琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【映画感想】君たちはどう生きるか ☆☆☆☆


 2023年映画館での鑑賞10作目。
 三連休中のお昼過ぎの回を観賞。今回は長男と一緒に。
 観客は200人くらいで、こんなに映画館の客席が賑わっているのを久しぶりに見た気がします。
 これだけ大勢の人が観ていたにもかかわらず、上映中は、みんながこの作品の行方を見届けようとしているがゆえの静寂に包まれていたのが印象的でした。
 
 僕もポスターのなんかちょっと気持ち悪い鳥の写真とだいたいの上映時間くらいしか予備知識はありませんでした。
 そんなに積極的に観るつもりはなかったのですが、予定外に時間が空き、映画館が近くにあったので、それじゃあ、ネタバレが世間に浸透する前に話の種に観てみるか、という感じだったのです。
 

 以下は完全ネタバレなので、未見の方は読まないことを強くおすすめします。
 この作品が「まぎれもない名作である」とは思わないのですが、「よくわからないもの」をよくわからないまま観て、そこで自分が受け取ったものを多くの人々と語り合える貴重な機会なので。
 というか、あの宣伝で、この内容で映画館にこれだけ人を呼べる宮崎駿監督はすごい。


 本当にネタバレですよ。迷った人は読まないでね。
(ただし、これは「解釈」要素はほとんどない、僕のいち観客としての「感想」がメインです)





 観ながら、なんか鳥が多いなあ、とか、アオサギかわいくねえなあ、とか、宮崎駿さん、新海誠監督作品に寄せてきたのか?あっ、なんか『マトリックス・リローデッド』っぽい!とか、いろんな作品が頭に浮かんできました。『千と千尋の神隠し』のような、お婆ちゃん群とかも出てくるし。
 『君たちはどう生きるか』というタイトルだし、本も作中に少し出てくるのだけれど、「何これステマ?」みたいな扱い、だと思ったんですよ。
 でも、あらためて考えてみると、これはまさに『君たちはどう生きるか』なのです。

 この作品のファンタジー世界に突入するまでの展開に、僕は居心地の悪さを感じていました。
 「同じ戦争」を描いているはずなのに、高畑勲監督の『火垂るの墓』で描かれていた、「生きることで精いっぱいの子ども(若者)」たちが大勢いた時代に、主人公は資本家の長男で、ものすごく大事に育てられています。

 戦争で物資が底をついていて、みんなが飢えていた時代にも「あるところにはある」。
 主人公・眞人はそんな「恵まれた家庭」に生まれ育ってきたのですが、戦火で母親を亡くし、心の傷を負っています。
 ましてや、新しいお母さんは、母親の妹。
 「新しいお母さん」というのは、先妻の子どもたちにとっては、往々にして「憎悪の対象」になるわけですが、父親の新しい妻である夏子さんは「自分の母親の妹であり、面識もあるし、自分に悪意は持っていないことは承知している(ただし、夏子にとって自分がちょっとめんどくさい存在であることも理解はしている)」のです。

 前の妻の妹と再婚するなんて!と、2023年の道徳観では「異様な感じ」ではあるのですが、戦争で結婚適齢期の男性が少なくなっていたあの時代には、珍しいことではありませんでした。モンゴルなどの遊牧民族などでは、慣習的に「自分の父親の愛妾を後継者の息子が引き継ぐ」文化もあったのです。

 僕は「なんか不自然」だと思ったんですよ。それこそ「物語脳」なのかもしれませんが。
 だって、あの時代、太平洋戦争を背景にしているのに、『君たちはどう生きるか』には、「戦争」や「戦争で苦しんでいる人たち」がほとんど出てきません。飛行機のキャノピー(天蓋)の部分が輸送される場面は出てくるし、疎開先の子どもたちは勤労奉仕させられていますが、そのくらいです。

 もうね、眞人のお父さんが超絶感じ悪いブルジョワジーなんですよ。学校に車で乗りつけ、多額の寄付金で学校を懐柔し、自分の豊かさを享受して、疑問を持たない。ただし、悪人というわけではなく、大事な息子を探すことよりも、工場で兵器をつくることを優先するくらいの、彼なりの「公共精神」は持っている。

 眞人は、そんなふうに自分が「恵まれている」こと、他の子どもたちと違う扱いをされていることにコンプレックス(というか居心地の悪さ)を感じているけれど、それを拒絶する勇気はない。あの時代、「特別扱いされること」は、「より安全であること」「生き延びられること」とイコールだったから、なおさらでしょう。

 『火垂るの墓』の兄妹のような人たちがたくさんいて、多くの若者が戦場で命を落とし、市民も空襲や原爆で焼かれた時代に、ファンタジー世界で大冒険を繰り広げ、「お前が新しい世界をつくらないか?」と持ち掛けられる金持ちのボンボン!

