琥珀色の戯言

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【読書感想】わかりやすさの罪 ☆☆☆☆

わかりやすさの罪

わかりやすさの罪


Kindle版もあります。

わかりやすさの罪

わかりやすさの罪

“わかりやすさ"の妄信、あるいは猛進が、私たちの社会にどのような影響を及ぼしているのだろうか。
「すぐにわかる! 」に頼り続けるメディア、ノウハウを一瞬で伝えたがるビジネス書、「4回泣ける映画」で4回泣く人たち……。
「どっち」?との問いに「どっちでもねーよ! 」と答えたくなる機会があまりにも多い日々。
私たちはいつだって、どっちでもないはず。
納得と共感に溺れる社会で、与えられた選択肢を疑うための一冊。


 「わかりやすさ」がもてはやされる世の中だけれど、「わかりやすさ」と引き換えに、さまざまな大切なことを失ってしまっているのではないか?

 僕もネットに書いている文章に対して、「長すぎる」「まわりくどい」と言われることが多いですし、「わからないことは、わからないまま書く」という姿勢には共感せずにはいられないのです。
 でも、「そう簡単に、『共感』なんてするのがおかしいんだ」とも考えずにはいられないのです。


 百田尚樹さんが、『愛国論』という本での田原総一朗さんとの対談のなかで、こんな話をされています。

百田尚樹評論家なんかはよく「この小説にはテーマがない」と、いったりします。たとえば「戦争は絶対にダメである」というテーマが重要だ、とかね。そんな意見を聞くと私は、だったら原稿用紙を500枚も600枚も埋めていく必要なんかない。「戦争はダメだ」と1行書けば済むじゃないか、思います。


田原総一朗うん、そりゃそうだ。


百田:小説が論文と違うのは、そこです。「戦争はダメだ」「愛が大切だ」「生きるとは、どれほどすばらしいか」なんて1行で書けば済むことを、なぜ500枚、600枚かけて書くのか。それは心に訴えるために書くんです。「戦争はダメ」なんて誰だってわかる。死者300万人と聞けばアタマでわかるし、悲惨な写真1枚見たってわかる。けれども、それはアタマや身体のほんとに深いところには入らない。そんな思いがあって、『永遠の0』という小説を書いたんです。


 ネットではとくに「3行でまとめて」などと言う人が多いけれど、「戦争は悲惨なものです。やめましょう」という「テーマ」をそのまま提示されたら、「そんなのわかってるよ……」としか思わないですよね。
 「あらすじで読む名作」とかにしても、名作とされるものの「あらすじ」なんて、ある程度「型」にはまっていることが多くて、本当に大事なのはディテールじゃないか、と考えるようになりました。

 本書の基となる連載を「わかりやすさの罪」とのタイトルで進めている最中に、池上彰が『わかりやすさの罠』(集英社新書)を出した。書籍としては、本書のほうが後に刊行されることになるので、タイトルを改めようと悩んだのだが、当該の書を開くと、「これまでの職業人生の中で、私はずっと『どうすれば分かりやすくなるか』ということを考えてきました」と始まる。真逆だ。自分はこの本を通じて、「どうすれば『わかりやすさ』から逃れることができるのか」ということをずっと考えてみた。罠というか、罪だと思っている。「わかりやすさ」の罪について、わかりやすく書いたつもりだが、結果、わかりにくかったとしても、それは罠でも罪でもなく、そもそもあらゆる物事はそう簡単にわかるものではない。


 この本のなかで、池上彰さんは「仮想敵」のような扱いを受けているのです。
 まあ、たしかに今の世の中での「わかりやすさ推進」の象徴みたいな存在ではありますよね。

 池上彰がブレイクするきっかけとなった著書のひとつである『わかりやすく(伝える)技術』(講談社現代新書)を開きながら、池上彰のわかりやすさを探っていきたい。本書は、「私の家の近くの駐車場に、『ここはユニバーサルデザインの駐車場です』という看板が出ています」という一文から始まる。どうやら、その駐車場はあまり使われていない。ユニバーサルデザインとは誰にとっても使い勝手がいいデザインのことであり、この駐車場の看板が意味するところとは、「自動車の運転が不得手で、縦列駐車や車庫入れが苦手な人でも駐車しやすいように、ゆったりとしたスペースをとっていますから、どなたでも安心して利用できます。車椅子の人も、自動車のドアをいっぱいに開くスペースがありますよ」であるらしい。それを「ユニバーサルデザイン」と明記してしまう判断。長ったらしい説明を必要とせずに手短に利便性を訴えようとしたのに、裏目に出てしまう。池上は「『わかりやすい説明』というのは、むずかしいものだなあと思う」とする。
 ポイントは次の一文だ。ここには様々な争点があるのではないか。
「ひとりよがりの説明に陥らず、相手の立場に立った説明。それこそが必要なのに、生半可な専門家は、知っている単語を駆使して、関係者しか理解できない説明文を書いてしまいます」
 そうそう、その通り、と思いやすい文章である。だが私は、そうそう、その通り、とは思わない。物事を説明する時にまず考えるのは、自分自身がその物事についてどのように考えているかである。当然のことだ。頭の中をまさぐり、そこにある考えを抽出し、できうる限りの整理を試みた上で、相手に投げる。その時点では整理がどうしたって不十分なことが多いので、話を続けていく中で微調整をしたり、相手の意見と接触させたりすることで、整理しなおしたり、弱点を修正したりする。それが主張ではなく説明であったとしても、そこに主観が介入するのは避けられない。話す、書く、とは押し並べて主観である。


