琥珀色の戯言

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【読書感想】「居場所がない」人たち: 超ソロ社会における幸福のコミュニティ論 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

2040年には、独身者が5割に。だれも見たことのない、超ソロ社会が到来する。
ますます個人化が進む中、私たちは家族や職場、地域以外に、誰と、どこで、どうつながれば、幸福度を高められるのか?
また、親として、人生の先輩として、これからその時代を生きる子どもたちに何を伝えられるのか?

家族、学校、友人、職場、地域・・・・安心できる所属先としての「居場所」は、年齢を重ねるごとにつくるのが難しくなり、時に私たちは「居場所がない」と嘆く。
また「そこだけは安心」という信念が強すぎるがゆえに、固執し、依存するという弊害も生まれる。

では、居場所がなく、家族や友達をもたず、一緒に食事をする相手がいないのは、「悪」なのだろうか?常に誰かと一緒でなければしあわせではないのだろうか?

社会の個人化も、人口減少も、もはや誰にも止められない。私たちに必要なのは、その環境に適応する思考と行動だ。著者が独身研究を深掘りした先に示すその答え=〔接続する〕関係性、〔出場所〕という概念とは?

結婚していてもしていなくても、家族がいてもいなくても、幸福度を上げるための視点とヒントに満ちた一冊。


 僕が子どもから10代だった、1970年代から80年代に比べたら、物理的にも精神的にも、「ひとり暮らし」はラクになり、「結婚しなければいけない」「子どもがいるのがあたりまえ」という周囲からのプレッシャーも減ってきたと感じます。
 
 ネットでは「結婚できない中年男性」がよく槍玉にあげられ、小馬鹿にされていますが、僕の世代からすると「結婚しているだけで、子供がいるだけで『勝ち組』」なんて言われると、「いや、そんなに良いことばかりじゃないけどね……」とも思うのです。
 日本の少子化を危惧している人は多いけれど、「じゃあ、あなたは日本という国や未来の人たちのために子どもを産んだり育てたりしようと思いますか?」と言いたくもなります。
 でもまあ、結局、人生にセーブポイントはないわけで、結婚していたら「結婚していなかった人生」を想像するし、逆もまた然り、なのでしょう。
 そして、2023年でも「結婚しているマウンティング」をする人もいれば、それを感じてしまう人もいる。
 僕の子どもくらいの世代、2000年以降に生まれた、インターネットネイティブの世代が多くを占めるようになれば、自然に世の中の価値観も変わっていくのかもしれません。
 親世代の「結婚してようやく一人前」という考えにストレスを感じてきた僕の世代(いま40〜50代くらい)は、自分たちが親になって「結婚はしたければすればいいし、しなくても別にいい(孫の顔というやつをちょっと見てみたいけど)」と考えている人が多いように感じます。

 著者は「日本は、人口の半分が独身者となる超ソロ社会になる」と言い続けていて、その発言には、統計的な根拠もあるのです。
 

 当然ながら、それは私の妄想などではなく、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の2013年時点での「将来推計人口」を元にしたものである。その後、社人研は2018年に最新の推計を出したが、そのデータにおいても、2040年は有配偶者53%に対して、独身者47%とほぼ半々となると推計されている。
 有配偶人口が2000年をピークに減少しているのとは対照的に、独身人口は1980年代から急速に増加している。若い未婚人口の増加だけではなく、長寿化による高齢独身の増加もあるからだ。「日本はソロ社会になる」が決してデマでも大袈裟でも無いことがお分かりいただけるだろう。
 有配偶人口が減るのは致し方ない。それでなくても、2020年の生涯未婚率(50歳時未婚率)は男性が28.3%、女性17.8%とこれも過去最高である。

 婚姻件数も、出生数も、日本ではどんどん減り続けているのです。
 政府は、さまざまな「子育て支援」を打ち出してはいるけれど、出生数は増えていないし、人口減少に歯止めがかかる気配はありません。これまでの人口のボリュームゾーンだった高齢者の寿命が尽きる時期になってきている、という人口減少の理由もあります。


 著者は、メディアで語られている「母親が子どもを産まなくなった」という言説に対して、さまざまなデータを解析して、次のように述べています。

 つまり、母親一人当たりの産む子どもの数は変わっていないのだ。にもかかわらず全体の出生数が減っているのは、未婚者の増加=婚姻数の減少によるものである。
 いい換えると、年間出生数が80万人を割り込む勢いで激減している理由は、そもそも子どもを産む対象である母親の絶対数が減少しているからである。メディアでは「少子化少子化」と騒ぐが、問題の本質は、少子化ではなく、母親の数が減っていることによる「少母化」なのである。
 その要因は、1990年代後半から2000年代初頭にかけて本来起きるはずだった第三次ベビーブームが起きなかったためだ。15〜49歳女性総人口そのものが1990年をピークに減少し続けているわけで、文字通り母数人口が減る以上、どう転んでも出生数は減ってしまう。

 ちなみに、平成29年に出された「将来推計人口報告書」の中位推計では、日本の人口は2100年には5972万人になるそうです。大きな戦争とか災害がないとしても、80年経てば、日本の人口は「自然に」半分になってしまう。

