琥珀色の戯言

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【読書感想】左遷社長の逆襲 ダメ子会社から宇宙企業へ、キヤノン電子・変革と再生の全記録 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

「経営者は全権限を持ち、全責任を負う。経営者次第で会社はどうにでもなる」
一橋大学大学院教授 楠木健氏推薦。

キヤノングループのお荷物子会社だったキヤノン電子は、いかにして宇宙企業へと変貌したのか。酒巻氏が社長として赴任してから「会社のアカスリ」で徹底してムダを省き、高収益企業へと生まれ変わる。そこで得たお金を人工衛星とロケットという新規事業に投資し、宇宙企業へと変貌する。20年にわたる経営改革の全貌をストーリー形式で紹介する。

どうすれば会社は変わるのか? ──答えは本書にある。


 キヤノン本社から、子会社である、キヤノン電子の社長に「左遷」された酒巻久さん(現・キヤノン電子会長)が、「いざとなったら親会社のキヤノンが助けてくれるだろう」という「ぬるま湯体質」だったキヤノン電子を再生し、宇宙事業を手掛けるまでが書かれた本です。
 読んでいて、「リアル『下町ロケット』みたいだな」と思い、「リーダー次第で、組織というのはこんなに変わるものなのだな」と感心するのと同時に、「この社長の下で働いていくのはキツイだろうなあ」とも考えずにはいられませんでした。

 目標を達成するためには、かなり精神的・身体的に厳しい状況に追い込まれた人も多そうで、「仕事をやり遂げた」という充実感を持てた人もいただろうけど、途中で振り落とされた人も少なからずいそうです。

 読みながら、「ああ、昭和っぽいな……」という気はしたのですが、ワークライフバランスとか定時退社とかを重視していては、大企業で偉くなるのが難しいというのは、平成を経た令和の現在にもあてはまるのだと思います。
 この本に書かれているかぎりでは、酒巻社長は「できない人」を切り捨てていきながらも、退職後もしばらく給料を払ったり、その人に応じた再就職先を斡旋したりして、会社に遺恨が残らないようにフォローもしているんですよね。

 短絡的に合理性や効率だけを追求するのではなく、地元の人々や末端の社員に愛されることが「地方でやっていく企業」には必要だと、さまざまな「地元への投資」もしているのです。直接キヤノン電子の利益にはなりそうもないことも含めて。
 スティーブ・ジョブズが酒巻さんをスカウトしようとした、という話も紹介されているのですが、それだけの器だと判断されたのでしょうね。
 もっとも、ジョブズのもとで働いていたら、それはそれで衝突していたかもしれませんけど。有能・無能ではなく、相性と「リーダーは2人要らない」ということで。


 この本、組織でうまく働くために、人を動かす側、動かされる側として知っておくべきことが、たくさん詰まっているのです。

 人間観察を始めてすぐに露わになったことがある。酒巻の指示が、末端の社員まで正しく伝わっていなかったのだ。社長の指示が全社員に正しく伝わらないようでは、会社の立て直しなどできるはずがない。そこで酒巻が会社の再建にために真っ先に手をつけたのは、すべての社員やリーダー層が正しい指示と報告ができるようにする意識改革だった。
 正しい指示や報告が伝わっているかどうかは簡単にわかる。指示を出してしばらくした後、工場の現場の社員に「〇〇の指示は聞いているか」とたずねて「知らない」と答えた場合、指示系統を上へ上へとたどっていけばいい。誰がボトルネックになって指示が滞ったかすぐにわかる。これは人物観察にもなるため、しばしば酒巻は、自分の指示が正しく伝わっているか、工場の現場などに足を運び、自ら社員に確認した。
 酒巻は、正しい指示と報告について次のように明確に規定した。
 上司から仕事をやりなさいと「権限」を与えられた部下には、必ず仕事の進捗状況や結果などを報告する「義務」が生じる。この報告は、正しく、タイムリーになされることで責任が解除され、次のステップや他の業務に移ることが可能になる。またそうすることでムダのないスピーディな業務の遂行が実現する、と。
 そして正しい指示の出し方と受け方を、具体的に次のように教えた。


<指示を出すとき>
(1)いつまでに何をしてほしいのか明確に伝える

(2)必要により目的、背景、期待値などを説明する

(3)報告の方法を指示する


<指示を受けるとき>
(1)いつまでに何をして、どのように報告すべきかを把握する(要点をメモする習慣をつける)

(2)指示内容の理解が不十分な場合は必ず質問する(指示内容の復唱と不明な点がある場合の質問を習慣づける)

(3)スピード重視を常に意識する


 これを読んで、「こんなの当たり前のことじゃないの?」と思った人もいるはずです。
 でも、実際に仕事をしていると、指示をする側とされる側の「こんな指示を出したつもり」と「こうしろと言われたと思う」のズレって、しばしば大きな問題になるのです。
 しかも、そのズレがはっきりするのは、締め切り間際だったり、取り返しがつかなくなってからのことが多い。
 簡単なこと、当たり前のこと、のように思われるのですが、「やるべきことをきちんとやれる人」というのは、そんなに多くはないのです。

