琥珀色の戯言

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【読書感想】コロナの時代の僕ら ☆☆☆☆

コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら


Kindle版もあります。

コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら

2020年2月から3月のイタリア、ローマ。200万部のベストセラーと物理学博士号をもつ小説家、パオロ・ジョルダーノにもたらされた空白は、1冊の傑作を生みだした。生まれもった科学的な姿勢と、全世界的な抑圧の中の静かな情熱が綾をなす、私たちがこれから生きなくてはならない、コロナウイルス時代の文学。


 著者のパオロ・ジョルダーノさんは、1982年生まれ。イタリアの物理学博士号を持つ作家です。
 この『コロナ時代の僕ら』には、2020年の2月から3月にかけて書かれたエッセイ27本と、3月20日に『コリエーレ・デッラ・セーラ』紙に掲載された「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」という記事が収録されています。

 僕はKindleで読んだので、書籍の厚さや重さは実感できないのですが、エッセイのひとつひとつはそんなに長いものではありませんし、読み終えるのに1時間もかからないと思います。
 著者の文章は、ものすごくシンプルでわかりやすく書かれており、こんな状況下で、長くてまわりくどい文章は頭に入りにくく感じている僕には、その「短さ」が、かえってありがたかったのです。
 言葉が選び抜かれ、凝縮されたエッセイなんですよ。

 このように感染症の流行は、集団のメンバーとしての自覚を持てと僕たちに促す。平時の僕らが不慣れなタイプの想像力を働かせろと命じ、自分と人々のあいだにはほどくにほどけぬ結びつきがあることを理解し、個人的な選択をする際にもみんなの存在を計算に入れろと命じる。感染症の流行に際して僕たちは単一の生物であり、ひとつの共同体に戻るのだ。
 ここで、このところよく耳にする、ある種の異議について触れておきたい。それは、「ウイルスによる死亡率はどうやら低そうだし、特に僕のように健康で若い人間にとっては問題がなさそうだ。ならば、僕らは個人的なリスクを自分の責任で負って、日常生活を続けてみてもいいのではないだろうか。この手のちょっとした運命論の主張は、自由な市民の神聖な権利ではないだろうか」というものだ。
 駄目だ。僕たちはリスクを冒すべきではない。これには少なくともふたつの理由がある。
 ひとつ目は数的な理由だ。CoV-2は、入院を必要とする観戦者の率が馬鹿にできないほど高いのだ。今後変化する可能性はあるが、現時点の複数の推定によれば、共に感染人口の約10%が入院している。そこへ短期間で感染者が急増すれば、相当に大きな数字の10%が入院し、ベッドも看護師も不足する事態を招く結果となるだろう。それは医療システムを崩壊させるのに十分なほど大きな人数だ。
 ふたつ目の理由は、単純に人道的なものだ。こちらの理由には、感受性人口のうち特に感染のおそれが高いグループが関係してくる。高齢者をはじめとする健康弱者だ。ここでは超感受性人口と呼ぶことにしよう。若くて健康な僕らがウイルスに隙を見せれば、脆弱な彼らの身近にそれを自動的に運ぶことになる。感染症の流行時に感受性保持者が我が身を守らなくてはならないのは、他者を守るためでもあるのだ。感受性人口は流行を防ぐ隔離線でもある。
 要するにこうした感受性の流行に際しては、僕らのすること・しないことが、もはや自分だけの話ではなくなるのだ。このことはずっと覚えていたいものだ。今回の騒ぎが終わったあとも。


 著者は、アフリカなどの医療体制がまだ不十分な地域での感染流行も想定しています。
 ウイルスは、誰でも感染する可能性があるがゆえに、「自分は感染してもいい」という人が媒介役になって、「感染したくない人たち」に拡散してしまうのです。
 媒介役になる人たちは、若かったり、基礎疾患がなかったりして、重症化しなかったとしても。

 「自己責任社会」のなかで、この感染症との戦いは、「人類が共生していく意識」が問われているのです。
 今の社会では、「感染流行を予防する」ためには、とにかく人と人との接触を減らすことが大事なのだけれど、それでは経済的に苦しくなる人がどんどん増えていく、というジレンマに陥っているんですよね。


 そして、著者は、このような事態は、今回が終わりではないだろう、と繰り返し述べています。

 森林破壊は、元々人間なんていなかった環境に僕らを近づけた。とどまることを知らない都市化も同じだ。
 多くの動物がどんどん絶滅していくため、その腸に生息していた細菌は別にどこかへの引っ越しを余儀なくされている。
 家畜の過密飼育は図らずも培養の適地となり、そこでは文字通りありとあらゆる微生物が増殖している。
 昨年の夏にアマゾン川流域の熱帯雨林で起きた途方もないスケールの森林火災が何を解き放ってしまったか、誰にわかるだろう? もっと最近のオーストラリアでの野生動物の大量死はいったい何を引き起こす? 科学がまだ記録したことのない微生物が、新天地を急いで探している可能性だってある。そんな時、僕たち人間に勝る候補地がほかにあるだろうか。
 こんなにたくさんいて、なお増え続ける人間。こんなにも病原体に感染しやすく、多くの仲間と結ばれ、どこまでも移動する人間。これほど理想的な引っ越し先はないはずだ。


 人類が自然を破壊し、開発を続けていくかぎり、未知のウイルスと遭遇することは避けられないのです。
 これからも、新たなウイルスは、人類にとっての最大のリスクになり続けることでしょう。
 人類は、それを前提にして、生きていかなければならない。

 陽性患者数のグラフの曲線はやがてフラットになるだろう。かつての僕たちは存在すら知らなかったのに、今や運命を握られてしまっているあの曲線も。待望のピークが訪れ、下降が始まるだろう。これはそうあればよいのだがという話ではない。それが、僕らがこうして守っている規律と、現在、敷かれている一連の措置──効果と倫理的許容性を兼ね備えた唯一の選択──のダイレクトな結果だからだ。僕たちは今から覚悟しておくべきだ。下降は上昇よりもゆっくりとしたものになるかもしれず、新たな急上昇も一度ならずあるかもしれず、学校や職場の一時閉鎖も、新たな緊急事態も発生するかもしれず、一部の制限はしばらく解除されないだろう、と。もっとも可能性の高いシナリオは、条件付き日常と警戒が交互する日々だ。しかし、そんな暮らしもやがて終わりを迎える。そして復興が始まるだろう。
 支配階級は肩を叩きあって、互いの見事な対応ぶり、真面目な働きぶり、犠牲的行動を褒め讃えるだろう。自分が批判の的になりそうな危機が訪れると、権力者という輩はにわかに団結し、チームワークに目覚めるものだ。一方、僕らはきっとぼんやりしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある。


 「外出の自粛」で、こんなに鬱屈したゴールデンウイークに感じていることも、たぶん、これが終わってしまえば、何年もしないうちに記憶が薄れてしまう。
 忘れることができるのは、人間にとって悪いことではないのだけれど、次の危機に活かせる教訓もあるはずです。


 新型コロナウイルスについて知りたい、考えたいけれど、長かったり、専門的すぎたりするものは気持ちがついていかない、そんな人は、この本を読んでみてはいかがでしょうか。


新型コロナウイルスの真実

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