琥珀色の戯言

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【読書感想】日本インテリジェンス史-旧日本軍から公安、内調、NSCまで ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

「国家の知性」の暗闘でたどる戦後75年の秘史
情報分析や防諜活動を行い、国家の政策決定を補佐するインテリジェンス。公安や外交、防衛を担う「国家の知性」である。戦後日本では、軍情報部の復活構想が潰えたのち、冷戦期に警察と内閣調査室を軸に再興。公安調査庁自衛隊や外務省の情報部門と、共産主義陣営に相対した。冷戦後はより強力な組織を目指し、NSC(国家安全保障会議)創設に至る。CIA事案やソ連スパイ事件など豊富な事例を交え、戦後75年の秘史を描く。


 「インテリジェンス」という言葉には、「知性」という訳語があてられていた記憶があります。
 それが、いつの間にか(佐藤優さんが作家として活躍されるようになってから、かな)、国家間の情報に関する活動、諜報活動が「インテリジェンス」と呼ばれることが増えてきました。
 この新書は、太平洋戦争まで軍部によって統制されていた、国家の諜報活動が、戦後の日本でどんな人たちによって担われ、そして、国民の危険視と諸外国との関係の中で、いかに「復権」してきたか、というのが紹介されています。


 「まえがき」にはこう書かれているのです。

 インテリジェンスとは情報のことを意味するが、どちらかというと機密や諜報の語感に近い。つまりただの情報(インフォメーション)ではなく、分析・評価された、国家の政策決定や危機管理のための情報こそがインテリジェンスということになる。

 本書は戦後日本のインテリジェンス・コミュニティの変遷を追いながら、75年にわたる”秘史”を描くものである。本書の問いは主に二つの点にある。

(1)なぜ日本では戦後、インテリジェンス・コミュニティが拡大せず、他国並みに発展しなかったのか

(2)果たして戦前の極端な縦割りの情報運用がそのまま受け継がれたのか、もしくはそれが改善されたのか


 戦前から太平洋戦争中の「インテリジェンス」は、主に軍部が担っていたのですが、大日本帝国の陸軍と海軍はお互いをライバル視し、それぞれが得た情報で、相手の役に立つはずのものでも積極的にやりとりすることはなかったのです。
 そういう「お互いの縄張り意識による『縦割り』の弊害」は、戦後の日本でも、外務省と公安警察、あるいは内閣で、「誰が諜報を担い、得た情報をどう活かすのか」を決めていく上で、大きな課題となっていきました。
 軍部の力が敗戦でほぼ消滅しても、今度は別の部署同士での争いが続いていったのです。
 ただし、それは日本だけのことではなくて、アメリカでも似たような「縄張り争い」はあったと著者は述べています。

 日本の場合は、太平洋戦争で負けたことと、戦後の教育の影響で、戦争や他国との争いに関して、仮定として考えること、あるいはリスク管理をしていくことにも国民の反発は大きかったのです。「スパイ防止法」についても「そんな法律を作ったら、戦前、戦中の日本に逆戻りしてしまうのではないか」と嫌悪感を表明する知識人が大勢いました。

 戦前の国防保安法や軍機保護法といった秘密保護法制、さらには刑法第二編第三章の「外患に関する罪」もすべて廃止された状態で、1952年4月に日本は主権を回復した。軍機保護法は、「軍事上の秘密を探知し又は収集したる者、之を公にし又は外国若は外国の為に行動する者に漏洩したる時死刑又は無期もしくは3年以上の懲役」と厳罰が処されるものであったが、実際に本法が適用されたのは1941年のゾルゲ事件ぐらいであり。それほど頻繁に適用されていたわけではない。
 むしろ問題は戦前の日本が「実質秘(自然秘)の原則を取っていたことで、こちらの方が運用上問題が多かったと言える。例えば軍機保護法には秘匿すべきものとして「軍事上秘密の事項又は図書物件」とあるが、実質秘の考え方だと「秘」の印がなくともあらゆる事項に軍事機密の可能性があると拡大しえた。だから戦前は、書店で売られている軍港や飛行場を含む地図を一般人が購入し、それを外国人に渡しただけで機密漏洩罪に問われかねなかった。軍人以外の一般市民には、何が軍事機密にあたるのか判断するのはかなり難解である。そこで戦後は諸外国に準じて、「秘」の印があり、管理されたものが機密に当たるという「指定秘(形式秘)」制度が導入された。


 太平洋戦争中の日本を描いたアニメ映画に、軍港で停泊している船をスケッチしていたら、「スパイ行為」だと咎められる場面がありました。「実質秘」だと、描いていた本人にはそんなつもりは全くなくても、拡大解釈できる余地はいくらでもあるのです。コロナ禍での「自粛警察」のように、他者を責めることに熱心な人も出てきます。
 「スパイ防止法」が成立してしまえば、なし崩し的に、「お前はスパイだ!」と権力者に従わない者を罪に陥れる社会になってしまうのではないか、と危惧する人は、今でも大勢いるはずです。僕だって、そんな法律は、無くて済むなら、ない方がいいと思っています。
 正直、日本が「スパイ天国」と呼ばれて、外国の諜報機関に甘く見られていても、自分が言いがかりで投獄されるような社会になるより、ずっとマシ……だったんですけどね……

