琥珀色の戯言

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【読書感想】麻布という不治の病: めんどくさい超進学校 ☆☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
東京都港区にある麻布中学校・高等学校は「自由な学校」の代名詞として知られる。六〇年以上東大合格者数トップ一〇でありながら、底抜けに自由な校風という「ギャップ萌え」が魅力の超進学校だ。ただ、それは表面的イメージにすぎない。本当の「麻布らしさ」とは何か。それを感じ取るため、麻布OBの著者が九人の超個性的な卒業生たちに話を聞いた。そこから「いい学校とは何か?」「いい教育とは何か?」という普遍的な問いに迫る。


 僕自身は、東京で暮らしたことはないので、「麻布」という学校については、「ちょっと変わった、超進学校」というくらいのイメージしかなかったのです。そして、「自分(と自分の子どもたち)には縁のない学校だし、こんな高偏差値の世界の本を読んでも、コンプレックスを感じるだけで、意味ないよなあ」と思っていたのです。

 でも、同じ著者の『名門校「武蔵」で教える 東大合格より大事なこと』という本が滅法面白かったので、この「麻布」も読んでみることしました。


fujipon.hatenadiary.com


 ちなみに、著者のおおたとしまささん自身も、麻布出身だそうです。すごいな……

 この本は、麻布出身の著名人が、それぞれ、自らの半生と「『麻布』で学んだことの自分自身にとっての意義」について語っておられます。
 インタビューされているのは、谷垣禎一さん、前川喜平さん、宮台真司さん、プロゲーマーの「ときど」さんなど、まさに多士済々。
 著者のおおたさんも麻布の出身ということで、みんなかなりリラックスして、学生時代のことや麻布への思いを語っているようにみえるのです。

 元自民党総裁谷垣禎一さんの回より。

谷垣「平沼(赳夫:元経済産業大臣・麻布で谷垣さんの五学年先輩)さんもよく言ってましたが、小学校まではそこそこできたつもりでも、麻布に入るともっとできるやつがたくさんいる。自分の才覚で何とでもなると思ったら大間違いだとその時点で気づくわけです。あとで私も閣僚なんてやるわけですが、財務省なんかに行って頭の切れるところを見せようと思ったってバカにされるだけだというのがわかってる。麻布のおかげです」


 僕自身、中学校までは「俺より賢いヤツは、そうそういないだろう」とひそかに自負していたのです。ところが、麻布とは比較することさえおこがましいくらいの地方の進学校に通ってみて、そこでは自分が真ん中くらいの成績だったことに衝撃を受けたのです(それを悟られないように「まあこんなもんだろう」みたいな態度をとってはいたけれど)。世の中には、ものすごいヤツがいる。でも、そのものすごいヤツも、勉強以外の面では、アイドルやゲームの話を普通にしたり、寝坊して遅刻したりするような「人間」でもあったのです。
 そういう「すごく勉強ができる人たち」と身近に接して、自分の身の程を知ったというのは、僕にとってはすごく大きな経験だったと思います。そういうショックに対して、ものすごく頑張って、努力で才能に追いついてしまう人もいれば、自暴自棄になってしまう人もいました。僕は「頑張り切れず、さりとて、諦める勇気もなく、良く言えば中庸、悪くいえばどっちつかずで、なんとか地元の医大に引っかかった」という感じです。
 もし、怖いもの知らずで地元の公立高校に進み、トップクラスの成績をとっていたら、良くも悪くも別の人生があったのだろうか?なんて、昔はときどき考えていました。
 ただ、基本的に「僕はトップクラスで戦えるほど賢くもないし勤勉でもないしメンタルも強くない」。それは、進学校で「悟った」ことでした。
 ああ、なんだか自分のことばかり書いてしまった。でも、この『麻布という不治の病』という本には、受験勉強で「いい大学」とかを目指した人には、とくに「自分自身のことを思い出さずにはいられなくなる」ところがあるんですよ。
 出てくるのは、別世界の生きもののような「天才」ばかりなのだけれども。