 河原崎は、課長になったとき、酒巻から言われた言葉を思い出した。
「管理職にとって一番大事なのは、どれだけ部下に緊張感を与えられるかだ」
 社長、その緊張感、十分すぎますよ、と思いながら、河原崎は酒巻のもう一つの言葉を思い出した。
「管理職にとってもう一つ大事なことは、小さくてもいいから部下に達成感を与えること」
 毎週金曜日のチェックで、たまに酒巻から「それはいいね。よく気づいた」と言われたときの達成感は、河原崎に仕事の喜びを教えてくれた。
 酒巻の愛のムチを受けて成長した河原崎は、のちにキヤノン電子の役員に出世する。


 酒巻社長自身が、この本の著者ではあるので、額面通りには受け取れないとしても(僕は基本的に「愛のムチ」という表現はムチをふるう側の自己満足だと思うので)、デキる上司は「緊張感と達成感」をうまくコントロールしているのではないかと思い当たりました。
 上司が厳しいだけでは人はついてこないし、優しいだけで達成感がないと、ぬるま湯のような組織になってしまう。
 人間って、厳しい環境であっても、自分が成長できているのを実感できる、あるいは自分を認めてもらえると「やりがい」を持てるのです。
 それは「やりがい搾取」ではないのか、と言う人もいるかもしれませんが、仕事をやって生きていくのであれば、充実感があったほうが良いですよね。

 職場での個人のインターネットの使用履歴の解析とか、地元での社員の評判収集とか、正直、「ここまで徹底的にやるのか……これはうまく適応できない人にはつらいな」と思うところもあります。

 ただ、「超優秀な経営者」というのは、ある意味「異常、異能の人」であり、「常人はやらないところまで突き詰める」からこそ、企業のなかで突き抜けることができるのも事実です。
 スティーブ・ジョブズジェフ・ベゾス、日本でいえば孫正義さんといった起業家たちは、「万人から愛される、『いいひと』」ではないし、だからといって、彼らの存在価値が揺らぐわけでもありません。


 キヤノン電子は、徹底した効率化で高収益体質に転換した後、社長が以前から構想していた「宇宙事業」に取り組んでいます。

 宇宙事業というのは、現時点での市場規模からは「キヤノン本体がやるには市場が小さすぎるが、キヤノン電子にとってはちょうどいいくらい」なのだそうです。

 そして、そんなに数多くつくられる製品ではなく、一度の失敗で多額の損失が生まれるので、「新しいことに取り組んで失敗することをおそれて、既存の官製・高額のパーツを時代遅れの規格であることを承知の上で使い続けて、高コストになっている」状況だったのです。
 それを、民間企業として、なるべく安く、そして信頼性が高い製品に置き換えていく、というのがキャノン電子の戦略でした。

 「宇宙事業」というと、夢の領域のような印象を受けるのですが、「夢がある」のと同時に「事業として十分採算がとれる」とキヤノン電子は計算していたのです。

 酒巻は、SS-520 5号機の打ち上げを前に開発陣にこう釘を刺していた。
「ロケットも人工衛星も成功しようが失敗しようが、キヤノン電子は黒子に徹してけっして前に出るな。主役はあくまでJAXAと東大。それを忘れてはいけない」
 酒巻はキヤノン時代の経験から、プロジェクトの成果を独り占めするような人間は必ず周囲から疎まれ、排除されることを知っていた。プロジェクトにかかわった人間なら、誰が功労者なのかは、みんなわかっている。あえて言う必要はない。自分はかけがえのない知識を経験を得たのだから、それを実として、手柄はほしい人に譲ればいいのだ。
 成功を誇らしく思っていた加藤は酒巻の、
「我々は一般消費者を相手にする商品を作っている。下手に前に出ると、どこで敵を作るかわからない。不買運動でもされたら困る。敵は作るな」
 という言葉が強く胸に刺さった。経営トップはそこまで考えるのか、と。


 経営者として成功するためには、ここまでやらなくてはいけないのか、と、その「いばらの道」に想いを馳せるとともに、酒巻さんはまだ「常識人の範疇」にとどまっていたからこそ、スティーブ・ジョブズにはなれなかった(ならなかった)のかもしれないな、と感じました。

 そんなに仕事ばっかりして楽しいの?って僕も考えました。
 でも、仕事より楽しいことはたくさんあるけれど、仕事ほど「やりがいがある」ことって、50年生きていても、そんなになかったような気もするのです。
 きつい仕事は極力のらりくらりと避けてきた僕でさえ、そう思う。


fujipon.hatenablog.com

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