琥珀色の戯言

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【読書感想】地方選 無風王国の「変人」を追う ☆☆☆☆

地方選 無風王国の「変人」を追う

地方選 無風王国の「変人」を追う


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
コンビニ店員、国際派テレビマン、サーファー漁師、発明家は、“再選率84.2%”の壁になぜ挑んだのか?マグロと原発の町、「飛び地」の村、60年も無投票が続く島…選挙を旅する異色ノンフィクション。


 地方選挙(地元の首長や議員を決める選挙)に、興味がありますか?
 僕自身は、長年、現職か新人の自民党公認候補と共産党の候補の2人が出馬し、公示された時点で結果も見えているような市長選や、病院に向けて大声で自己アピールする候補ばかりの(「私の母親もこの病院で亡くなりました!みなさんのご快復を願っております!」って演説していた人には、さすがに唖然としましたが)地方議員選挙ばかりをみてきて、選挙がはじまると、「また選挙カーがうるさい時期が来たなあ」というのが正直なところです。
 身内や知人が出馬しているか、原発稼働の是非のような何かその地方に特有の「争点」でもないかぎり、地方選挙って、誰が当選してもあんまり変わらないような気がします。

 ところが、「新型コロナウイルス禍」によって、存在感を増した首長がたくさん出てきました。
 逆に、多くの人に失望された首長も。

 周辺の市町村と比べられて首長の資質が厳しく問われるのはせいぜい、大災害への対応を誤った時である。
 例えば、避難勧告を出すタイミングは市町村長の判断によって分かれる。災害対策基本法は、非難の勧告・指示や警戒区域の設定などを市町村長の権限としているからだ。それは首長個人の「危機管理能力」としてよそと比較され、その後の復旧・復興までをめぐる住民の不満が次の選挙の結果に反映されることはある。実際、2011年の東日本大震災の発生後に被災自治体で行われた首長選で現職の落選が相次いだことはまだ記憶に新しいだろう。
 しかし、それでも全1718市町村の中では、ごく一部の現象に過ぎなかった。
 大半の首長は自分の領地で起こるいさかいだけを丸く収め、あわよくば、外にも名が売れれば良かった。周辺の自治体と共通の課題に取り組む際も、隣町の老獪なベテラン首長に同調していれば事が済んだ。よそがどうであろうと、唯我独尊で許される。4年に1度の選挙さえ乗り越えられれば……。
 ただ、コロナはどうやら今までの「当たり前」に大きな変化を起こしそうだ。
 市町村レベルでも独自の救済策を講じ、スピーディーに打ち出せなければ、住民から不満が寄せられる。首長個人に発信力がなければ、埋没してしまう。先述の「給付率」のようにあらゆる行動がリアルタイムで数値化され、言い訳の通じないジャーナリズムの物差しを当てられ、他の市町村との優劣を比べられる。新しい競争の最前線に立たされる職員たちは疲弊していく一方、八方美人の国会議員はあまり当てにならない。周辺の首長たちはみんなライバルだ。
 感染抑止と休業補償のフェーズが落ち着けば、こんどは地方自治体の財政難が深刻な問題になりそうだ。国の緊急対策で市町村の大事な財源である固定資産税の減免や徴収猶予が行われた。さらに、リーマンショックを超える景気の悪化で税収が容赦なく落ち込もうとしている一方で、地域経済に向けた救済策はもちろん、検査や医療の体制を支えるための財政出動は抑えられない。近い将来には自治体の「貯金」に当たる財政調整基金も底をつき、財政破綻の危機に直面する市町村が続出するであろう。
 すなわち、首長の財政力もこれまで以上に問われる。
 こうしたコロナ以降のリアルが、有権者にとって首長の資質を判断する際の「新しいルール」となっていけば、次の選挙は今までと異なる戦い方を強いられることになるかもしれない──。

 ちなみに、現在の市町村選では、現職の再選率は84.2%だそうです。
 選挙に出て負ける現職は、6人に1人くらいという割合なんですね。
 地方の首長というのは、日頃の仕事そのものが地元民への認知度を高めることが多いですし、小さな自治体では、首長選に対立候補として出馬すると「裏切り者」的な扱いを受けることさえあるのです。2021年の日本でそんなことがあるのか、と言いたいところなのですが、日本がすべて東京、というわけじゃない。この本で、著者は、「長期政権を築き、地元で圧倒的な力を持っている首長に挑戦状を叩きつけた『変人』たち」を追っています。長年やっている首長=悪、挑戦者=善、と外部からはイメージしてしまいがちだけれど、その地域の内部では「せっかくこれで今までうまくやってきたのに」と考える人も多いのです。
 その一方で、、長い間権力の座にあることで「地方の専制君主」のようになってしまった首長への表に出せない反発もある。
 読んでいて感じるのは、人というのは、よほどの危地に陥ったり、大きな改革の波にさらされないかぎり、変化を望まないものなのかもしれないな、ということなんですよ。
 