 社会学者の宮台真司さんの回では、2019年の『新・男子校という選択』(おおたとしまさ著・日経プレミアシリーズ)での宮台さんの言葉が再録されています。

宮台「早稲田や慶應には楽勝で入れるんで、それを背景にして、遊びと勉強の両方できるやつ→遊びだけできるやつ→勉強だけできるやつ→両方できないやつっていう順番のsクールカーストになっていたんですね。なので麻布の中での上昇ゲームは外から見るとかなり過酷なものになります。定期考査の三日間でも前日でも部活を休まないやつっていうのがステージ的には高いので、結構いたわけです。そうすると結局、試験前日に先輩が『六本木行くぞ!』とかって言うんですね。『ちょっと無理なんだけど……』って思いながらそれに付き合わないとステータスがなくなるのが麻布のゲームなので、無理して付き合うわけです。その分、睡眠時間が短くなるし、試験で効率よく結果を出す方法を編み出す必要性にも迫られる。だから麻布生は他人の半分の時間でぶち抜く方法をそれぞれに模索するんですね。一般的な大学受験テクニックをまねるのではなくて、それぞれにオリジナルの方法を開発する。それが麻布のゲームの過酷さの一端です」


 今回のインタビューで、宮台さんは、こう仰っています。

「振り返ると、麻布ってひと言で『演技空間』だったよね。いろんな人間が演技してるんだよ。東大でも『テストなのに全然勉強してないや』という演技はあった。でも麻布は極端だよ。だからいま思えば、『ひとは見かけによらない』ということを経験したよね。麻布時代すごいなと思ったやつが大人になってから会うと意外とちっちゃなやつだったことがわかったり、逆にコイツこんな深いやつだったのかってことがわかったり」
 勉強もできて、遊びもできる役割を演じるためにみんな必死だったという。


 「できる人たち、エリートたちの世界」であり、不文律として、「授業中の出前は禁止。校内での鉄下駄は禁止。麻雀は禁止」の三項目があるだけ、という「自由な校風」を紹介する定番ネタを持つ「麻布」。
 でも、そういう「麻布らしさ」を、訳知り顔で「理想の教育」だと信じてしまう人たちに、著者は「そこで思考停止しないでほしい」と、繰り返しているのです。

 この本、ところどころで、麻布の卒業生のひとりとしての、著者のおおたとしまささんの「思い」が溢れてきているのです。

 プロゲーマーの「ときど」さんの章では、おおたさんは、こんな話をされています。

おおた:社会的に見れば”成功者”たちが、ときどさんの生き方を見て「かっこいい」と認めてくれるわけですよね。ご著書にこんなフレーズが出てきます。「『東大まで出て、なんでプロゲーマーになったのか』必ず聞かれるこの問いに、問い返してみたいことがある。『もし東大を出ていたら、あなたは何になりますか?』」。これは深いです。職業柄、いろんな東大生に取材するんですが、「なぜ東大を選んだんですか?」と聞くと、「選択肢を広げるためです」というのが多いんです。でも東大まで出て弁護士になったのに町弁護士なんてやったら負け組とか、東大の医学部出たのに町医者なんてやってられないとかいう話も聞くんです。つまり、東大に行ったことによって増えた選択肢のなかでしか選択できない人生を生きている。「東大まで出たのに……」が逆に選択肢を狭めることがある。
 僕の場合は大学院でどうしようもなくなって、レールが敷かれていないと何もできないんだなと気づきました。
 それに気づくと、いままで背景でしかなかったものがいきなりリアルに浮かび上がってきて、昼間に公園のベンチに座っているスーツ姿のおじさんなんて、いままで全然目にとまらなかったのに、「ひょっとしてこのひとたちもつらい思いをしているのかな」なんて思えてくるようになりました。


 麻布出身者には、個性的な人が多いのは事実だと思います。
 その一方で、麻布や東大のような「すごい人が行くところ」を出てしまうと、生き方の幅がかえって狭くなることもあるのです。
 僕だって、東大医学部卒で田舎の町医者をやっている人がいれば、「何か事情があったのだろうか」と勘繰ってしまいます。
 東大卒だって、研究者より町医者のほうが向いている人だっているはずなのに。
 宮台さんのインタビューにあったように、麻布の学生や卒業生たちもまた「麻布らしく生きること」のプレッシャーにさらされているのです。

 
 母校に誇りを持てるというのは、本当に素晴らしいことだと思うのです。
 でも、「麻布神話」を苦々しく感じている卒業生だって、少なからずいるのではなかろうか。
 卒業生だから聞けた、書けた「超めんどくさい、超エリート校」の話でした。


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