 1983年9月1日に起こったソ連ソビエト連邦)空軍による大韓航空機撃墜事件では、乗員乗客269名全員が亡くなりました。
 当初は「行方不明」とされていたこの航空機が撃墜されたことが判明したのは、日本が傍受したソ連パイロットの通信が契機だったのです。そして、この通信記録は、そのままアメリカに送られ、シュルツ国務長官ソ連の非人道的な行為を批判する「証拠」となりました。
 アメリカの子飼いの手下としては「上首尾」だったのかもしれませんが、このことにより、日本がソ連の通信を傍受していることが相手側にも確認され、ソ連は周波数の変更や暗号化といった対策を行いました。
 

 いずれにしても日本側が録音したテープは中曽根(元総理)によって米国側に渡され、さらにその後、米国は国連安保理の場でテープを公開することを要請してきたため、日本側はそれに同意せざるを得なかった。この時、後藤田(正晴・当時の官房長官)は「米国が先、日本が後なんだ。これでは米国の隷下部隊」として、自衛隊の存在意義に疑問を投げかけたという。


 現実的に「日本は、アメリカの軍事力によって守られている」のは事実でしょう。
 でも、これで「独立した国」と言えるのか。

 1997年に新設された防衛庁の情報本部は早々に試練に晒されている。翌98年8月31日未明の、北朝鮮によるテポドン・ミサイルの発射実験である。ミサイルは事前通告なしに日本の上空を飛び越え、衝撃を与えた事件である。当時、米国の早期警戒衛星がミサイル発射の兆候を捉え、防衛庁に通知してきたものの、情報本部はこれを事前に捉えることができず、また発射後も北朝鮮が主張するような人工衛星なのか、ミサイルなのか判断が揺らいでいた。
 そして米国政府が「北朝鮮は小型の人工衛星を軌道に乗せようとしたが、失敗したという結論を得た」と判断し、北朝鮮の「人工衛星の打ち上げに失敗」という主張に追随したことで、日本政府にさらなる衝撃を与える。そのため自前の偵察衛星を持つ必要性が政官界で広く共有されるようになった。
 元々、日本は必要があれば米国から衛星写真を提供されることになっていたが、それが米国側が許可したもので無くてはならず、また天候等を理由に、撮影自体が拒否されることも想定された。さらに米国から衛星の画像情報だけ提供されても、それを分析する能力が日本側になければ意味がない。
 現に2003年のイラク戦争開戦の口実となった「イラク大量破壊兵器開発の証拠となる秘密工場の衛星写真」は、後に大量破壊兵器とは何の関係もなかったことが明らかになっているが、当時日本政府側は米国側の説明を鵜呑みにするしかなく、有志連合の対イラク戦争を無条件に支持することになった。その上、米国から防衛庁に提供されていた偵察衛星の情報は、主に防衛庁自衛隊限りで使用され、他省庁どころか官邸にもほとんど上がっていなかったのである。そのため他省庁としても、独自に使用できる衛星画像情報が渇望されていた。
 このような経緯から、日本が独自の偵察衛星を持ち、独自の情報収集能力と分析能力を持つことは、戦後日本のインテリジェンス・コミュニティにとって悲願であったといってもよい。


 アメリカの同盟国であり続けることが、当面は最善の選択肢であるとしても、アメリカが有事に大きな犠牲を払ってまで日本を守ってくれる、という絶対的な保障はないのです。僕がアメリカ人だったら、尖閣諸島のためにアメリカが中国と核戦争をしたら嫌だと思う。
 そもそも、ただアメリカに盲従するだけでいいのか。

 もしイラク戦争大量破壊兵器について、日本が独自の衛星写真や情報網を持ち、「大量破壊兵器があるかどうか疑わしい」と判断することができていたら、日本政府は、日本人はどうしていただろうか?
 「大義なき戦争はやめたほうがいい」とアメリカに言うことができたのか、それとも、その事実には知らないふりをして、アメリカがやることだから、と「賛成」したのか。

 21世紀になって、日本でのインテリジェンスの必要性は広く認知されるようになり、「スパイ活動の防止」についても、世界情勢を踏まえて、現実的な議論がされています。
 僕自身としては、スパイ防止法なんて無い社会のほうが望ましいとは思っているけれど、現状を考えると、このまま「スパイ天国」でいるのが難しいのも理解できます。
 日本のスパイ対策が「ゆるい」という理由で、諸外国から日本へは機密情報を伝えられない、という弊害もあるのです。
 機密情報というのは、知る人が多くなるほど、漏れやすくなります。

 このインターネット社会では、SNSでの身の回りの出来事のつぶやきや、インスタグラムの風景写真が「機密漏洩」になりかねませんし、ウクライナでは有志による民間のドローンが戦場での情報収集に役立っているそうです。
 ロシアは、ネット上での情報操作やデマの蔓延を組織的に行なっている、と言われています。

 この本を読むと、日本のインテリジェンス史とともに、「これまでの日本は、いろんなことがありつつも、太平洋戦争の経験を糧にして、個人の権利やプライバシーをけっこう大切にしてきたのだな」と感じました。
 ただ、それもアメリカという国の軍事的な庇護があって、「アメリカ任せ」にしてきたから、でもあるのです。
 これからまた変わっていく世界の中で、ずっと「このまま」では居られないことだけは、間違いないでしょうけど。


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