 著者の「わかりやすさ重視のために、失われてしまうものへの危機感」は、理解できるような気がするんですよ。
 でも、この「ユニバーサルデザイン」という言葉については、僕は池上さんに軍配を上げます。
 僕自身、医療の専門家として、患者さんやご家族に病気や治療の説明をすることがあるのですが、正直なところ「肝臓って2つあるんだよね(2つあるのは腎臓)」というレベルの基礎知識しかない人に、ちゃんとした医学的な説明をして、理解してもらうのは至難の業です。
 逆に言えば、そう簡単に理解できないことを長い時間をかけて習得しているからこそ、専門家としての医者が成り立つわけです。
 そこで、「相手が理解できないことを承知の上で、専門用語を駆使して、専門家も納得する説明」をするか、それとも、「嘘ではないけれど、いろんなことを省略したり単純にしたりして、とりあえず大まかなところはわかったような気分になってもらえる説明」をするべきか?

 文学とか思索の世界では、「わからないことを、わからないままにしておくこと」「考え続けること」に意味があると思うのです。
 でも、世の中の多くの人と人との関係においては、あるいは、制限時間があったり、専門性が高かったりすれば、「わかりやすさを優先せざるをえない」場合が多いのです。
 だって、わけのわからないカタカナの専門用語を連発して、「じゃあいいですね」って、同意書を差し出されたら、不安になるじゃないですか。
 もちろん、どんな人でもそれでうまくいく、というわけではないのだけれど、僕は「わかりやすさの限界」とともに、「わからないことを、わからないままにしておける限界」もあると思っています。

 この本に書かれている「わからない、という感情を、もっと大事にしたほうがいい」という提言には、「僕がうまく言葉にできなかったことを、徹底的に、地道に拾い上げてくれた」という感動があったのです。
 「わかりやすい、誰かを責めるための言葉」が増幅され、暴走しやすい時代でもあります。
 そして、「わからない」を大事にするというのは、他者に対して「もっとわかりやすく(自分にもわかるように)説明してくれ」と相手に責任を押し付けて開き直るのではなく、「わからないことを受け入れ、わかるために考えたり、人の話を聞いたりすること」なのだと思います。
 でも、いろんな情報が「とにかく、短く、わかりやすく」になってしまう(たとえば、ヤフーニュースの見出しみたいに)時代に、これをやると「バカに見える」あるいは「バカにされる」のも事実なんですよね。

 2019年に没した加藤典洋による、おそらく最後のエッセイ集『大きな字で書くこと』(岩波書店)の締めくくりの一編「もう一人の自分をもつこと」を読む。病気をして社会から隔離された状況で頭に浮かんでくるのは、「自分がキャッチボールをしているシーン」だった。「自分のなかに二つの場所をもつこと。二人の感情をもつこと」「どんづまりのなかでも、自分のなかの感情の対流、対話の場を生み、考えるということを可能にする」とある。この一編で加藤は、自分の文章には「わかりにくい」という評言がずっとつきまとったが、なぜそう言われたかといえば、たとえば政治的・社会的なことを論評しながらも、「人が生きることのなかにはもっと大切な事」があり、それにくらべれば、どうてもいいことであるという「見切り」の感覚があったからではないかと説く。大切なこととは、自分にとって身近なことではなく、窓の外に飛んでいるチョウチョであり、公園を歩いている親子であり、つまり、自分がその時点で把握することができないもの、という感覚だったそうだ。大切なことは思索の外にあり、キャッチボールをするように考え続けることが必要になる。


 この本も、著者をはじめ、さまざまな人たちの「わからないことと、どう向き合っていくか」「考え続けるということ」についての文章やエピソードが散りばめられていて、その一つ一つこそが「読みどころ」なのだと思います。
 「わかりやすく!」と言われ続けることになんだか疲れてしまっている人に、ぜひ、読んでみてほしい一冊です。


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大きな字で書くこと

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