琥珀色の戯言

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【読書感想】首里の馬 ☆☆☆☆

【第163回 芥川賞受賞作】首里の馬

【第163回 芥川賞受賞作】首里の馬


Kindle版もあります。

首里の馬

首里の馬


文藝春秋』のこの号には、受賞作として全文掲載されています。

この島のできる限りすべての情報を守りたい―。いつか全世界の真実と接続するように。世界が変貌し続ける今、しずかな祈りが胸にせまる。


 第163回芥川賞受賞作。
 沖縄の非現実的な歴史資料館に長年通い、無償で資料の整理を続けている未名子。
 彼女があるきっかけで採用された仕事は、オンラインで人とやりとりする、これのどこが仕事なんだろう?というものでした。
 
 僕は「この仕事、どんな意味があるんだろう?もしかして、何かこの世界の秘密に触れるような、どんでん返しがあるのでは……」と勘繰りながら読んだのですが、そういう読み手の「勘繰り」こそが、作者の狙いだったのかもしれません。
 
 「純文学」「芥川賞」だからこそ、この作品のストーリー展開にも「なるほど」と思えてくるけれども、「エンターテインメント的」な期待感を持ちすぎると、肩透かしを食らうかもしれません。
 
 前半は「これ、どう転がっていくのだろう?」という期待感で読み、中盤は「なんでここで馬?」という違和感に引っ張られ、後半は「何かを後世に残したいという人間」のひとりとしての共感で満たされます。

 「何かを残したい」というのは、個人の名誉とか偉業的なものではなくて、自分が生きていたことの、ちょっとした爪痕というか、少しでも、亡くなってしまった人たちから引き継いだ世の中をマシにしたと思えて死ぬことができるための足掻き、みたいなものなんですよ、たぶん。
 この作品が、芥川賞を受賞したのも、ハリウッド映画の創成期をテーマにした作品が、アカデミー賞で高評価されやすいのと同じようなものなのではなかろうか。

 なんで「馬」なのか、とか、やたらとスケールが大きい通信相手とか、思うところは少なからずあるんですよ。
 入り込めない人たちにとっては「文章は読みやすいし、日本語としてはわかるのだけれど、何を書きたいのか、よくわからない小説」だとみなされる一方で、僕のように「わかるつもり」の人間の小さなプライドを満たすタイプの作品でもある。
 僕は長年ネットにものを書いている、記録好きの人間なので、この作品に共感してしまうのだけれど、あまりに「隠者小説」すぎるのではないか、と言いたくもなるのです。
 自分の人生は、人類というビッグデータのなかの、ほんの1例でしかない。そんなふうに、割り切れればラクなのかもしれないけれど。

 なにより、ここのところの未名子には、やらなくても生きていけることをするような気力があまりなかった。家の売却や引っ越し、免許の取得といった、今の自分がより快適になることへの手続きよりも、生きていくためのルーティーンを続けることのほうが疲労がすくなく思える。荷物を置いて服を着替え、不在通知に殴り書きされている番号に、再配達の依頼を済ませた。

 そのころ、日本が獲得と喪失のお祭り騒ぎをしている裏で、母とは別の、でも外側から見たら同じにしか見えないやり方で声をあげた人とか、山の奥で暮らしている人たちのうちの数人が、日本の大きな都市の真ん中で、ひどいテロリズムに走ってしまった。たぶん生まれる前だろうけど、有名だから知ってるよね。その人たちの中にいた多くの人は、賢くて素直だった。だからこそこんな悲劇が起こったんだという人もたくさんいた。当時の大騒ぎを、たぶんあなたは詳しいく知らないと思うけど、その時には日本各地にいくつかあった、ちょっとしたコミュニティはとても苦しい目にあったらしいよ。どんなに近所の人とうまくやっていても、自分たちの中に特別な暴力性がないと主張しても、人は知らないことで人が集まって、なにか隠れるような生活をしている人のことを、あの時以来とても怖がるようになった。みんなが知らないところで、みんなの知らない組織をつくっていること、それ自体が政治的な意図の大小にかかわらず罪と認定されるようになってしまった。


 著者は僕と同じくらいの世代なので、あの宗教団体による事件のことを踏まえているのだと思います。
 それ以前には、「連続幼女誘拐殺人事件」でアニメファンたちが差別されたし、最近では「新型コロナウイルス流行下での、医療従事者差別」なんていうのもありました。
 「世の中の人たちと一緒に、ウェイウェイ言って盛り上がっていない」人たちのほとんどは、誰かに危害を加えるようなタイプではなく、むしろ、危害を加えられるのを恐れているように思われます。

 それでも、世の中の多数派は、「自分たちに理解できないことをやって、満足している人々」に、不安を掻き立てられる。
 いや、こんなことを書いてはいるのもの、僕自身も、「宗教」とかが絡んでくると、それが長い伝統を持ち、ある程度社会と調和しているようなものであっても、警戒せずにはいられないのです。
 そもそも、「あのウェイウェイ言っている連中」みたいなのも、あちら側からみれば「差別」なんでしょうし。

 思わせぶりなだけで内容はたいしたことない「純文学」なのかもしれない、と思いつつも、ネットであてもなく自分のことを書き続けている僕にとっては、共感せずにはいられない作品でした。


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