琥珀色の戯言

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【読書感想】小説編集者の仕事とはなにか? ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

編集者の仕事を、徹底的に語り尽くす!

講談社ノベルスだけでも180冊以上を担当し、メフィスト賞の創設にも携わった編集者・唐木厚。京極夏彦氏や森博嗣氏のデビューを世に問うた筆者が、いかに本づくりに打ち込んできたのか。編集者の仕事の本質に迫ります。数多くの作家とタッグを組んできた豊富な経験と鍛え上げられた奥深い知見から、編集者に必要な能力をいかに養えば良いのか丁寧にまとめました。それだけではなく、右肩下がりと言われている小説の現状の分析と、未来への熱い展望についても独自の視点で語ります。ミステリについてのQ&Aも掲載、ミステリ好きも必見です。「小説編集者の仕事とはなにか?」筆者と一緒に楽しく考えてみませんか。


そう。
この人が、30年前ぼくがかけた電話に出てくださった“始まりの人”です
ーー京極夏彦


 ネットが普及し、『小説家になろう』などの小説投稿サイトで作品を発表できる時代になってから、20年くらいが経ちました(『小説家になろう』は2004年4月に開始)。
 ネット発の人気小説やマンガもたくさん出てきて、というか、現在ではそれが当たり前のことになっています。
 作家が自分で書き、プロデュースできるのであれば、「出版社の編集者って、本当に必要なのだろうか?」という疑問の声もよく耳にします。

 著者の唐木厚さんは、1990年に講談社の編集者となり。主に講談社ノベルスというレーベルで本を出す編集部に所属し、現在活躍している多くの作家を輩出した「メフィスト賞」の立ち上げにも関わっておられます。
 
 京極夏彦さんや森博嗣さんのデビュー作を担当し、世に出していったのが、唐木さんなのです。
 
 「メフィスト賞」の受賞作には、1996年、第1回の受賞者である森博嗣さん『すべてがFになる』から、清涼院流水さん、舞城王太郎さん、西尾維新さん、辻村深月さんなど、錚々たる人気作家が並んでおり、受賞者の名前を見て、あらためてその影響力を感じました。

 雑誌の「新人賞」に、まだ世に知られていない、これだけの才能が集まっていたことに驚きます。

 さまざまなコンテンツが溢れる現在、アニメやゲーム、ドラマなどは、小説の競合相手と捉えることもできます(僕は一概にそうとは思っていないのですが)。ではほかのコンテンツとは異なる、小説が持つ強みとは何でしょうか。
 それはもう、「作者」という強い個性を活かせること。ひとりの作家とひとりの編集者、たったふたりの思いが一致すれば、作品を世に問えることです。
 もちろん編集部によっては企画会議や上司の許諾や必要なこともあるかもしれません。それでも、基本的には作家と担当編集者、ふたりの熱意があれば企画は通るはずです。
 それに対して、アニメやゲーム、ドラマ作品を世に送り出すためには、膨大な人手が必要になります。企画を通すためには、「いまこういうのが流行っている」とか、「この原作は売れているから」とか、さまざまな理由付けが必要になってくるでしょう。作品をつくり出すまでに、何度も大勢でも会議を重ねることにあんるわけです。でも、僕の先輩で「新本格の仕掛け人」とも言われる有名編集者の宇山秀雄さんがよく言っていたことなんですが、それでは「尖った才能」や「異形の作品」は生まれにくくなってしまいます。
 僕は世の中の人たちの関心の局面を変えられるのは、そうした「特別な才能」だと信じています。そうした特別な才能を生み出せる場所こそ、「個人の圧倒的な才能」をダイレクトに表現できる小説やマンガというジャンルなのです。さらに言えば、世の中の局面を変えた創作物の爆発力は極めて大きい。「いままで見たこともないもの」が生まれたとき、世の人びとは最初は抵抗感を示すかもしれませんが、そこを一度超えたら、信じられない速さで広まっていきます。
 さらに小説はマンガと違ってアシスタントを基本的には必要とせず、ただひとりが書くことで世界観を構築できるところにも強みがあります。


 「何者にもなれなかった人間」が、年を取り、最後にたどり着くのが「作家」か「カメラマン」志望、というのをどこかで読んだことがあります。
 50歳になってから野球をやってプロ野球で活躍するとか、天才ピアニストになる、なんていうのは「そりゃ無理だろ」と誰もが諦める。
 でも、「文章」とか「写真」というのは、素人であっても、あるいは、素人であればなおさら「プロとアマチュアの違いが見分けにくい」し、「日本で生活している日本人で、日本語の文章を書けない人」や「カメラで写真が撮れない人」は、ほとんどいないので、これだったら自分にもできるのではないか、と夢をみつづける人が多い、ということなのです。

