琥珀色の戯言

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【読書感想】中流危機 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

かつて「一億総中流社会」と言われた日本。戦後、日本の経済成長を支えたのは、企業で猛烈に働き、消費意欲も旺盛な中間層の人たちだった。しかし、バブル崩壊から30年が経ったいま、その形は大きく崩れている。
2022年7月内閣府が発表したデータでは、1994年に日本の所得中間層の505万円だった中央値が2019年には374万円と、25年間で実に約130万円も減少した。もはや日本はかつてのような「豊かな国」ではなく先進国の平均以下の国になってしまった。なぜ日本の中流階層は急激に貧しくなってしまったのか。「中流危機」ともいえる閉塞環境を打ち破るために、国、企業、労働者は何ができるのか。その処方箋を探った。


 僕が小学生から10代くらいまでの、1970~80年代の日本は、「イケイケ(古い言葉ですね)」だったのです。
 日本企業の素晴らしさが語られ、一億総中流、なんて言われ、日本人観光客が「物価が安い海外」でブランド品を「爆買い」している、と伝えられていました。
 それがいつのまにかこんなことに……僕が見てきた日本人は、それなりに勤勉だし、サービス業での接客も丁寧だし、技術力や文化は世界で評価されているはずなのに……

 いつのまにか、日本は「モノやサービスが安い国」だと、世界の富裕層にみなされる国になっているのです。


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 僕のようなバブル期を経験してきた50代は「日本は豊かな国」というイメージを捨てきれないと思うのですが、いまの若者たちにとっては「停滞しつづけていて、将来に希望が持てない国」というのが実感なのかもしれません。

 もはや、日本はかつてのような「豊かな国」ではなく先進国の平均以下の国になってしまった。豊かさの目安となる一人あたりの名目国内総生産GDP)をみてみると、1995年には、ルクセンブルクやスイスに次いで、世界で3番目の水準になったものが(IMF統計、国連統計では第6位)、内閣府が2022年12月23日に発表した国民経済計算年次推計によると、経済協力開発機構OECD)加盟国38ヵ国中20位に急降下している。

 今回、NHKは、政府系の研究機関「労働政策研究・研修機構」(JILPT)と共同で、全国の20代から60代の男女を対象にインターネットで調査を行い5370人から回答を得た。まず、「イメージする”中流の暮らし”」について複数回答で聞いたところ、回答者のおよそ6割が「正社員」「持ち家」「自家用車」などを挙げた。そのうえで「イメージする”中流の暮らし”をしているか」を訪ねると、「中流より下」と答えた人の割合は56%にのぼった。かつて日本人の多くが追い求めることができた”中流の暮らし”がもはや当たり前ではない。そんな時代を映し出すような結果となった。
 多くの人が”中流”の象徴と考える「正社員」だが、その収入はこの20年あまりで大きく落ち込んでいる。労働政策研究・研修機構によると、大卒正社員の生涯賃金は1993年は男性で3億2410万円だったが、2019年には2億8780万円に、女性は1997年に2億7750万円だったのが、2億4030万円となり、男女ともにピーク時に比べて3500万円以上減少したと推計されている。
 正社員よりも、さらに「生涯年収」が低いと推測されるのが非正規労働者だ。パートタイマーや派遣労働者など非正規で働く人の数は2022年時点で2101万人。働く人の36.9%が非正規だ(厚生労働省「非正規雇用」の現状と課題より)。


 この20年間、物価は上がっているのに、給料は上がらないどころか、下がってしまっているのです。
 この本のなかでは、子どもの学費が捻出できずに奨学金頼りで、30歳近くになっても子どもは奨学金の返済を続けている家族や、医療費を減らすために病院への受診をためらったり、受診の回数を減らしたりしている人、家族で住みやすい家を建てたものの、新型コロナウイルスの影響で基本給以外の手当が稼げず住宅ローンを払い切れなくなり、マイホームを売却せざるをえなくなった事例が紹介されています。
 食べるものに困っている、というレベルではないけれど、子どもの頃にイメージしていた「中流の、人並みの幸せな家庭像」は、いまや「高すぎる理想像」になってしまっているのです。
 彼らは、怠惰だったわけでも、すごい浪費をしていたわけでもなく、自分の仕事に励んできた「普通の労働者」だったのに、生活のレベルを下げていかざるをえなかったのです。

 康介さんとゆかりさんは、収入が下がったことが「想定外」だったとはいえ、家を手放さざるをえなくなったことについては「自分たちが計画不足で甘かったです」と、自分たちの責任として受け止めていた。
 一方で、今回の松井さん家族の状況について『NHKスペシャル』で放送したところ、ツイッターの投稿には、
「この夫婦に『考えが甘い』って言うのは簡単だけど、夢すら見られない今の状況がおかしいよ」
「今の時代に残業代抜きの給料で住宅ローンが組めるんか?と思う」
「20代が辛い思いをしているのは、やるせないな。そしてその影響は子どもたちにも」
「若い夫婦がせっかく手に入れた家を売って賃貸住宅に引っ越しする。見ていて辛い。真面目に働く国民がこのような状態になっていることに心が痛む」
 といった、共感の声があがっていた。


 この本のなかでは、労働者側だけではなく、雇用する側の企業に関しても取材が行われています。
 僕は「企業が稼いだお金を労働者に還元せずに貯め込み、給料を上げないのが悪いのではないか」と、ずっと思っていたのですが、経営側には、グローバル化によって、圧倒的に安い海外の競合他社との価格競争にさらされ、ギリギリのところでやっているところも多いのです。みんな余裕がないから、長年の付き合いがある取引先でも、「コストを下げる」ためにディスカウントを求められるし、それができなければあっさり取引を打ち切られてしまう。
 
 国の政策も結果的にうまくいかなかったのですが、日本で、いま以上の「非正規労働の推進」が妥当だったのかどうか?
 とはいえ、終身雇用も、もはや幻想でしかないことは、みんなが実感しているはず。

 なぜ、日本はこうなってしまったのか?
 現状を踏まえて、少しでも希望を持てるようにするには、どうすればいいのか?

