- 作者:宮城谷 昌光
- 発売日: 2021/03/18
- メディア: 新書
Kindle版もあります。
中国歴史小説の第一人者が書き下ろし!
中国を代表する歴史物語『三国志』をこれから読みたい人を、雄大な世界に誘う入門書。英雄たちの足跡を物語、戦い、故事成語などにわけて易しく紹介する。
・三国時代と三国志の時代の違いとは
・外戚と宦官の争いが後漢王朝を衰弱させた
・ことばの力によって大国・魏を創った曹操
・薄情な劉備がなぜ蜀の皇帝になれたのか
・若さに満ちた政権を率いた呉の孫権
・「水魚の交わり」「泣いて馬謖を斬る」……物語を彩る名言
・英雄たちの亡き後の三国志の世界
僕は小学生のときにNHKの『人形劇・三国志』を偶然観たのがきっかけで『三国志』にハマりました。
あの人形劇の孔明は本当にカッコ良かった……孔明の声がまた良くて、僕もこんな声に生まれたかった!と思っていたものです。その声を担当していた森本レオさんがのちにスキャンダルを起こしたときには、けっこうがっかりしました。俺の孔明をどうしてくれるんだ……と。
その後、吉川英治の『三国志』を読んで、さらにハマり、光栄(KOEI)からマイコンゲームの『三國志』が出たときには、「あの世界をゲーム化できるのだろうか」と半信半疑で、ようやくプレイできたときには、嬉しくて、それこそ、寝る間も惜しんでずっと遊んでいたものです。
『三国志』がきっかけで中国史が大好きになり、『史記』を全部読んだり、吉川英治さんの『水滸伝』が途中で終わってしまったため、その後を求めて、いろんな『水滸伝』を読んだりしました。司馬遼太郎さんの『項羽と劉邦』や、この本の著者である宮城谷昌光さんの『重耳』『子産』も良かったなあ。僕が宮城谷作品でいちばん好きなのは『王家の風日』なのですが。
このままだと、読書感想ではなく、僕の「中国史への思い入れと思い出を語るだけ」になってしまいそうなので、この『三国志入門』に話を戻します。
『三国志』という思い入れのあるテーマについて、大好きな作家が書いた「入門書」は、面白いに決まっているだろう、と手に取ったんですよ。
でも、正直なところ、「長年の『三国志』ファン」の僕にとっては、物足りないというか、なんだか、三国志の「ネタバレサイト」を読んでいるような気分になったのです。
最近は「吉川三国志」も通して読んでおらず、忘れかけていた『三国志』の全体像を復習することができてよかった、とは思ったけれど、文字通り、ここから「入門」する人がいたら、ちょっともったいない気がします。
なんというか、「参考書」っぽいんですよこれ。
ちゃんと歴史書としての『三国志』とフィクションを織り込んでエンターテインメントとして完成した『三国志演義』の違いも説明されているし、三国志の人物伝や故事成語も網羅されているのだけれど、物語としての「ワクワクする感じ」が、この本からは伝わってこない。
むしろ、最初はKOEIの『三国志』や『三国無双』シリーズとか、横山光輝さんのマンガから入ったほうが、興味を持てるし、この世界を楽しめるのではないかと。
この本を読んで、「ああ、『三国志』って、こんな話なんだな」と、わかってしまうのは、なんだかもったいない。
僕は物事を冗長に書いてしまう傾向があるので、よく「長い、三行でまとめて」なんてコメントをされるのですが、結局のところ、「三行でまとめても伝わらないことが多いから、物語というのを人間は必要としてきたのだ」と思うのです。
もちろん、長ければいい、ってものでもないですが。
「戦争は良くない」なんて、いまの日本を生きている人なら、誰もが植えつけられている思想のはずです。
でも、「戦争はいけない」「核兵器反対」といくらスローガンを掲げても伝わらないから、高畑勲監督は『火垂るの墓』を映画化したし、井伏鱒二は『黒い雨』を書いたのです。
今の世の中にはコンテンツが溢れていて、ひとつのものにそんなに時間はかけられないのは百も承知だけれど、『三国志』は、吉川英治の小説版か横山光輝のマンガ版を一度は通読してもらいたいなあ。NHKの『人形劇・三国志』は傑作なのだけれど、観るのはなかなか難しいかな……
ただ、僕にとっては30年以上前の経験なので、いまはもう、吉川三国志とかは流行らないのだろうか、と不安でもあります。