 他人事じゃない話ですが、「できそうな気がする、諦めがつきにくい」からこそタチが悪い、という面もありますよね。せめて希望くらい持たせてくれよ、とも思うのだけれど。

 著者は、多くの「才能」に接し、そのデビューに尽力しているのですが、その出会いのエピソードの数々は、この本の中でもとくに印象深いものでした。

 唐木さんは、京極さんからの「公募小説の規定におさまらなかった作品を読んでもらえますか?」という電話を受けた編集者であり、その「規格外のすごい作品」である『姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)』を世に出しました。
 京極さんは人気作家としての地位を確立し、あの本の分厚さを見ただけで、読者は嬉しくなってしまうのですが、デビュー作で、しかも「ノベルス」というレーベルで、『姑獲鳥の夏』を出版するのは、かなり思い切った決断だったのです。


 唐木さんは、京極さんについて、こんなふうに仰っておられます。

姑獲鳥の夏」を講談社ノベルスにパッケージングしていくにあたって、作家としてのプロフィールや著者近影などを京極さんにお願いしてご用意いただいたのですが、そこでも驚かされることになります。
 ことごとく、作品のイメージに合ったものを出してくださるんです。そのとき「この人はプロデューサー感覚を持ちながら、作品をつくっているんだな」ということが、よくわかりました。
 ですから打ち合わせにおいては、作家・京極夏彦の本をつくるために、プロデューサー・京極夏彦と編集者の僕が語り合って、いわばその3人で出版活動を行っているような感覚があったのです。
 そもそも、『姑獲鳥の夏』の持ち込み原稿も、いま現在、読者が手に取っている形に極めて近いものでした。その段階ですでに、講談社ノベルスの中にも挿入されている鳥山石燕の姑獲鳥の絵も、添えられていました。
 その後の京極作品を特徴付けている、文章がページをまたがない独自のスタイルは、『姑獲鳥の夏』で出版を経験したあとの2作目から早くも確立されています。
 僕が不思議に思うのは、京極夏彦という作家はデビューする以前から、完璧に京極夏彦であり、作品のクオリティやスタイル、自己プロデュース、すべてにおいて完成されていたということです。こんな作家にはほかにお目にかかったことがありません。


 森博嗣さんのデビューまでの経緯の話を読んでも、「売れる」「多くの固定ファンがつく」ような作家は、プロ野球の即戦力ドラフト1位ルーキーみたいなもので、「最初からモノが違う、怪物的な存在」なのかもしれません。
 京極さんは、ネットの小説投稿サイト経由であっても、世に出た人ではないかとは思うのです。
 しかしながら、本当にひとりで全部やっていたら、ここまで成功できたかどうかはわかりません。
 唐木さんは「作家を教え導く」とか「売れるものを書かせよう」というのではない、その作家の才能を認め、より多くの人に伝わりやすいように環境を整えていく、というスタイルの編集者で、「規格外の才能を型にはめずに尊重する」ことができる人だったのではないか、と感じました。

 世の中には、「作家との共同作業で作品をつくっていく」というタイプの編集者もいるので、どちらが正しい、間違っているというのではなく、相性みたいなものが、きっとあるのでしょう。
 編集者との相性が悪くて、うまくいかなかった才能というのも、少なからずあったのではないかと想像してしまいます。


 「書く側」として、すごく参考になる話も散りばめられています。

 タイトルについて、若い頃に言われていまでも忘れないのは、「作家の原稿料のうちの8割はタイトルだ」という言葉です。もちろん誇張した言葉ではあるんですけど、作家は何万字も原稿を書いているのに、多くても数十字のタイトルのほうが、重要だと。そのくらいタイトルというのは本の顔であり、大切なものなのだということですね。このことは何人もの先輩編集者が言っていました。
 タイトルの重要性は、もちろんいまでも変わりません。作品をアピールする上で一番強い武器ってタイトルですから。「小説家になろう」などのウェブ発の小説は、発表時点ではカバーも帯文もありませんから、タイトルで作品のすべてを表現しようとして長文になっています。一般文芸においても、同じような傾向が見られます。読者に手に取ってもらうため、必然的にそうなっているのです。もちろん、いわゆる「なろう系」でも短いタイトルの作品もありますよね。『無職転生』、これは短くて、かつ何を書こうとしているかが「なろう系」の読者にはよく伝わる。長くしなければ売れないわけではなくて、伝わればそれで十分なんです。タイトルで本の内容がある程度想像できるというのは、良いタイトルの条件のひとつと言えるでしょう。


「なろう系」のタイトルの長さと、タイトルでほとんど内容を説明し終わってしまっているのが、僕はずっと気になっていたのです。
 あれは「選択肢が増えすぎてしまったなかで、手に取って(クリックして)もらうには、本文よりずっと多くの人が見てくれるであろう、タイトルに情報を集約するしかない、という理由からなんですね。
 
 やっぱり、タイトルって、大事だよなあ。というか、指名買いしてもらえる人気作家・ライター以外は、タイトルで勝負するしかない時代なのでしょうね。
 「釣りタイトル」は批判されるし、そういうコンテンツを読むと僕も不快になりますが、「釣る側には、釣る側の事情がある」のです。

 編集者の仕事に興味がある人はもちろん、書く側の人、書いたものを他者に読んでもらいたい人にも、役立つ本だと思います。


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