琥珀色の戯言

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【読書感想】日本全国津々うりゃうりゃ 仕事逃亡編 ☆☆☆


Kindle版もあります。

仕事を放り出して、今すぐどこかに行きたいじゃないか! 根っからの怠け者だが、無類の旅好き。人間、旅行以上に大事な仕事があるだろうか。鬼編集者テレメンテイコ女史とともに流氷ウォーク、粘菌探し、ママチャリ旅に手漕ぎボート、果ては迷路マンションまで。どこでも行くが、どこでも脱線。読むほどに、怠け者が加速する脱力珍旅エッセイ。


 宮田珠己さんの旅エッセイ、何か読みたいんだけれど、書かれている物事を深く考える余裕がない、というときに、手にとることが多いのです。読み終えて、何か賢くなった、とか問題意識が芽生えた、なんてことはあまりないし、ものすごく笑えた記憶もない。
 でも、宮田さんの文章や書かれている世界には、独特の心地よさがあるのです。
 逆に、「こんなに意味がないことを、文庫本で300ページ近くにわたって読ませてしまうことができる作家」というのは、なかなかいない、とも言えそうです。


 このエッセイ集の最初に収録されている『オホーツク』の冒頭に、こう書かれています。

 旅が好きで、旅ばかりして過ごしているうちにおっさんになり、そろそろ飽きるかと思ったら、まだ好きである。好きどころか、旅をしているときだけが生きている気分であり、そうでないときは死んだ魚の目をしていると言われる。
 私は死んだ魚の目で仕事をし、ごはんを食べ、風呂に入り、テレビで旅番組を見ては、いいなあ、うらやましいなあ、と思っているわけだった。
 このまま仕事にかまけてどこにも出かけないでいると、だんだん目つきだけでなく総合的に死んでしまう可能性がある。そうなるまえに、ときどき逃亡しなければならない。


 新型コロナウイルスの感染拡大のなか、宮田さんはどう過ごしておられるのだろうか、と、けっこう心配にもなったのです(それなりに元気に文章を書き続けておられるみたいですが)。
 僕自身は、もともと出不精の超インドア派なので、ステイホーム生活がつらい、というよりは、飲み会とか会議とか、出張とか、気が重くなるイベントが無い世界に居心地のよさを感じているのも事実なのですけど、「旅に出たい」「人と会って、触れ合いたい」という人は、この1年半にすごいストレスが蓄積していますよね……
 1年半も、只中にいれば長いけれど、後世の人々からみれば、僕たちが歴史年表でみる「スペイン風邪の流行」のように、「長い歴史のなかのイレギュラーな1ページ、になっていくのか、これをきっかけに、人類の生活習慣そのものが変容していくのか。

 LCC(ローコストキャリア:サービスを削減する代わりに低価格を実現した航空会社)の隆盛や中国をはじめとするさまざまな国の経済発展によって、世界の多くの人々が「海外旅行」に出かけられるようになってきたタイミングでのコロナ禍ではありますが、「知らないところに行って、新しい世界に触れてみたい」という人間の「知識欲」みたいなものは、きっと、新型コロナを経験しても、失われることはないはずです。


 オホーツクで流氷に乗る、というツアー(流氷ウォーク)に参加した回より。

 道路から小さな斜面を下りた先に海岸があり、着替えが済んだら、そのまま海へ下りていった。いよいよだ。
 私は砂浜から流氷に乗り移る瞬間が、ちょっとしたスペクタクルなんじゃないかと期待していた。なんといっても、それこそが流氷ウォークにおける最も重要な瞬間であるのは間違いなく、ここは、
「さあ、今……、宮田選手、流氷の上に……ついにその第一歩を……踏み出そうとしています!」
 とか、口には出さず実況中継したい。なぜ選手になっているのかとか、何の大会なのかとか、そもそもどこで放送しているのかとか、いろいろ謎はあるが、重要な場面ではとりあえず実況中継である。男子はみな、心の実況中継とともに生きているものだ。
 今こそ、境目の瞬間を見逃すな! と視聴者に訴えたい。
 で……
 どこからが流氷なのであろうか。
 このへんが本来の波打ち際かなと思うあたりで立ち止まってみたものの、そこらじゅう雪に覆われて、よくわからない。今がまさしくその瞬間なのか、まだ陸地の上なのか、それとももう海の上なのか、判断できなかった。そこがはっきりしないと、うまく実況できない。
 雪と氷が連続して、ずっと地表のようだ。


