琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】勝負の店 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

大人気ドラマ『孤独のグルメ』原作者によるエッセイ38篇。
旅先や散歩中に出会った気になる飲食店――ネットで検索はいっさいせず、入る前に店をよーく見て、想像力をたぎらせる。
決断が難しい店ほど、当たればワンアンドオンリーのおいしさと、ドラマがある。
これぞリアル『孤独のグルメ』!
挿絵は、「泉昌之」名義で著者と長年タッグを組む和泉晴紀氏が担当。


 久住昌之さん、テレビ東京で放送されている実写ドラマの『孤独のグルメ』では、いつも美味しそうに「麦ソーダ」を飲んでおられますよね。
 僕自身は、一人で外で飲む、しかも知らない店で、ということは人生でほとんどなかったのですが、あの久住さんを観ていると、僕もたまには知らない店にふらっと立ち寄ってみようかな、と思うのです。

 この本は、ボクが旅先や散歩中に出会った飲食店で、飲み食いした話です。
 事前に調べることはなく、店の前でスマホによる店名検索もしないので「この店は、おいしいのか、そうでもないのか」の判断は、難しい。でも、難しい店ほど、当たればワンアンドオンリーのおいしさと、ドラマがある。外れたら悲惨。マズイ、高い、感じ悪い……かもしれない。この歳になると、一食失敗したらダメージが大きいんです。
 だから毎回真剣勝負。入る前に店をよーく見て、想像力をたぎらせる。その上で「入るか、やめておくか」決断する。失敗を恐れず、戦いを挑むんです。


 久住さんがさまざまな土地に出かけた際に、「気になった店」に入り、そこで食べた物や出会った人々について書いたエッセイ集です。
おとなの週末』(講談社ビーシー)に掲載されていたものをまとめたもので、新型コロナ禍での「常連さんしか行かないような店に入った、いちげんさんの記録」でもあるのです。
 久住さんは人気ドラマにも「出演」されているので、「顔バレしていた」ということも少なくないのですが。
 『孤独のグルメ』の原作者が、『孤独のグルメ』に出てきてもおかしくないようなチェーン店ではない地元民向けの小さな食堂に現れたら、顔バレ率が高くなるのも必然ではあります。

 酒屋のやっているらしい大きな古い大衆酒場もあり、中にはオジサン客がいっぱいいて、ここは絶対いいな、と思ったけど、なぜか腰が引けた。
 というのは、先月、岐阜の大垣でこういう店を見つけて入り、実際すごくよかったんだけど、座ってすぐに隣の客に、
「失礼ですが『孤独のグルメ』のクスミさんですか」
と声をかけられたのだ。まあ、しかたない。けど、入ってすぐに近くの客に声をかけられると、正直「あー……」と思う。ひとりでのんびり飲もうと店に入ったのに、ずっと見られているような、うっすらとした緊張感を強いられるからだ。
 さらにその店にはでっかく「吉田類」のサインがあり、見つけた瞬間「あーあ……」となってしまう。ガッカリ。
 吉田類さんとは面識もあるし、敵意もないもないが、自分の嗅覚で見つけた店が「ここはあの吉田類さんのお墨つきなんですよ」と、説いて伏せるように言われたみたいで、なんだか急に「あぁそうですかそうですか」と心がちょっとしぼむ。
 ボクの中に「お、いい店見つけたぞ。『勝負の店』で書こう」というセコイ下心があるからでもあるだろう。そういう自分もすごく嫌。


 有名人というのも、それはそれで大変みたいです。
 僕などは、もともと初めての店は苦手で、その一方で、何度も行って常連扱いされるのも何かプレッシャーを感じて嫌、というめんどくさい人間なので、ついチェーン店やテイクアウトに頼ってしまいます。
 どの店に入ろうか、と迷ったときには、とりあえず『食べログ』とかを検索してみますし。
 大当たりの店を探すというよりは、とんでもない外れは引きたくない、という気持ちで。
 『食べログ』は、自分に最適な店を探すのは難しいけれど、「最悪の店」をスクリーニングするためにはかなり役に立ちます。
 
 ネットに頼らずに、自分の観察力と勘で店を選ぶ、というこの本は、店選びの過程も面白いのですが(久住さんのような大ベテランでも、意外と店選びってスムースにいかないものみたいです)、「外観が不安でも美味しい、人気がある店」だったら、ネットで検索したら、案外みんな知っている名店だった、という可能性もありますよね。

