琥珀色の戯言

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【読書感想】ブロークン・ブリテンに聞け ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
EU離脱、広がる格差と分断、そしてコロナ禍―。政治、経済、思想、テレビ、映画、英語、パブなど英国社会のさまざまな断片から、激動と混沌の現在を描く傑作時事エッセイ集。


 ブレイディみかこさんが文芸誌『群像』に2年半連載していたエッセイを単行本化したものです。
 著者が「はじめに」で書かれているのですが、ひとつのテーマに絞って、というのではなく、「政治からテレビ番組や映画、アート、英語、王室に至るまで、英国に暮らして新聞や雑誌を読んだり、人と話したりするなかで、そのときに気になるものをランダムに書き綴ってきた」ものになっています。
 そうやって、「そのとき気になるもの」が書かれているからこそ、通して読むと、2018年から、新型コロナウイルス禍の2020年夏までの英国の時間の流れ、人々の生活が封じ込められているようにも感じるのです。

 ちなみに、この「英国」について、著者はこんな話を紹介しています。

 むかし、英国でチャータード・インスティテュート・オブ・リングィストという機関の試験を受けて翻訳者資格を取った。で、そのときにロンドンの夜間大学の試験準備コース講師から最初に教わったのは、ユナイテッド・キングダム(UK)のことを「イギリス」と訳してはいけないということだった。
 講師いわく、「イギリス」というのは、むかし日本人が「イングランド」(発音的に「イングリッシュ」のほうだろう)という言葉を聞いてそれが訛ったものなので、実際には、ウェールズスコットランド北アイルランドを含まない。だが、なぜか現在、日本人が「イギリス」と呼ぶものは、これらの地域を含むUKのことである。
 このため、例えば在英日本大使館のパスポート申請書などの公式書簡では、「連合王国」をUKの正式名称として使用している。だから、あなたがたも英国でプロ翻訳者を目指すのであれば、UKを「イギリス」と訳すような初歩的ミスを犯すなよ、でも「連合王国」と言っても日本の人にはどこの王国のことだかわからないので、「英国」と訳しておくのがプロの仕事です、とコース初日に教わった。
 その時点でわたしは在英4年目だったが、何の疑いもなく「イギリス」という言葉を使っていたのでこれには衝撃を受け、英国英語とはなんとしちめんどくさいものなのかと思ったが、実際のところ、本場のイングリッシュというやつは、住めば住むほど、わかるようになればなるほど、ややこしい。


 僕はなぜイギリスをわざわざ「英国」と訳すのか、ヤフーニュースの見出しとかなら字数制限もあるのだろうけど……格調高いイメージだから?などという違和感は持っていたのです。でも、これを読んで、「イギリス(イングランド)」は、「連合王国」の一部でしかない、ということに気づかされました。
 とはいえ、そこで「連合王国」と書いても、多くの日本人は直感的には理解できないし、そもそもこの「連合王国」というのも、正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」なのです。しかし、こんな長い名前を毎回書くのも難しい。
 というわけで、「英国」という言葉が、頻回に使われているのです。そうか、英国を特別視しているわけではなく、「簡便で言葉が実際に指すものと日本人がイメージするものが一致するのは、『英国』しかない」ということなんですね。

 こういう「雑学」的なものから、著者が実際に体験している「英国の格差社会の現実」につまで、書かれていることはさまざまです。

 昨年(2017年)3月、英国中部のリーズで女子生徒たちが生理のたびに学校を休んでいるということがメディアで大々的に報道された。10歳以上の少女たちが、家庭に生理用品を買う余裕がないために生理になるたび家から出られなくなるという。彼女たちは、ソックスの中にティッシュを詰めたり、古いTシャツを破ったり、新聞紙を重ねたりして生理の時期をしのいでいるが、そうしたものは市販の生理用品のように吸収力がないため、制服が汚れてしまうことを恐れて学校に行くことができないのだ。
 政府から低額所得と認定された家庭の子どもたちは、学校の給食費が無料になる。生理になったら学校を休むのも、おもにそうした家庭の子たちだ。ならば給食費無料の女子大生たちに生理用品を無料配布せよと立ち上がった運動が#FreePeriodsであり、首相官邸前などで抗議デモを行ってきた。

 2017年12月に慈善団体プラン・インターナショナルが発表した調査結果によれば、14歳から21歳までの英国の女性たちの10人に1人が貧困で生理用品が買えなかったことがあると答えている。さらに、7人に1人が生理用品を買うために金銭的に苦労していると答え、同じく7人に1人が生理用品を買うお金がなくて友人から借りたことがあると答えている。
 英国で生理用品を買うと、20個入りのナプキン1パックが約2ポンド(約300円)だ。人によって使う個数は違うが、毎月5ポンド(約750円)から6ポンド(約900円)は必要になる。世界でもっともリッチな国の一つであるはずの英国に、それを買えないほど貧しい女性が10人に1人もいるというのである。


