琥珀色の戯言

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【読書感想】なんのために学ぶのか ☆☆☆

なんのために学ぶのか (SB新書)

なんのために学ぶのか (SB新書)

  • 作者:池上 彰
  • 発売日: 2020/03/06
  • メディア: 新書


Kindle版もあります。

なんのために学ぶのか (SB新書)

なんのために学ぶのか (SB新書)

内容(「BOOK」データベースより)
「勉強はたいていつまらないもの。でも、学んで損をするということはない」「社会に出てからでもいい。学びの楽しさを知っておけば、その後は一生学び続けることができる」「学ぶことに遅いということは絶対にない」…池上彰が初めて語った「学びの喜び」と「学びの意義」。


 池上彰さんが2019年5月に岡山市ノートルダム清心女子大学で講演した内容をもとに書籍化したものです。
 池上さんといえば、「わかりやすい解説」の名手として知られているのですが、これを読むと、「学びつづける」ということに対する池上さんの思いが伝わってくるのです。
 池上さんのお父さんが88歳を過ぎて体力が衰え、寝たきりになった際に、『広辞苑』の新しい版を池上さんに買ってきてもらい、それを病床で少しずつ読んでいたそうです。
 『魔女の宅急便』の「魔女は血で飛ぶのよ」じゃないですが、池上さんの勉強好きは親ゆずりなのですね。
 いや、そういう姿を見てきたからこそ、池上さんも「勉強の尊さ」を信じるようになったのか。
 子どもに本を読んでもらうためには、「読め」というより、親が日常的に本を読んでおり、家の中に本がたくさん存在していることが大事、という話も聞いたことがありますし。


 池上さんは、これが大学での講演ということもあって、「大人になってから勉強することの大切さ」を繰り返し説いています。

 それはともかく、大人になってからの勉強は、学生時代の延長の勉強では得られない気づきがたくさんあります。多くの学問は、社会にどう役立てるか、ビジネスにどううまく機能させるかを追求するものです。社会経験がないままで学問を続けても、机上の空論で終わってしまうことが多いものです。実際の現場を知って初めて、解決すべき課題や問題点が見えてきます。


 僕自身も、大人になってから、「もっとちゃんと数学とか物理とかを勉強しておけばよかったなあ」と何度も思ったのです。
 あらためて思い返してみると、学生時代は自分なりに一杯一杯だったような気もするのだけれど、「それが何の役に立つのか」がわかってから勉強すれば、モチベーションを高く維持できていたのではないか、と。

 でも、「あの時に勉強しておけばよかった」と後悔し続けるよりは、今からでも、少しずつ勉強しなおす、という手もあるのです。
 池上さんがNHKの記者だったとき、取材相手が自宅から出てくるのを待つ時間に、街灯で英会話や経済学の勉強をしていたそうです。
 その一方で、「自動車免許の学科試験に落ちたことがある」なんていう失敗談も告白されています。
 「問題が悪文だった」と、言い訳めいたことを仰っている往生際の悪さが、けっこう微笑ましくもあり。
 実は僕も一度落ちたことがあって、けっこうトラウマになっているので、これを読んで安心しました。いや、それで安心するなよ、って話なのですが。
 今は「博識でテレビにもたくさん出ており、教育にも熱心」というイメージの池上さんなのですが、若い頃は、飲み会に積極的に加わるようなタイプではなく、時間を見つけては勉強していたみたいです。
 
 ショウペンハウエルの『読書について』という本のなかから、こんな文章が紹介されています。

「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線を篇でたどるようなものである。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、ほっとした気持になるのも、そのためである。だが読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。そのため、時にはぼんやりと時間をつぶすことがあっても、ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く」(岩波文庫


 これは衝撃的でした。本を読めば読むほどバカになると書いてあります。要するにそういうことですよね。自分でものを考えることができなくなる、と。
「ああ、そうか」と思いました。ただひたすら本を読んでいればいいというものじゃないんだ、それでは自分の頭を「他人の思想の運動場」として貸しているだけなんだと気づかされたのです。