 うわー感じ悪いな。
 この映画の「物語の外で起こっていた現実」を想像すると、「脳内お花畑映画」ですよねこれ。
 現代風にいえば「親ガチャ」に勝ったラッキーなやつの中二病物語。

 主人公を、もっと「あの時代の普通の子が偶然入口を見つけて」みたいな話にするか、現代に置き換える、というか、そのほうが、僕が感じたような「居心地の悪さ」を避けるためには、良かったのではないか。
 「あの時代の風景をアニメーションとして残したかった」のかもしれませんが。


 それでも、宮﨑駿監督には、「あの時代、あの主人公、あの家族ではなければならない」理由があったのだと僕は想像するのです。

ja.wikipedia.org


Wikipediaには、宮崎駿監督の幼少期について、こう書かれています。

数千人の従業員を擁した一族が経営する宮崎航空興学の役員を務める一家の4人兄弟の二男として、1941年1月5日に東京市で生まれた。比較的に裕福な暮らしをしていたという。

太平洋戦争が始まり、宮崎航空機製作所が宇都宮に移転したこともあり、幼児期に家族で宇都宮に疎開し、小学校3年生まで暮らしていた。1950年、小学校4年に進級時に東京都杉並区永福町に転居。


 年齢的に、宮崎監督自身に戦時中の記憶がどのくらいあるかはわからない(というか、あまりない、と考えるのが自然でしょう)のですが、宮崎駿という人も、「あの戦争の時代に、資本家の家庭に生まれ育って生き延びた金持ちのボンボン」だったのです。

 本の『君たちはどう生きるか』の主人公、コペル君は父親を亡くしているのですが、経済的には比較的恵まれていました。
 しかしながら、コペル君は、「自分の勇気のなさ」や「弱者への接しかた」に悩み、「資本家が労働者から搾取していくことで成り立っている世の中の仕組み」に疑問を抱きます。

 宮崎駿という人は、漫画やアニメの世界、絵の魅力にとりつかれ、作品にすべてを捧げる人生を送ってきましたが、それと同時に、東映動画労働組合の書記長に就任して、アニメーターの待遇改善に高畑勲さんと取り組んだことをはじめとして、労働運動にも取り組んできたのです。
 『紅の豚』で、あれほど楽しそうに「戦闘」や「兵器」を描いていた一方で、「戦争反対」というメッセージをずっと発信してきました。
 「まだ純粋な子どもたちに向けての作品をつくる」と公言しながら、社会活動家でもあり、「戦争は絶対反対」なのに、生粋の軍事・兵器マニアでもあった。
 矛盾の人、なんですよね、宮崎駿監督は。


 押井守監督は、著書『立喰師、かく語りき。』のなかで、こんな宮崎駿評を書いておられます。

押井:この間の『ハウルの動く城』だって、「CG使ってないんだ」って宮さん(宮崎監督)は言い張ってたけど、現場の人間は使いまくってるよ。あの人が知らないだけだよ。まるきり裸の王様じゃないか。それだったら、自分の手で(CGを)やったほうがよっぽどましだ。いや、わかりやすくて面白いから、つい、宮さんを例に出しちゃうんだけどさ(笑)。


 いかに中性洗剤使うのやめたって言ったところで、結局は同じことじゃない。宮さん、別荘に行くとペーパータオルを使ってるんだよ。そのペーパータオルを作るために、どれだけ石油燃やしてると思ってるんだ。やることなすこと、言ってることとやってることが違うだろう。そこは便利にできてるんだよね。自分の言ったことを信じられるってシステムになってるんだもん。