 僕は昔から、商店街や飲食店街を歩きながら、「なぜ、世の中には、お客さんがいるように見えない店が、こんなにたくさん存在し続けていられるのか」疑問に感じていたのです。

 この本を読むと、初見では入りづらそうな「勝負の店」には常連さんがちゃんといて、「家で飲んでも寂しい」と、自分の「居場所」にしているのです。スターバックスなどの店が、サードプレイス(自宅や職場ではない、第3の居場所)として話題になったことがありましたが、小料理屋とか地元の人が集まる居酒屋は、昔からある「サードプレイス」だったのですね。

 正直、この『勝負の店』で紹介されているのは、あくまでも「一定以上の成功例」であって、実際は、「惨敗例」もあるはずです。
 僕としては、その「これはしまった…てん」と久住さんが店を出るタイミングをひたすらうかがうような話を読んでみたい気もします。

 これを読んでいると、通りがかりに毎回、「なんでここ、潰れないんだろう?」と思うような店には、潰れない理由がちゃんとあるし、いちげんさんが入りづらいからこそ、地元の常連にとっては居心地が良くなっているみたいです。

 東京都府中市の、ある蕎麦屋さんの回より。

 店主が食べ終わった女性の卓に、蕎麦湯を持ってきて、
かき揚げ、多かったでしょ」
と笑うと、
「はい、お腹いっぱいになりました」
と笑い返していた。あれは笑うくらいデカイ。
 店主の対応は柔らかで、ユーモアも感じる。全然そっけなくはない。店の第一印象と全然違う。
 何度か来て、いろんな物を食べてみないと、この店の特徴というか、店主の趣味というか、この店の目指しているところは、見えてこないだろう。
 こういう手打ち蕎麦屋もあるんだな。
 ボクらは、いつの間にか「うまい蕎麦屋はこういう感じ」と無意識に決めつけているようなところがある。
 暖簾は白か紺か渋い茶色で、いつもきれいに洗いざらしてあるとか。
 入口は決して自動ドアではないとか、テレビなんかついてないとか。
 内装は絶対和風で、壁には書か墨絵がかかってて、陶器に生花が地味目に飾ってあって、なんか甕(かめ)みたいなのに、竹の筒から水がチョロチョロ落ちてるとか。店主は紺の寒絵を着てるとか。白髪混じりのヒゲとか。コワイ顔して蕎麦打ってるとこが見えるとか。
 そんなの、なんでも、よい。店主の自由。つべこべ言うのは、余計なお世話。なんで客が「名店かくあるべし」みたいに、作り手の自由を奪うんだ。
 この店みたいに、暖簾がなくて、テーブルがガラスで、店主がジーパンで、かき揚げがぶっとい煙突でも、いいじゃないか。


 『孤独のグルメ』は、「孤食」のイメージを変えた、とも言われていますし、「自分には縁がない場所」だと思っていた「定食屋」や「地元の人しか行きそうもない個人店」に多くの人が目を向けるきっかけにもなりました。
 その一方で、「『孤独のグルメ』に出てきそうな店」と言うようなカテゴリーができ、「隠れた名店探し」によって混み合うようになり、地元の人が利用しづらくなったり、店の雰囲気が変わってしまったり、と言う現象も起こってきたのです。

 利用する側にもさまざまな好みや状況もありますし、店選びに絶対的な「正解」はありません。
 僕自身は、『すきやばし次郎』の小野二郎さんが「飲食店は、まず掃除が大事」と仰っているのを読んで以来、「(古い、新しいにかかわらず)清潔であるかどうか」は気にかかるようになりました。
 もちろん、『すきやばし次郎』レベルの清潔さを全ての飲食店に望むのは酷な話ですが(そもそも、値段が違いすぎる)、確かに、それなりの「清潔感」を保っている店には、ハズレが少ないと思います。


 挿絵が和泉晴紀さんということもあって、「まさに久住ワールド」。
 読んで何か教訓が得られるとか、賢くなる、というわけではないけれど、ちょっと勇気と余裕があれば、つまらない日常も、ちょっと楽しくできる、そんな気がしてきます。


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