 こんなブログをやっていて、日々、義務的に「たくさんの本を消化すること」を続けている僕は、このショウペンハウエルの言葉に「そうだよなあ……」と頷かざるをえませんでした。
 最近、「自分にとって読みやすい本」や「時間がかからない本」を選んで読むことが多くなってしまって、「わからない本を悩みながら時間をかけて読む」ことが減っています。
 もちろん、「読みやすい本」にも新たな発見はあるのですが、「冊数を誇るための読書」というのは、かえって効率を悪くするのではないかと思うのです。
 そして、「読書家」と言われる人には、「読んで、せいぜい好き嫌いを語るくらいで、その内容について考えこまない人が少なからずいる」ような気がします。
 僕自身も、そうなってしまっている。


 ショウペンハウエルは、この文章の少しあとで、こう書いているそうです。

「食物をとりすぎれば胃を害し、全身をそこなう。精神的食物も、とりすぎればやはり、過剰による精神の窒息死を招きかねない。多読すればするほど、読まれたものは精神の中に、真の跡をとどめないのである。つまり精神は、たくさんのことを次々と重ねて書いた黒板のようになるのである。したがって読まれたものは反芻され熟慮されるまでに至らない。だが熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。それとは逆に、絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。しかし一般に精神的食物も、普通の食物と変わりはなく、摂取した量の五十分の一も栄養となればせいぜいで、残りは蒸発作用、呼吸作用その他によって消えうせる」(同)


 自分が他人の思想の運動場にならないようにするには、読んだ内容をそのまま受け取るのではなく、読んだ後、それを自分でしっかり考える、自分で本当にそうだろうかと考える時間が必要だということです。
 1冊の本を読み終わったら、すぐラインで「こんなの読んだぞ」とか、ツイッターで「話題の本を読み終えた」とかつぶやくのではなく、まずは、いま読んだ本について自分なりに考える時間をとってみることです。感動したのであればなぜ感動したのか、ちょっと違うなと思ったら何が違うんだろうかと考えてみる。読んだことが「精神の中に根をおろす」まで熟慮するのです。そういう時間が実はとても大事ではないかと思っています。


 読書についても、「インスタ映え」みたいな傾向があるのかもしれません。インスタ映え目的でも、いろんなことを経験してみるのは、けっして悪いことではないと僕は思うのですが、本の場合は、「読む」だけではなくて、「内容について考える」のが大事だというのは、肝に銘じておきます。
 じゃあ、読み終えた直後に「いま読んだ本に対して、考えてみよう!」としても、なかなかうまくいかないのだよなあ。
 後からふと「そういえば、あのとき読んだ本に、あんなことが書いてあったなあ」と断片的に思い出すくらいで良いのだろうか。

 そもそも人間とはどういう存在なのか。それを知っているか否かで大きな違いがあるのだということです。
 たとえば、授業中に生徒が「トイレに行きたい」と言ったとき、あなたが先生ならどう対応しますか。無条件で生徒を尊重して「それは大変だ。早く行ってきなさい」と言ったとしましょう。すると、「トイレに行きたい」という生徒がほかにも出てくるかもしれません。あなたは、一人に許可した以上、他の生徒にも許可しないわけにはいかなくなります。結果として、授業中にトイレに行く子が何人も出てきて、そのたびに授業が中断して、クラスは落ち着きを失ってしまいます。もっとひどくなると、今度は授業と関係のないことを生徒たちが勝手にやり始めるでしょう。授業中にトイレに行くのを認めた、そんな些細なことがきっかけで、ついには学級崩壊が起きてしまうことだってあるのです。
 では、どうしたらいいか。「トイレに行きたいなら行ってもいいけど、あくまで例外だよ。トイレは休み時間にちゃんと済ましておくんだよ」と言えばいい。原則と例外の区別を明確にしておくのです。そうすれば、授業中にトイレに行きたいと言う生徒が次々に出てくるようなことにはならないはずです。
 一人に許可すれば、ほかの子が「自分だって許可してもらえる」と思うのは自然なことです。もし許可しなければ、「なぜあいつは許可されたのに、自分はダメなんだ」と不満を持つ子が出てきます。平等に扱われていないと感じるのです。人間とはそういう捉え方をするものだと知っていれば、授業中トイレに行きたいと言う生徒に、無条件で「行っていいよ」と言うのは、決して賢明な指導法ではないことがわかると思います。


 なるほどなあ、というのと、なんのかんの言っても、池上さんは「勉強が好き」で、「学ぶことを楽しめる人」なんですよね。
 そう言ってしまうと、身も蓋もないのだけれど。


読書について 哲学文庫

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