 これを読んだときの僕は、内心快哉を叫んでいたのですが、自分が年を重ねてくるとともに、人間、そんなものだよな、と思うようになってきました。
 いくら「節電」を訴えられても、他人の目が届かない自室では、暑い夜にクーラーなしで過ごしたくはない。

 宮崎駿という人は、「親ガチャに勝ってしまった」ことを素直に喜べず、資本家側だったからこそ、自分たちが「搾取」していることが見えたし、そんな社会を変えようと思っていた(そんなふうに身構えてはなかったんじゃないか、って言われそうだけれど、そういう、いまから言えば「左寄り」「共産主義礼賛」みたいなのが「正義」というのが、学生運動が盛んだった時代の若者の空気としてあったのです)。
 でも、長く生きて、社会の移り変わりを眺めてきて、ソ連の崩壊や格差の拡大を目の当たりにして、自分に問いかけずにはいられなかったのではないでしょうか。
「いったい、何をやってきたんだろうな」って。

 民主主義は「決められない社会」を生み、独裁国家は「リーダーがまともなら、かえってうまく機能することがある」ように見え、共産主義は「みんなが貧しくなる社会」にしかならなかった。
(これらの「暗喩」がこの映画でなされていることを、僕は長男に指摘されました。当たっているかどうかはわかりませんが、若い感性ってすごいよね)

 個々の生命の犠牲を伴いながらも、種としての人間はとりあえず受け継がれ、世界はなんとか続いている。
 自分は理想の世界を創り出したい、その手助けをしたい、と思ってきたけれど、結局、正解は見いだせず、そこにあるのは微妙なバランスで崩れないでいるジェンガのような「危うい世界」のみ。

 これから世界を生きる若者たちに、自分がようやく見つけてきた「善性」みたいなものを引き継いでほしい、世界をもっと良い方向へ導いてほしい、と思うけれど、若者たちは、「老害」が押しつけてくる「善性」には見向きもしない。

 ただ、大叔父は、それを悲しむでも嘆くでもなく、自分の世界を一刀両断する者にも、後継者となるのを拒絶した者にも、「納得」していたように僕には見えました。
 自分は自分が置かれた立場のなかで、自分にできる限りのことをした。あとはもう、君たちの世界だ。
 あの13個の新しい積み木は、拒絶されるために懸命に集めてきたものなのかもしれません。

 僕はもう50歳を過ぎているから、「次の世代に、自分は何を遺せるだろうか」と考えながら観ていました。
 でも、世の中って、いくつになっても、矛盾していて、意地悪で、わからないことばかりなんですよ。
 真剣に考えれば考えるほど、「自分は、自分が置かれた環境、状況のなかで、どうあがいて、どんな失敗をしながら生きてきたか」だけが、自分に語れること、自分にしか語れないことだという結論に達してしまうのです。

 宮崎監督は、自分にとって最後の長編になる可能性が高いこの作品だからこそ、観客のカタルシスに歩み寄らずに、自分と同じ「親ガチャ勝ち組」の眞人を主人公にしたのだと思います。
 人には、人それぞれの悩みや迷いがある。あの時代に経済的に恵まれた家庭に生まれ、教育を受けることができた自分の幸運への感謝と他の同世代人への申し訳なさ、「人とは違うこと」へのコンプレックス。

 「僕はこういうルーツで生まれ、いろんな矛盾を抱えながら作品をつくり、生きてきた。作品はそこにあるけれど、それが絶対的に正しいわけじゃない。自分の嫌な部分も含めて見せるから、少しでも参考にして、若者たちよ、俺の屍を越えてゆけ、いや、越えてみせろ!」

 僕自身も、父親が医者の家庭に生まれて、周りから「あの子の家はお医者さんだからねえ」と言われるたびに「なんで普通のサラリーマンとかの家に生まれなかったんだろう」と思っていました。
 そんなことを思いつつも、読みたい本やテレビゲーム、パソコンを「買ってもらえた」のは、その親の経済力があったから、なんですよ。
 なんのかんの言って、自分に都合のいい理屈を並べて生きてきた。
 もちろん僕は宮崎駿監督の偉大な功績や作品には程遠い人間ですが、「中途半端に恵まれてしまった人間が、共産主義的な『平等』という理想に憧れる気分」は僕なりに理解できます。ロシア革命の中核になったのも、実家が比較的裕福なブルジョアジーの子弟たちでした(結局「甘い連中」は、スターリンに粛清されまくるわけですが)。
 食べていくので精いっぱい、という環境だと、テロリストにはなれても、革命家になるのは難しい。
 明治維新で活躍した志士たちも、ほとんどはそれなりの武士の身分から出ていました。