 著者は、医療や介護職、学校や保育所で働いている人々、宅配便業者、ゴミの収集やバスの運転などの公共サービスに従事している「人と接することが仕事のケア・ワーカー」たちの多くが低賃金で働く、「ワーキングプア」の状態にあると書いています。
 アメリカでも、「ウォルマートで働きながら、フードスタンプ低所得者向けに行われている食料費補助対策)を受給している人たち」が大勢いるのですが、新自由主義は、コロナ禍を相場で儲けるためのチャンスだとみなす人々と、真面目に働いてもフードスタンプをもらわなければ食べていけない人々」という「格差」を広げていったのです。
 ただし、著者は「富裕層には、こういう貧困層の現実が見えない」とも述べています。それは、富裕層が冷酷であるというよりも、それぞれが生活する地域が別々になっており、「物理的にも見えない」のだと。
 正直、僕も「日本の子どもたちの貧困」に関する本を読んで、「どうなっているんだ?」と思うのだけれども、僕自身が、そういう子どもを目の当たりにする機会がなかったのです。
 そういう子どもを見たことがない人たちの世界と、周りはそういう子どもばかりの世界が、同じ国のなかに存在しているのです。

 ひと昔前までは、「抵抗」や「叛逆」が左翼やリベラルのテーマだったが、現代ではそれが「道徳」にスライドしていると言われて久しい。多様性や包摂などのリベラルな概念がメインストリームになるにつれ、「こんなことを言うのは危うい」「こんなことをするのはダメ」と他者の過ちを指摘し、正しさを説くことこそがその存在意義に変わってきたからだ。

 とある日本の識者たちの鼎談動画をネットで見ていると、こういう論点があった。
 コロナ禍で、左右の政治的イデオロギーは完全におかしなことになってしまった。むかしは左派こそが自由を求めたものであり、右派は保守的だった。それが、いまや左派こそが外出するなと言って不自由を求め、右派が外出規制に反対している、というものだ。


 こう指摘されてみると、たしかに、「平等」や「弱者を守ること」は、現代においては「正しいこと」だと誰もが認めています。
 それゆえに、左翼やリベラルは「いまさら声高にこれらを主張する」必要がなくなってしまった、とも言えるのです。
 それは、社会全体にとっては進歩なのかもしれませんが、じゃあ、ある程度目的を達したなら左翼なんてやめてしまおう、というのも難しい。
 結局、メディアやSNSの隅々に目を光らせ、「ポリコレ的に正しくないもの」を見つけ出して叩く、というのが「活動」になってしまっているのです。
 でも、僕が知っている範囲の歴史でいえば、「道徳を押し付ける」というのは、保守派や老人のやることだったはず。
 右派も左派も、世の中の「常識」の変化に対して混乱しているというのが、いまの時代なのかもしれません。

 アメリカの大統領選挙をみていも、よりリベラルで、個人の自由を重視するはずの民主党候補の集会のほうが、多くの人がマスクをしているんですよね。「公共の福祉のため」に。
 その一方で、トランプ大統領を支持していた共和党の集会では、感染者が多数出ているにもかかわらず、マスクをしている人は少なく、「マスクを嫌う人」の多さがうかがえます。彼らは「マスクで顔が見えないと人と会っている感じがしない」「マスクをしていると弱々しくみえる」と主張しているそうです。

 昔は、「多数派の右派、保守派の抑圧に、左派が『正しさ』を武器に抵抗する」という時代だったのだけれど、左派の「正しさ」が世の中のスタンダードになってしまうと、左派は「正しさの先鋭化、押しつけ」に陥ってしまい、右派のほうが「自由」を求める人たちに、「抵抗勢力」として支持されるようになってきた、とも言えそうです。

 感染予防のためには、マスクはしたほうが良いとは思うんですけど、それがイデオロギーと結びついてしまうと、それこそ「命がけでマスクをしない」という選択も「有り」になってしまうのです。

 著者の本には「政治的に正しくはないかもしれないけれど、地に足のついた生きかたをしている人たち」がたくさん出てきますし、著者もそのなかの一人なのだと思います。
 でも、実際に彼らと一緒に生活しているわけではない僕には「とりあえず知る」ことしかできないのだな、という無力感もあるんですよね。


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