 結婚した女性が産む子どもの数は1婚姻あたり1.5〜1.6人となっていて、1995年と2020年でほぼ変わらないそうです。
 そういう話になると、「日本もフランスのように婚外子を積極的にサポートすればいい」とか言う人もいると思いますが、現実問題として、全く同じシステムにしても日本で婚外子が人口減少傾向を変えるほど増えるとは考え難い。

 著者は、「少子化」「人口が減っていく日本」「生涯未婚者の増加」は、すでに「定められた未来」として、そのなかで、人はどうやって「孤独」と向き合い、生を充実させていくことができるか、と考えているのです。

 私は、独身研究の一環として、未婚者と既婚者とでの幸福度の違い、さらには男女、年代別での幸福度の違いについて2014年から継続調査してきた。その結果から申し上げれば、未婚者より既婚者のほうが幸福度は高く、男性より女性の方が幸福度は高く、40〜50代の中年層より若者の方が幸福度は高いという傾向は常に一定であった。

(中略)

 男女ともに、既婚者に比べて未婚者の幸福度は低く、特に男性の40〜50代では既婚者の半分以下しか未婚者は幸福を感じていないということになる。同時に、40〜50代未婚男性の不幸度の高さも突出しており、40代で36%、50代で34%が不幸である。40代以上の未婚男性は、幸福を感じる人数よりも不幸を感じる人数の方が上回ってもいる。
 男性ほどではないにしろ、女性でも同様で、40代未婚女性の24%、50代未婚女性の21%が不幸だと感じている。既婚男女の不幸度が10%台にとどまっているのとは大きな違いがある。
 一方で、既婚女性の幸福度の高さも群を抜いている。もっとも低い50代でも62%が幸福であると答え、20代では8割近い77%が幸福なのである。
 つまり、まとめると、一番不幸なのは、40〜50代の未婚男性であるということになる。

 そうか、なんのかんの言っても、やっぱり結婚しているほうが「幸せ」なんだな、と思ってしまうのです。
 独身の中高年の男性は、「不幸」だというイメージを持っている人も多いし、周りからそうみられることによって、本人も「自分は不幸だ」と認定してしまいがちなのかもしれません。

 特に、男性の生涯未婚率は自己の年収が低ければ低いほど高くなる。つまり、男性で中年で未婚であることは、すなわち年収が低い場合が多いと推測でき、そうして自身の低年収による経済的環境とその事情による未婚生活そのものが不幸の原因であると考えることもできる。
 しかし、未婚男性の低い幸福度は年収だけのせいなのかというとそうでもない。
 年収別に幸福度を20〜50代未既婚で比べると、未婚も既婚も年収が上がるごとに幸福度は増すが、同じ年収でも未婚と既婚とでは幸福度に大きな差がある。年収100〜900万円の間ではほぼ20ポイントの差が均等にある。むしろ、未婚男性は1000万円の年収で幸福度が頭打ちになり、それ以降は下がる傾向すら見られる。


 結婚しているかどうかは主因ではなくて、年収の多寡が幸福度を左右していて、結婚しているかどうかは、その年収に従属した因子ではないか、と僕は思いながら読んだのですが、どうも、「お金だけの問題」ではなさそうです。

 
 著者は、現実的にこれからの日本で、独身者、「おひとりさま」が増えていくことは避けられないが、配偶者や家族、友達がいないことは本当に「不幸」なのか?と問いかけています。

 人口が減り、他人と繋がることの難易度が上がっていく社会で、「孤独」を絶対悪と認定するのは、正しいことなのか?

 そもそも、「孤独」がそんなにすべての人にとって不快で耐えられないものならば、みんなもっとご近所づきあいをしたり、会社の飲み会や地元のサークル活動に積極的になるのではないか?

 世の中が便利になって、個人の意思が以前より尊重されるようになった時代に、「孤独」な人が増えているのであれば、それは時代の必然だし、切実に「孤独は辛い」と思っている人は、そんなに多くはないのかもしれません。
 そもそも「自分の趣味や娯楽を優先していて、他人に興味を持つ時間がない」という人と、「助けを求めようとしても、頼れる人が誰もいない」という事例を、同じ「孤独」という言葉で言い表すべきなのか。

 著者は「孤独のメリット」や「他人と繋がろうとすることの心の負担」などについても、さまざまな角度から述べています。
 家族や地域のコミュニティとの繋がりは、「しがらみ」として、人を不幸に導くことも多いのです。

 2100年、日本の人口が今の半分になる頃には、「孤独は悪」「人とのつながりこそ大事」という「常識」は、すでに過去のものになっていて、「みんなが自由に選択できるのが優先で、人口なんて減ってもしょうがない」という価値観の社会になっている可能性は十分ありますし、科学技術で「人工的な出生」や「AI、ロボットによる減った人口分の仕事の補填」が行われているかもしれません。

 ただ、それはそれとして、「私は、いま、幸せになりたい」んだよね、みんな。僕だってそうだ。

 著者に「幸せの定義」をいくら語られても、なんだか言いくるめられているような気分にしかなれなかったのも事実です。
 「孤独は不幸じゃない」って思うことができれば良いのだけれど、それがいちばん難しい。


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