 本の『君たちはどう生きるか』には、ノブレス・オブリージュ(高い社会的地位には「公共」に対する義務と責任が伴うことを意味するフランス語)について書かれているのです。
 他人から見れば「お前は恵まれている」と言われる人間であっても、いや、だからこそ、「自分の責任」みたいなものを感じ、いろんな重しを背負ってしまう。
 太平洋戦争前の日本というのは、そういう時代であり、社会だったのでしょう、たぶん。

 2023年の世の中というのは、「個人主義の時代」であり、それによって、多くの人の「個性」が尊重され、生きやすくなった人も多い。
 その一方で、自分の恵まれた立場や能力を、自分(と仲間)のためにだけ使って、弱者から搾取するのを躊躇わない人が多くなったし、それを「恥」だと感じる文化も失われつつある。
 「自分の幸せがいちばん大事なんだ」というのは正しいのかもしれない。でも、そのためには他者を踏み台にしてもいいのか。そもそも、それは本当の「幸せ」なのか?

 僕は、この映画『君たちはどう生きるか』って、宮崎駿という、アニメーションの神に魅入られた究極のエゴイストの、わかりにくい謎かけであり、もっとも率直な自分語りだと感じました。


「僕はこんなふうに生きてきた。いや、こんなふうに生きるしかない人間だった。そして、いろんな作品を作ってきて、高い評価もされたけれど、結局、それで世の中を変えることができたかどうかはわからない。いや、これだけ生きてきて、ようやく、わからないということがわかったのかもしれない。去る前に僕の経験を遺していくから、少しでも君たちのこれからの人生の役に立てばいいのだが」


 宮崎駿監督は、作品に対して真摯であり、自分が満足できるものにするためには、良くも悪くも妥協を許さない人でした。


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魔女の宅急便』で、キキが雁の群れと出会うシーンで、宮崎監督が「鳥の飛び方はこうじゃない!」と原画担当者を叱責したそうです。
 『エンピツ戦記』という本の中で、スタジオジブリのアニメーターの舘野仁美さんは「担当者は研究熱心で、ちゃんと描けていたはずなのに、なぜ?」と疑問を抱いたと述べておられます。

 では、なぜ、宮崎さんの気に入らなかったのでしょうか。その謎は数年後にとけました。
 1994年の秋に社員旅行で奈良を訪れ、猿沢池のほとりを歩いていたときのこと。その鳥の種類がなんだったのか覚えていないのですが、池には水鳥の姿が見えました。たまたま近くに宮崎さんがいたのですが、空から舞い降りて翼をたたんだ一羽の水鳥に向かって、宮崎さんはこう言ったのです。
「おまえ、飛び方まちがってるよ」
<えええーっ!?>
 私は心の中で驚きの声を上げました。本物の鳥に向かって、おまえの飛び方はまちがっているとダメ出しする人なのです、宮崎さんは。現実の鳥に、自分の理想の飛び方を要求する人なのです。
 いろいろなことが腑に落ちた瞬間でした。
 宮崎さんが口癖のようにスタッフに言っていたのは、「写真やビデオ映像を見て、そのまま描くな」ということです。「資料を参考にして描きました」と語るアニメーターたちに、宮崎さんが厳しく接する場面を何度も目にしてきました。


 この映画でも、鳥が飛ぶシーンがたくさんあります。
 僕はそれを観ながら、このエピソードを思い出さずにはいられなかったのです。
 アニメーションの、フィクションの世界の中では、「自分の理想の鳥の飛び方」を描くことができる。
 ただ、正直なところ、この作品のベクトルが、「現実に戻れ」なのか、「良質の幻想(フィクション)とうまく付き合いながら生き延びろ」に向いているのか、よくわかりませんでした。