 「心の実況中継」をやっているのは、僕だけではなかったのか……と、けっこう感動したのです。
 でも、逆に、「男子だけ、なのかな……」という疑問も湧いてきました。
 女子はやらないのかな……うーむ、やらなさそうな気もする……

 目的だったはずの場所があまり面白くなかったみたいで、ちょっと寄り道したとか、偶然見つけた場所のほうを描く文章に熱がこもっていたり、写真がたくさん載っていたりするんですよね、このエッセイ。
 コロナ以前ではあるけれど、旅先での地元の人との心温まる交流や地元の美味しい料理などもほとんど出てくることはありません。
 潔い、あるいは露悪的なくらい、「宮田さんのエッセイは、自分の興味に正直」なんですよ。
 和歌山で粘菌について専門家に教わったあと、「じゃあ、外で粘菌を探してみましょう」と言われて外に出かけたときも、「嫌々ながら」という感じが伝わりまくっていて、これ、親切に教えてくれた専門家が読んだら、不快になるんじゃないかなあ、と、読んでいる僕のほうが心配になってきました。
 まあでも、お世話になった諸方面に配慮しまくった旅エッセイなんて、土産物屋を連れ回される観光ツアーみたいなものではありますよね(今はそういうのもだいぶ少なくなったみたいですが)。

 この文庫版の僕にとっての最大の読みどころは、宮田さんの旅のパートナーではあるものの、作中では微妙な距離感で書かれている編集者・テレメンテイコ女史が、巻末で「解説」を書いていたことでした。
 旅エッセイでは、同行の編集者が「登場人物」のひとりになっていて、作家との親しげなやりとりがお決まりのネタになっているものが多いのです。編集者との集合写真も、コミックエッセイでは定番になっています。
 でも、テレメンテイコさんは、慎重に「クールな旅のコーディネーター」として描かれている。


 テレメンテイコさんの「解説」では、けっこう赤裸々に、この旅エッセイの「舞台裏」が書かれています。

 本書を含む、「日本全国津々うりゃうりゃ」シリーズのやりくりは、常にカツカツ。ビンボーな私たちに北海道3泊などという贅沢はとうていできない相談でした。
 1冊あたりの予算は決まっていたので、旅に出る回数を増やそうとすると、1回あたりの日数はよほどのことがないかぎり、1泊か2泊に抑えなければなりません。そんな懐事情にもかかわらず、北海道という遠方への旅を企画できたのは、流氷ウォークの格安フリーツアーが見つかったからこそだったのです。これ以上は、懐が許さず、残念ですが、紋別行きはあきらめました。断じて、私が釣りをしたかったためではありません。
 ──こういった「裏事情」が、この一冊だけでも山ほどあります。


 のどかな旅エッセイのように見えるけれど、「出版不況」の影響なのか、けっこうシビアな予算でつくられているのです。宮田珠己さんのような、固定読者もけっこういそうな人気作家でも、いまはこんな感じなのか……
 「編集者からみた、宮田珠己という作家の面倒くささと、扱い方、そして、その文章の魅力」についても書かれていて、ひとつの作品というのは、作家と編集者の共同作業である、ということをあらためて思い知らされます。
 宮田珠己ファンには、この「解説」だけでも読んでみていただきたい。

 あと、この本で、「石川雲蝶」という彫工と、その代表作のことをはじめて知り、これはぜひ見てみたい!と思ったのです。
 一冊の本で、1か所、「絶対に行きたい場所」「見てみたいもの」を発見できれば、僕にとっては、もう十分なんですよ。


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