琥珀色の戯言

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【読書感想】カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

【どこにでもある「インドカレー店」からみる移民社会】
いまや日本のいたるところで見かけるようになった、格安インドカレー店。
そのほとんどがネパール人経営なのはなぜか?
どの店もバターチキンカレー、ナン、タンドリーチキンといったメニューがコピペのように並ぶのはどうしてか?
「インネパ」とも呼ばれるこれらの店は、どんな経緯で日本全国に増殖していったのか……その謎を追ううちに見えてきたのは、日本の外国人行政の盲点を突く移民たちのしたたかさと、海外出稼ぎが主要産業になっている国ならではの悲哀だった。
おいしさのなかの真実に迫るノンフィクション。


 僕が住んでいる人口10万人にも満たない九州の地方都市でも、結構この「同じようなメニューのインドカレー店」を見かけます。店主がネパール人かどうかはわかりませんが、流行っている店もあれば、あまりお客さんがいないような店もあり。
 「ナンおかわり自由」の日に子どもたちと食べに行きつつ、内心「僕はカレーはライス派なんだけど」などと考えているのです。

 正直、ものすごく美味しい、というわけではないけれど、比較的安い価格でいろんな(とはいっても、味のベースは3〜4種類くらい)カレーが食べられ、子どもたちも喜んでくれる、というのは、ありがたい選択肢ではあります。
 でも、なんでこんなに同じような店がたくさんあるんだろう?というのは、ボリュームがやたらと多くて、すぐに潰れては新しくできる台湾(中華)料理店の存在とともに、ずっと疑問ではありますが。
 車で通りかかったときに、また同じような店か、と思い、通り過ぎると3秒で忘れてしまう、というレベルです。

 著者は、「インネパ」(ネパール人経営の格安インドカレー店)の店主やそこで働いている人たちを丹念に取材し、そのルーツから同じような店が広がっていった経緯や現状、そして、「カレー店経営のために移り住んできた人たちとその家族」について紹介しています。ネパールの「日本に大勢のカレー移民を輩出してきた村」も訪れているのです。

 こちら側からみると、「なんで同じようなカレー店、それも、似たメニューばかりができてしまうのか?」、そもそも、なぜ「ネパールの人たちが日本でインドカレー店なのか?」と思うのですが、この本を読むと、そこには合理的な理由があったことがわかります。

 ネパールはまだまだ貧しく、ヒマラヤの観光か農業くらいしか稼げる産業がないそうです。アジアでもとくに所得水準が低い「後発開発途上国」とされており、1人あたりの年間所得は日本円で約20万円くらい、3000万人の国民の40%は貧困層です。以前からインド、とくに飲食業で働く人が多く、近年は中東の産油国で肉体労働に従事する人も増えています。


 ネパール人がインドの飲食業で重宝された理由として、こんな話が出てきます。

「たとえばインドのコックさん、自分の仕事しかやらない。カレーだったらカレーだけ。タンドールだったらタンドールだけ。洗い場だったら洗い場だけ」
 それはインドのカースト制度の意識が影響した、伝統的な分業制だ。カーストは階層でもあり、また細分化されて職業とも密接に結びついている。このカーストはこの職業、というように仕事と身分が固定化・世襲化されているのだが(それも近年の経済成長やグローバル化で変わりつつあるそうだが)、だから同じ厨房で働いていても自分の仕事しかやらない人がほとんどだ。カーストそのものというより、そこに根差した考え方からくる風習としての分業のようだが、タンドールでナンを焼くのと、カレーを煮込むのは別の仕事なのである。ましてや店の掃除や、お客の応対なんかは、まったく異なる仕事と認識される。兼任するものではないのだ。
「でもネパール人は、ひとりでぜんぶやっちゃう」
 インド人と同じヒンドゥー教徒が多いネパール人だが、カーストによる職業的な縛りは比較的少ない。だから掃除から調理からレジ打ちから、ひとりでなんでもこなすのだ。経営者からすれば、その柔軟性はありがたい。


 ずっと日本で生活している僕は、手が空いていれば、店の掃除やレジ打ちくらいはするのが「普通」ではないか、と思うのですが、インドの慣習では「自分の仕事以外はやらないのが当たり前」なので、どちらが良い悪いという話ではないのです。
 でも、飲食店の経営者にとっては、インド人とネパール人、料理の腕が同じくらいであれば、どちらを雇ったほうが「使いやすい」か、ですよね。
 ちなみに、ネパール人が現地で普段食べている料理は、もっと素朴で穏やかな味のもので、自分の店で出しているカレーはあくまでも商品、という人が多いのだとか。

 なぜこんなに同じようなカレー店ばかりなのか、多少なりとも「差別化」したほうが良いのではないか、と客側としては思うのですが、そこには、さまざまな事情や理由もあるのです。

 彼らはネパールから親戚・知人のツテや外国での仕事を斡旋する業者を利用して日本に来て、8〜10年くらい日本のインド料理店で働き、お金を貯めて独立していきます。

 そして独立資金とノウハウが蓄積できたら、自分の会社をつくり、店を開くのだ。そこで提供するメニューは、雇われて修行していた店の、まるでコピペのようにソックリなもの。というのも、それでお客が入っていたのだから間違いがないはず、これで日本人を満足させられるはず、と考えるからなのだとか。バターチキンカレーを軸に日本人の好むメニューを用意し、味つけは修行した店のレシピを流用。壁にはヒマラヤと、ネパールの聖地スワヤンブナート寺院の写真なんかを貼りつけて、いざオープンする。こうしたスタイルは、
「失敗できない、なんとしても日本で稼ぎたい」
 という必死さの表れなのだという。冒険してメニューや店のたたずまいにアレンジを加え、お客が入らなくなるのが怖いのだ。話してみれば愛想よくにこにこ笑って、お気楽そうな人々に見えるかもしれないが、みんな人生をかけて外国に、日本に来ている。自分や家族親族の貯金も注ぎ込んでいる。だからどうしても慎重になるのだ。その気持ちを彼らは「模倣」という形で表現する。


