琥珀色の戯言

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【読書感想】ジブリの文学 ☆☆☆☆

ジブリの文学

ジブリの文学

内容(「BOOK」データベースより)
自らを「編集者型プロデューサー」と呼ぶ著者は、時代の空気をつかむために、どんな本を読み、いかなる文章術を磨いてきたのか?朝井リョウ池澤夏樹中村文則又吉直樹といった、現代を代表する作家たちを迎え、何を語るのか?歴史的大ヒットを支えた“教養”と“言葉の力”、そして“ジブリの現在”がこの一冊に。『ジブリの哲学―変わるものと変わらないもの』から五年半、続編となるドキュメントエッセイ集。


 『スタジオジブリ』のプロデューサー、鈴木敏夫さんが、この5年間くらいにさまざまなところで書いたり話したりしたものをまとめた本です。
 この本を読んでいて驚いたのは、鈴木さんって、こんなに絵が上手かったんだ!ということでした。


 作家・朝井リョウさんとの対談より。

鈴木敏夫ぼくは今<自分>を表現する人たちの傍らで仕事をしていますが、このほうがラクなんですよね。


朝井リョウご自身は自己表現をしないでいることがラクなんですか。


鈴木:ぼくは昔の価値観で生きているのかもしれません。編集者だった頃も、人の文章を手直しするときにその人になりきって書いて、本人に「こういうことが書きたかった」と感謝されることがありました。実は、宮さんが描くトトロの真似は、ほかの絵描きと比べてもぼくがいちばん巧いんです。


朝井:ほかのアニメーターの方が描くとその人のクセが出るけれど、鈴木さんは宮崎監督になりきっているということですか。


鈴木:そう。絵描きがトトロを描くときには<自分>が邪魔になるんですよ。ぼくは<自分>を出さないことが目的化しているからね。芸術家より職人に憧れるからなのかな。

朝井:<自分>を消してほかの人になりきる職人ですね、もはや。


 映画のロゴのデザインを宮崎駿監督に「ちょっとやっておいて」という感じで頼まれて、ササッと描いて、それが採用された、なんて話もけっこうあるみたいです。
「絵描き」のなかでも、腕自慢が集まっているであろう、ジブリのなかで「宮崎監督のトトロの真似がいちばん上手い」って、すごいですよね。
 僕は鈴木敏夫さんって、クリエイターではなくて、クリエイターを動かす実務のプロフェッショナルだとばかり思い込んでいたのです。
 自分がこんなに上手いのなら、宮崎駿監督の作品にもあれこれ言いたくなるのが人情ではないか、という気がするのですが、鈴木さんは、自分自身が描ける人だからこそ、「天才・宮崎駿との差」を痛感し、宮崎駿の作品を「世に広める」ことに尽くしているように思われます。
 そういう実務的な才能とクリエイティブな才能が同居している鈴木さんという人は、稀有な存在だよなあ。
 宮崎駿監督がつくるストーリーやタイトルの案は、ときには、観念的というか、イデオロギーを打ち出し過ぎてしまうことがあって、そういうときに「観客が受け入れやすいように」調整するのも鈴木さんの役割だったのです。

 宮さんがいつなぜ、悲観論者になったのかについては、ぼくはよく知らない。ただ、彼のそういうモノの見方への共感がぼくにも少なからずあった。心の中の深い闇、それが宮崎駿という作家の創造の原点なのだとぼくは理解し始めていた。
 ぼくは、この(堀田善衛さんの)『方丈記私記』を読みながら、ぼく自身のその後の人生の立ち位置を決めることになる。宮崎駿流誤読を理解しつつ、同時に本の内容を正確に把握する。それが、ぼくの仕事の上での役割だと考えたのだ。でないと、彼の考えることが世間につながらない。ぼくは、本気でそう思った。
 『となりのトトロ』を作っているときの話だ。宮さんは、映画に登場するあの風景がその後、どうなったかをラストに付け加えようとした。川は高速道路に、田園にはビルが立ち並び、様相は一変する。宮さんの描いたイメージボードを見せられた時、ぼくは身を挺して反対した。それをやれば、それまで心地よく映画を見ていた人たちを裏切ることになる、と。


 宮崎駿監督は、本質的には、「そういうことを描きたい人」なんですよね。
 でも、そのメッセージは、多くの観客にとっては「後味の悪さ」を残すことになってしまう。
 それは「商業主義」と批判されるべきことなのか、なんのかんの言っても、まずは多くの人に気持ち良く観てもらうことが大事、と考えるのか。
 宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデューサーというのは、まさに絶妙な組み合わせだと思います。
 もし宮崎監督と組んでいなかったら、鈴木さんのほうが、こういう「メッセージ性の強い描写」を入れてしまいそうな気もするのですが、他者がつくったものだけに、客観的にみられるところもあるのかもしれません。