 「わからないものを、わからないまま見せてくれる映画や小説」って、なかなか成立しなくなっていますよね。
 前述した、『エンピツ戦記』には、こんな話も出てきます。

 宮崎さんは私たちスタッフによく言っていました。
「自分たちはつくり手であって、消費者になるな」
「消費者視点で作品をつくってはいけない」
 いつのまにか社会は、消費者によって占められてしまった。いまの大きな問題というのは、生産者がいなくなって、みんなが消費者でいることだ。それが意欲の低下となって、この社会を覆っている。
 ジブリにおいてもしかり。人を楽しませるために精一杯の力を尽くすより、他人がつくったものを消費することに多くの時間を費やしている。それは自分のような年寄りから見ると、ひじょうに不遜なことである。もっとまじめにつくれ!! 全力を挙げてつくれ!! 自分のもてるものをそこに注ぎこめ!! と言いたくなる――。
 私たちはこうした宮崎さんの意見をそれぞれに受け止めながら、自分にできることはなんなのかを考えて仕事をしていたと思います。


 この映画『君たちはどう生きるか』って、宮崎駿監督の、それも、最後になるかもしれない作品じゃなかったら、「もうちょっと観客にわかりやすいもの」になっていたのではないか、と僕は思うのです。
 ハリウッド映画の大作では、2種類の結末を作ってABテストを行い、観客の反応をみてウケたほうを採用する(ことがある)、と聞きました。
 映画から「作家性」はどんどん失われ、「AIが作成したような涙腺を刺激するだけの映画」が量産されていくなかで、宮崎駿監督は、引退を撤回してまで、こんな「これが俺という人間だ!」というエゴイスティックな作品を世に出した。
 宣伝がほとんどなくても、ストーリーや声優が不明でも、多くの人が、「宮崎駿を見届けに」映画館に行き、「よくわからない映画を観る」という体験をした。

 僕は「あー老年期の幻覚妄想的なやつか!」みたいな観かたをしてしまったのだけれど、中学生の長男は「この映画をどう解釈すべきか」を興奮しながら僕に語り続けていました。

 宮崎駿監督、あなたはやっぱり、すごい。
 この映画には賛否があるだろうけど、たぶん、監督がいちばん伝えたい人たちには、伝わっているのではなかろうか。

 この映画のラスト、正直僕は「えっ、これで終わり?」って思ったんですよ。
「2年後に東京に戻った」あと、もう一幕、東京で成長した眞人や弟の姿や、疎開先での暮らしを総括する言葉があるはずだ、と思い込んでいたから。
 もしかしたら、鈴木敏夫さんは、そうしたほうがいい、とアドバイスしたのかもしれませんが、宮崎駿監督は、あえて、きっちりとした答え合わせをせずに、観客に委ねたような気がします。

 長男は、「これだけの作品なのに、案外スタッフの数が少なかった」と言っていましたが、僕は、スタッフロールがゆっくりと、人の名前が確認できるスピードで流れていったのが印象に残りました。
 これはきっと、宮崎駿監督の最大限の「感謝のしるし」だったのではないかなあ。
 その時のアーティスト自身の人気度よりも、作品の雰囲気にあった人、曲を主題歌にするジブリが、米津玄師さんという「いま、ものすごく売れている人」をあえて起用しているんですよね(依頼は4年前だったそうですが)。
 その『地球儀』は、静かで、それでいて心に沁み入る曲でした。米津さんの主題歌は、その作品への愛着を感じます。


 結局、人というのは「自分が生きてきたようにしか生きられない」し、その人だけにしか語れないことって、「自分自身が生きて、体験し、考えてきたこと」しかないのかな、と僕はこうして長い間ネットで文章を書いてきて、思うようになりました。
 当たり前だろ、って言われるかもしれないけれど、「自分にしか書けない、オリジナルの表現や作品」があるはずだと、以前はずっと信じていたのです。

 君は、君の人生を生き、それを語ればいい。
(でも、君の人生は、君だけのものじゃなくて、たくさんの人や存在と繋がっている)

 正直、僕もよくわからないところばっかりだったんですよ。
 宮崎駿の人生を、僕が完璧に理解できるはずもないし、その必要もない。

 それでも僕は、宮崎駿ジブリとともに、この時代を生きてきた。


 ありがとうございました。
 そして、僕も、もう少し語ってみよう、と思いました。
 誰も求めていないとしても、これは、僕にとっての「生きている証」みたいなものだから。


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