 著者は、大分県姫島村長選の取材のなかで、こう述べています。

 私が取材した2017年末時点、村役場の正規職員は130人ほどだった。それに加え、ほぼ同数の臨時職員が働いていた。つまり村民の7人に1人、大家族の中に1人は役場勤めがいるという計算になる。その大半は診療所とフェリー乗り場で働いている。
 給与水準は、月額平均約25万円。これは財政再建中の北海道夕張市や人口最小の東京都青ヶ島村よりも安く、全国の自治体のなかでワースト3に入る。だが、時短勤務や嘱託など柔軟な雇用形態も増やしながら、ボーナスは正職員と同基準で出している。その上、「出戻り」のシングルマザーも積極雇用するなど、困難を抱える家庭にも手を差し伸べてきた。
 そのため、村では官民の所得格差も少ない。ある種の平等主義を徹底したことで、過去の村長選で失いかけた地域社会の調和はすっかり蘇った。
「こうした村主導の取り組みが、(全国屈指の組織力を誇る大分の)自治労さえ島に入れない防波堤にもなった」
 そう誇らしげに説く島民にも出会った。
 実際、役場に労働組合ができたことは一度もない。組合が訴える「賃上げ」は、島民にとっての福音になるとは限らなかった。組合費が天引きされたら、かえって手取りが減ってしまう。それに、やたらと職場内で異論を唱えれば、島にいられなくなる。
 同じように、島では全国のいたるところに貼られている新興宗教関連のポスターが見当たらない。多くの島民にとって、よそから流れてきた「正義」や「幸福論」は目の前の生活を守る上ではやすやすと受け入れがたかったに違いない。
 一方、村は小泉構造改革とも闘ってきた。
 大分県平成の大合併で、11市36町11村から14市3町1村に再編された。実は、姫島村も遠い東京から来た改革の波に背中を押されるように対岸にある4町との合併協議に入ったことがある。
 だが、役場が統廃合されたら、職員が減らされ、島民の雇用は維持できなくなる。残った職員の給与水準も他地域並みに上がれば、島の調和を維持してきた「平等主義」も崩れる──。
 村はあっさり栄光ある孤立を選んだ。県で唯一、村制を堅持したのだ。
「『官から民へ』としきりに言うけど、民間に任せて、東京の論理で効率化したらどうなるかわからん。島には島の価値観がある。島の暮らしはなんでも島の中で完結しないといかんのです」
 こういう村長の藤本昭夫は、「官ができることは官がやる」という父の路線を頑なに貫いてきた。父が掲げた「光、水、医療」という標語も現代的に読み替え、村主導で光ファイバーを引っ張り、役場の中にケーブルテレビ局を開き、下水道を100%完備し、介護施設の拡充を進めてきた。
「唯一、村だけで完結できなくなって、不便を被ったのは郵便局です」
 小泉政権時代の郵政民営化のせいで島からは郵便局が消えた。国が狂奔する合理化や効率化に後ろ向きな村の姿勢は「抵抗勢力」と指弾される向きもあったが、世間の評価は2008年秋のリーマンショックを境にがらりと一変した。メディアは「地上の楽園」と言わんばかりに村伝統の平等主義を持て囃し、全員参加型の役場を「行政ワークシェアリング」と今風に名づけた。昭夫は一躍時の人となり、2009年4月にはアメリカのニューヨークタイムズまで大特集を組んで、「A Worker's Paradise(労働者たちの楽園)」と見出しを打って持ち上げた。
「住みよい北朝鮮
 ある村議は、島をそんな一言で表現する。
 なぜ「北朝鮮」か。
 島の民は健康で文化的な最低限度の生活を営むために、選挙による民主主義よりも選挙を行わない寡頭支配を選んだ。無投票による「独裁」、つまり藤本親子による世襲体制を抱きしめたのだ。


 日本のなかには、こんな地域もあるのです。
 人々は、選挙でこの市長を選び続けています。
 この「住みよい北朝鮮」が悪い場所なのかといえば、みんな収入は少ないけれど支えあって生きており、健康で文化的な最低限の生活はできているし、格差が少ないから、他人をみて心がざわめくこともありません。「この村のやり方」に逆らわないかぎり、弱者にも優しい。
 市長自身はけっこう贅沢をしているし、逆らう人たちには容赦ないけれど、「独裁者」を追放するために、嫌になった人、島の暮らしに満足できない人は、革命を起こそうとするよりは、島を出てしまったほうが簡単です。その「出ようという意思があれば出られる」のは、北朝鮮との大きな違いではあります。
 地元の人たちが、この「ささやかな平和」が続くことを望んでいるのであれば、それを否定する権利がよそ者にあるのだろうか?

 著者は、この島で親子二代にわたって首長をつとめてきた現在の村長に挑戦してきた新参者の闘いを紹介しています。
 はたして、挑戦者は、長年村を支配してきた村長の壁を打ち破ることができたのか?

 この本を読んでいると、「現状を維持しようとする力」というのは本当に強いものだな、と痛感する一方で、それでも、自分の身の回りの世界を変えようとする人がいる、ということに驚かされもするのです。勝ち目がうすい、そこに居づらくなるリスクがある闘いでも、あえて挑戦する人がいる。とはいえ、そういう人たちが、みんな「血統書付きの挑戦者」というわけではなくて、素性がよくわからないというか、うさんくらいな、という感じの場合も少なくないんですよね。

「全国最年少町長」と「コンビニ村長」の2人が当選できた背景には盤石な地盤を提供する後見人の存在が共通してあった。前者は地元選出の有名国会議員であり、後者は大物農協組合長である。だから、2人の挑戦は李壱岐の奥底に流れる地下水脈を汲んだ上で振るった蛮勇であり、先述の「役場一強体制」に対抗できたのである。


 著者は、奇跡を成し遂げた挑戦者たちに対しても、綿密な取材で、「バックに地元で力を持っている人がついていた」ことを指摘しているのです。選挙というのは、どんなにすぐれた人でも、どんなに理想に燃えていても、地盤や人脈がなければ、やっぱり勝つことは難しいのです。有名人が都会の選挙区や参議院比例代表に出るのならともかく、地方選挙であれば、なおさら「地力」が必要なのです。そう考えると、地方政治を変える、というのは、もしかしたら、国政を変えるよりも難しいのかもしれません。

 「東京だけが日本ではない」「地方の現実はどうなっているのか」「選挙というのは、本当に『民主主義にとって、最良の手段』なのか」など、さまざまなことを考えずにはいられないノンフィクションだと思います。


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