 その一方で、鈴木さんは、又吉直樹さんとの対談のなかで、宮崎駿監督のこんな話を紹介しています。

鈴木:変な言い方ですけど、宮崎駿という人は、自分のつくりたいものはつくったことがない。いつもお客さんのことを考えている。徹底していますよね。


又吉直樹それ、すごいですね。


鈴木:たとえ自分があるものをつくりたくても、あきらめますよね。


又吉:これはお客さんが望んでいるものじゃないということですね。


鈴木:そう。「今だったらこういうものをつくるべきだ」という考え方。たとえば『トトロ』の続編をつくらなかった理由は、「2」をつくったら商売だよと。そういうときにスタッフがついて来れますかって。ここなんですよね。なるほど、そのとおりですよね。だから彼、若いときはよく言っていました。「とにかく作品をつくるときって、鈴木さん、三つだよね」と。一に、とにかくおもしろくなければダメだよ。理屈は関係ないよと。二番目に、多少は言いたいことを言おうって。三つ目、お金も儲けようって。でないと次がつくれないと。


又吉:それ、大事ですよね。


 「商売になってしまう」ことを危惧しつつも、「商売として成り立つ=お金を儲ける」ことも意識していた宮崎駿監督。
 この「三つ」って、「長く作品を作り続けるための必要条件十分」を簡潔に言い表しています。


 人と人の縁というのは不思議なもので、もし、宮崎駿監督と高畑勲監督、そして、鈴木敏夫プロデューサーが出会わなければ、3人はそれぞれ「才能はあるのだけれど、いまひとつお客を呼ぶ力がない監督」「完璧主義すぎて、いつまでも作品を完成することができない監督」「『週刊文春』のような反骨のジャーナリズムを打ち出す雑誌の編集長」として生きたのかもしれないな、と思うのです。
 すごい才能は、どんな経路でも世の中で見つけられるものなのか、それとも、やはり運とか縁が必要なのか。

 三十五年前のもうひとつの話をする。宮さんと初めて映画を作ろうと思ったころの話だ。
 宮さんの先輩で、それまで宮さんと『未来少年コナン』とか『カリオストロの城』でコンビを組んできた大塚康生さんに、助言を求めたことがあった。
 「宮さんと仕事で付き合う上で、大事なことを教えてください」
 大塚さんは、事もなげにこう答えてくれた。
 「大人だと思えば腹が立つ。子どもだと思えば腹も立たない」
 宮さんのやっていること、やってきたことは子どものそれに近い。それを念頭に置きながら仕事をする。そうすれば、素晴らしい作品ができる。大塚さんはそう言いたかったのだろう。
 ぼくは、それを信じて三十五年間、彼と組んで仕事をやってきた。
 最近、こんな話があった。ぼくのアシスタントの白木伸子さんから聞いた話だ。彼女が宮さんに言った。
「鈴木さんは、かわいそうです。宮崎さんと高畑(勲)さんという、お兄さんふたりがとんでもない人たちだから」
 すると、宮さんがこう話したそうだ。
 「白木さん、鈴木さんは弟じゃない。ぼくらのお父さんなんだよ」


 お互いに好き勝手言っているようで、ちゃんとそれぞれの弱点をサポートしあっている「家族」なんですよね。


 鈴木敏夫さんの『ジブリの仲間たち』という著者のなかで、東宝の宣伝プロデューサー・市川南さんが、こんなふうに語っています。

 鈴木さんが人を怒る話は有名で、いろんな人が大声で怒られているのを見て、「大変だなあ……」と思っていたんです。もちろん僕も担当になってすぐ怒られました。ただ、電話越しだったのが不幸中の幸いでした。受話器を耳から離しても鼓膜に響くぐらい、すさまじいボリュームでしたけどね。
 僕としては、他の人たちが鈴木さんにこっぴどく怒られながら、そのあとも仕事を続けているのが不思議だったんですけど、自分が怒られてみて分かりました。鈴木さんに怒鳴られると、滝に打たれたように、ちょっと清々しい気持ちになるんです。


 鈴木さんの「お父さん」って、「神々しい」レベルみたいです。
 こういう人って、なかなかいないですよね。


fujipon.hatenadiary.com

ジブリの仲間たち(新潮新書)

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