪郭線がなくても描ける画風が登場することと密接にかかわるのである。
なお、張彦遠は、「絵は画面で評価するのであって、画家の人格で判断してはだめだろう」と、至極まっとうな意見を示している。しかし、一方で、張彦遠は、絵画が高潔な人格をもった人間のなせるものであることを強調する。それは、張彦遠が絵画は単なる職人の技ではないと、絵画の社会的な価値を何とか高めたいと思っていたからなのだが、ここに至って、「人格に優れた画家が描くものこそがすばらしい絵画だ」、そして「士大夫は人格的にすぐれている」となってしまえば、自ずと絵画は士大夫の技術に格上げされることになるのである。
いや、絵は絵だし、すごい絵を描く人格破綻者なんて、ごまんといるだろ……
と言いたくなるのですが、こういう「人格主義」が正しいと信じられていた時代が中国にはあったのです。
明代の画家・沈周のエピソード。
沈周は、贋作者が作品をもって自分の所にやってきて、「あなたのサインを入れてくれないか」と頼むのに対し、喜んで応えたと言われている。
もちろん、この話がどこまで本当かはわからないが、重要なのは、この逸話が「そんなとんでもないことをしているのか」という感覚ではなく、「いかにもありそうなこと」と理解されているだろうということである。
これは、モノに執着しない沈周の人柄を彷彿とさせるものであって、さればこそ沈周の作品が好まれるようになる話柄であり、また、こういう話もあるわけだから、後世の人が「沈周のサインの入った贋作」をも珍重することもわかるような気がする。しかしながらこのことは、中国絵画をサインだけで鑑定することのむずかしさを示してもいる。
先にも述べたが、気韻生知論に見えるような、描いた画家を基準にして絵画を評価するというのは、中国では基本的な発想である。その「基準」の意味は、一つにはこれまで述べてきたように「その画家の人格を基準にして」ということだが、もう一つ、そこから派生する考え方として、「その人の作品ならば、どれでも同様な価値がある」という発想がある。
日本でも「一号何万円」という言葉があるように、絵の「でき」以前に、絵画が「画家の名前の値段×大きさ」で価値が決まるというのは、あるいは西洋発祥なのかもしれないが、中国の考え方でも説明ができる。
中国で、「誰が描いたかじゃなくて、絵そのもので評価しようよ」という考えが台頭してくるのは、清の時代のことだったのです。
これだけ「絵画文化」が違うと、それはそれで、興味深いな、とも思えてくるんですよね。
そんな中国が、いまでは、現代アートの最も重要な発信地のひとつになっているのですから、不思議なものです。
いやむしろ「作家主義」という意味では、現代アートのほうが、「中国的」なのかもしれませんね。
これ一冊読んだからといって、「中国絵画通」を名乗れるようなものではなさそうですが、「中国の絵画観」の一端を知ることができる、「ちょっと興味が出てきた人のための入門書」として、よくできた新書だと思います。