 この『中流危機』のなかでは、「いまの日本の中流の凋落」が紹介されているのです。
 ただし、それだけではなくて、「停滞」から脱出するために、諸外国、あるいはさまざまな企業が、どんなことを試みてきたかが紹介されています。

 僕はいま、50代前半なのですが、正直なところ、「今までの仕事で身につけたスキルで、なんとかもう少し働いていこう、逃げ切れるんじゃないかな」と思っていました。
 さすがにこの年齢から、新しいことにチャレンジするのは無謀だろうし、と。
 世の中には「人間、いくつになっても、挑戦できる」という人もいるけれど、そんなのは綺麗ごとか、一部の特別な人にだけあてはまる話じゃないの?って。

 リスキリングは英語で書くと「Reskilling」。英和辞典をひくと、「(就職支援のための)新技術教育」と訳されている。いま政府や経済産業省では一律の定義をしていないが、経済産業省のある検討会にリクルートワークス研究所が提出した資料に「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること」という記載があり、メディアや企業などに引用されることも多いようだ。


 この「リスキリング」の先進国とされているドイツでの、こんな事例が紹介されています。

 ドイツ南部の都市バンベルグにある、世界的な自動車部品メーカー、ボッシュバンベルク工場。基幹工場として長年エンジンのシリンダーを作り続けてきた。この工場も自動車産業EVシフトを受けて、2017年にシリンダー製造から燃料電池の生産拠点になることが決定し、工場内の製造品を大きく転換することになった。
 これを受けて長年、自動車のシリンダーを作ってきた6300人の大半がリストラになるという計画が打ち出された。これに対して反対したのがIGメタル労働組合だ。従業員がリストラになる代わりに、労働時間の短縮と給料削減を条件に、新たな燃料電池の製造工程に関われるようになるためのリスキリングを要求したのだ。リスキリングは1ヵ月のうち3週間は仕事をする代わりに、残り1週間で燃料電池製造に必要な知識や技能などを学ぶ。このリスキリングを要求した結果、6300人は給料が2026年まで削減される代わりに、労働時間の短縮とともに新しい技術を学ぶ時間まで手に入れたのだ。
 ボッシュバンベルク工場のIGメタル代表マリオ・グートマンは以下のように話してくれた。
「DX(デジタルトランスフォーメーション)」がくることは前々からわかっていました。そしてDX自体は否定すべきことではありません。ただし、DXが必要だと経営側が言った時に多くの人は恐怖感で震え上がりました。その時、私たちが求めたのが”雇用と安全”です。すでにここにいるチームの雇用を保持することができるように継続訓練、すなわち”投資”を求めました。もちろん、誰もが『継続訓練、喜んでやるよ』と言ったわけではありません。しかし『職場を守るためには、新たなリスキリングが必要なんだ』と説明すると、全員がその必要性を理解して訓練に参加しました。いまリスキリングを受けている従業員の平均年齢は46歳です。私たち労働組合の役割は、新しい”将来賃金契約”を会社に交渉することです。この”将来的な契約”には社員一人一人の資格習得も条件に入ってきます。このように、ボッシュバンベルク工場では、労働組合が経営側に『どれだけ従業員に投資をするつもりがあるのか?』という問いかけを繰り返し行っています。


 ドイツでは、このようなリスキリングが非正規雇用者や移民・難民に対しても行われているそうです。
 僕は「リスキリングを受けている従業員の平均年齢は46歳」というのを読んで驚きました。
 46歳って、もうキャリアのゴールが見えてきて、「これまでの技術的な蓄積を活かして定年まで勤めあげる」ことを意識する年齢だと思っていたので。平均が46歳ということは、50歳をこえている人も少なからずいるはずです。
 それでも、彼らは「自分や家族が生きていくために」新しい知識や技術を身につけて、それを活かして働き続けることを選びました。
 みんなが最初から積極的だったわけではなかったとも述べられていますが、結果的に、彼らはリスキリングによって、仕事と収入を維持することができたのです。年を重ねると、新しいことができなくなる、と僕は決めつけてしまっていたけれど、「やればできる」ことを彼らは証明しています。
 時代によって、「求められるもの」は変わっていく。10年、20年先のことを予見することは難しい。
 これからの時代は、なおさらそうなるでしょう。
 そこで「なんで同じことを続けて稼げないんだ」と絶望するのではなく、「それなら、いまの時代に必要なことを学びなおそう」と食らいついていけるかどうか。

 日本でも、リスキリングを重視している企業が紹介されていますし、面白そうだとはじめた副業が、結果的に本業になった人の話も出てきます。

 企業側にとっても、「新しい技術やDXに通じた人材」を外から高い報酬で連れてくるよりも、その会社に愛着を持っている社員を「リスキリング」したほうが、離職率は低くなるし、全体的なコストは下がる、というメリットがあるのです。

 実際にやるのは、話を聞くより、ずっと大変なことだと思います。
 でも、「30年前と同じように頑張っているのに、なんで今の時代の日本では報われないのか?」を誰かのせいにして嘆くだけよりも、「同じようなことを続けているから、変わることを過剰に恐れているから、前に進めないのかもしれない」と僕は感じました。
 今から世界的な研究者やプロスポーツ選手にはなれなくても、「稼げる技術を身につける」「新しいことをやってみる」ことはまだ可能だし、「このまま逃げ切れるのを祈るだけの人生」なんて、もったいないよね。


fujipon.hatenablog.com

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