当時から、吉川三国志って、文章は昔のものだな、と思っていて、それがまたカッコ良かったのだけれども。
宮城谷さんは、こう書いておられます。
それでは、『三国志演義』の世界とはどのようなものなのか、ながめてゆくことにしましょう。
そのまえに、よけいなことかもしれませんが、『三国志演義』とは、小説ではなく物語ではないか、という人がいれば、それに答えておかなければなりません。小説と物語は、なにがちがうのかそのちがいについて、もっともわかりやすく説いてくれたのが、イギリスの作家のE・M・フォースターです。
「物語はand(そして)で続いていくが、小説にはwhy(なぜ)という問いかけがある」
この定義に従えば、『三国志演義』は小説です。『三国志演義』の基(もとい)になっているのは、陳寿の『三国志』(正史)や范曄の『後漢書』などで、そもそもそれらの歴史書には、
──なぜ国(王朝)は興り、なぜ亡んでゆくのか。
という問いがかくされているからです。
たとえ単調な物語でも、そういう構造の上にのせれば、小説の様相をみせることになります。羅漢中があつかったのは、後漢の霊帝の中平元年(184年)に勃発した黄巾の乱から、呉の国が滅亡する晋の武帝の太康元年(280年)までです。百年ちかい長大な時間がその小説にふくまれているとなれば、内容が単調なはずがなく、時代を忠実にうつしてゆこうとすれば、複雑きわまりないものになってしまいます。小説をわけのわからないものにしないために、羅貫中はひとつのしっかりとした軸をつくりました。その軸とは
「劉備」
という人物です。
幼いころに父を亡くして、貧しい家で母に育てられた劉備は、動乱の世を生きぬいて、ついに蜀の国の皇帝になります。つまり、
「なにももっていなかった劉備が、なぜ皇帝になることができたのか」
という問いを、小説の主題にうつしかえて、時代の複雑さを整理して、わかりやすくしたのです。
『三国志』というのは、自分の年齢や人生経験に応じて、いろんな読み方ができる作品でもあるのです。
10代の僕は諸葛孔明に憧れていて、蜀が正統だと思っており、晩年の劉備や孔明の悲運を嘆いていました。
でも、歳を重ねるにつれ、それまでの「皇帝は劉氏」という常識を打ち破り、合理主義・実力主義で有能な人物を登用して乱世を勝ち抜いた曹操の凄さに魅力を感じるようになりました。
人間として好きか嫌いか、と言われたら、曹操が好き、とは言い難いのだけれど、歴史に果たした役割でいえば、曹操は圧倒的に劉備や孫権よりも「大きな存在」でしょう。
この本のなかで、宮城谷さんは「たくさんの人にお世話になりながら、結局のところ、『恩返し』をすることがほとんどなかった劉備」と、「若い頃に自分を評価してくれた人のことをずっと覚えていて、偉くなってからも墓の近くを通るときにはずっとお参りを続けていた曹操」を比較しています。
あらためて考えてみると、劉備は、困っているときに助けてくれた曹操を裏切り、劉表の跡目争いに乗じて荊州の主となり、助けを求めてきた劉彰を追い出して益州を得たのですから、けっこうひどいヤツですよね。
そういう面では、曹操には、次々に立ちはだかる敵対勢力を倒して真っ当に勢力を拡大していったという潔さもあるのです。
吉川英治さんの『三国志』のあとがきで、吉川さんは、『三国志』を「曹操にはじまって孔明に終わる、二大英雄の戦いを描いた話」だと定義していました。
『三国志演義』では、「三国」が滅亡し、司馬氏の「晋」が中国を統一するところまで書かれているのですが、吉川さんは「孔明の死で、この小説を終わりにするのがふさわしいと考えた」のです。
宮城谷さんが、『三国志』は「劉備の話」だと書いているのを読んで、本当にいろんな読み方ができる作品なのだな、とあらためて思いました。
そういえば、僕が最初に読んだ『三国志』の子供向けの本では、劉備が蜀を建国し、皇帝になってめでたしめでたし、みたいな終わり方だったんですよ。
切り取り方によっても、受け手の印象は大きく違ってきます。
まあ、その「めでたしめでたし版」を読んで、「で、それから劉備や孔明や蜀はどうなったんだ?」と気になったのが、僕が「三国志沼」にハマったきっかけでもあるのですけど。
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