 安易といえば安易なのかもしれませんが、日本人が「サラリーマンを辞めて修行し、起業した、こだわりのラーメン店」の多くが長続きせずに潰れていることを考えれば、失敗できない、お金と仕事がなくなれば、日本に滞在することさえ難しくなるネパールの人たちが、同じような店をつくってしまうのは、むしろ当たり前なのかもしれません。

 とはいえ、それで必ず成功できるほど甘いものではなく、近年は「インネパ」の数が増えすぎて来たこともあり、経営が厳しくなっている店も多いそうです。
 
 太平洋戦争後〜高度成長期の日本の首都圏にできたインド料理の店は、宮廷料理をベースにした高級店で、価格も高く、富裕層が集まる店でした。
 それが、1990年代からのエスニック料理ブームやランチセットの導入で、一気に低価格のインド料理店が増え、料理人の仕事を求めてネパールから日本に来る人も多くなったのです。

 そしてもうひとつ、悲しい話も聞いた。
「値引きしかアイデアがないんですよ」
 ネパール人とカレー屋を共同で営む、ある日本人の意見だ。開業ブームに乗ってきた「第2世代」の人々は、人数が多く未開発な地域の出身者が中心だったため、教育格差がある。
「しっかりした事業計画もなく店をはじめて、原価や売り上げの計算もせずに、とにかく安くして数が出ればいいじゃん、みたいな。でもこのスタイルだと、お客さんは来るけど忙しいばかりで利益が出ないんですよ」
 そこを家族経営でなんとか回して人件費を抑え、安い食材を使ってフードコストを下げて、ナン食べ放題の安価なランチを提供し続ける。それを、何十年も不景気が続き、ちっとも稼ぎの上がらない僕たち日本人が「安くて腹いっぱい食える」とありがたくいただく。「インネパ」が拡散していったのは日本の世相とマッチした殻でもあったが、その安いランチは途上国の抱える問題を背景に提供されてきたものといえるのかもしれない。


 日本は物価もサービスの値段も安い、外国からの旅行者にとっては「素晴らしい国」になっています。
 ここに書かれている「日本のなかでのネパール人カレー店経営者」と同じようなことを、世界のなかで日本人はやってきたのではないか、と考えさせられます。


 「成功」を求めて日本にやってきたネパール人たちの家族が抱えている問題についても、著者は当事者たちへの取材をもとに書いています。
 なかでも、子供たちの問題は深刻なものだと感じました。
 言葉もわからない国で両親と一緒に暮らすべきか、親元を離れて、ネパールで祖父母などと生活していくことを選ぶか。
 どちらが正解、とも言えないし、日本の社会は、まだ、移民を受け入れることに慣れてもいないのです。
「家族滞在」の在留資格を持って日本で生活しているネパール人は、2023年6月の時点で、約4万6000人もいて、国別では、最も多いのが中国で7万人くらい、2位がベトナム、3位がネパールだそうです。

 コックやパートの仕事が忙しいこともあるだろう。しかし、子供に手を煩わされたくないという親もまたいる。学校や保育園に入れるのは教育というよりも子供の面倒を見なくていいからだという親もいる。我が子の将来のかかった「教育」を乱雑に扱う。これは悲しいことだが、経済的に立ち遅れた国特有の、教育レベルの低さと、とにかく稼がなくてはならないという経済移民の必死さから来るものなのだろう。偉そうな言い方をすると、僕たち日本に生まれ育った人間には、たぶん理解できない。
特別支援学級でがんばって日本語を上達させれば、通常学級でもついていける可能性が高いんです。だから子供のために送り迎えの時間を取ってほしいと言うんですが……」
 そうはせず、通常学級だけに行かされ、通訳もないまま授業中ポツンと座り続けるだけの生徒は多い。日本語はできず、友達もつくれず、当然ながらやがて学校から遠ざかっていく子供たちはいったい、どこへ行くのか。


 著者は、全体的な問題点を挙げるだけでなく、日本でネパール人の子供たちに高度な教育を提供している学校もあること(ただしそれなりに授業料はかかります)や、夜間中学の先生たちの献身的な支えで希望を取り戻したネパール人の若者の話も紹介しています。
 そんな例外はあるとはいえ、「目の前の仕事や経済的な成功を最優先にしてしまう」移民1世と、「言葉もわからない異国に放り込まれて絶望している」移民2世の断絶は、移民受け入れをすすめようとしている日本政府にとっても、無視できない問題のはずですが、「現場任せ」になっているのが実状です。

 国の経済力の低下から、出稼ぎ先、移民先としての日本の魅力がなくなってきています。
 日本から外国に出ていく人のほうが、近い将来には増えていき、この問題は自然に解決してしまう可能性があるのは悲しいことではありますが。

 「同じようなカレー店が、なぜ乱立しているのか?」という疑問が解決できれば、と思いつつ読みはじめたのですが、その疑問の答え以上の気づきと、新たな知見をもたらしてくれる本でした。


fujipon.hatenablog.com

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