琥珀色の戯言

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【読書感想】ワイルドサイドをほっつき歩け ──ハマータウンのおっさんたち ☆☆☆☆

ワイルドサイドをほっつき歩け --ハマータウンのおっさんたち

ワイルドサイドをほっつき歩け --ハマータウンのおっさんたち


Kindle版もあります。

EU離脱、競争激化社会、緊縮財政などの大問題に立ち上がり、人生という長い旅路を行く中高年への祝福に満ちたエッセイ21編。第2章は著者による、現代英国の世代、階級、酒事情ついての解説編。/「世界でいちばん愛すべきおっさんたち(&おばさんたち)が、ここにいる。あんたら、最高すぎるんだけど……」高橋源一郎(小説家)/「イギリスの市井の人の魅力を引き立てるブレイディさんの愛と観察眼と筆力に心を丸ごと持っていかれた。一編一編が人情に満ちた極上のドラマ!」ヤマザキマリ(漫画家/随筆家)/「高みからレッテル貼ってるだけじゃわからない、厄介で愛おしい人生たち!」ライムスター宇多丸(ラッパー/ラジオパーソナリティ

 著者のブレイディみかこさんは、この本の「あとがき」で、こう書いておられます。

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で青竹のようにフレッシュな少年たちについて書きながら、そのまったく同じ時期に、人生の苦汁をたっぷり吸い過ぎてメンマにようになったおっさんたちについて書く作業は、複眼的に英国について考える機会になった。


 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は僕が「ブレグジットBrexit」なんて言葉で、なんとなく知っているつもりになっていたイギリスでの人びとの生活を活写した本だったのですが、そこには「格差」や「貧困」とともに、「未来に希望を感じる子どもたちの姿」も描かれていたのです。


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 その一方で、彼らの親世代にあたる(そして、著者や僕の世代でもある)「ジェネレーションX」(1960年代初頭、または半ば(両説あり)から1980年までに生まれた人々)が、大きな時代の変化に戸惑いながらも、したたかに生き抜いている姿も印象に残ったんですよね。
 インターネットもグローバリズムも解さないし、それで問題ないと考えている親世代と、インターネットがあるのが当たり前の世界に生まれた子どもたちの世代に挟まれ、「家族」についての考え方が大きく変わっていくなかで、子ども時代の家族観と、現代の家族観の板挟みになっている「ジェネレーションX」。
 まあでも、中年世代、普通のおっさん、おばさんの話は、なかなか聞いてはもらえない。

 この本を読んでいると、イギリスでの容赦ない「格差」の広がりに驚かされるばかりです。
 2010年に保守党が政権を握ってから、緊縮財政が進められ、病院や学校の規模縮小や人員削減、公共の建物の閉鎖が行われているそうです。

 お金持ちの人々はこうした公共サービスを使っていないので、緊縮財政が大規模に行われようと痛くも痒くもない。彼らは病院も学校も私立のものを利用するし、福祉の助けも要らない。この政策の影響をモロに被ってしまうのは、いわゆる労働者階級、つまり我々である。
 わたしが住んでいる公営住宅地ひとつとっても、この八年間でのコミュニティーの変容には目を見張るばかりだ。まず、最初に潰れたのがわたしの職場であった無料託児所だった。潰れたっていうのは語弊があって、正確にはフードバンクになったのだが、このあたりのことは『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)という本に詳しく書いているのでここで語るつもりはない。で、その託児所のちょっと後に無くなったのはチルドレンズ・センターだった。
 チルドレンズ・センターというのは、前の労働党政権が全国で貧困率や失業率が特に高い地域を選んで建てた施設であり、育児教室や託児所、子ども健康相談室、メンタルヘルス相談室、無料の玩具レンタルサービス、カフェなどの様々なサービスを提供する、地域のハブのような役割も果たす場所でもあった。うちの地区にあった同センターも、こんな貧乏くさい街にどうしてこんなモダンな建物が立っちゃったかなというぐらい立派な施設で、界隈のさびれた風景から完全に浮き上がっていたが、保守党政権になったらあっさり閉鎖になった。その後、民間に売却され、いまはミドルクラス向けのマンションになっている。引き続き、ティーンがユースワーカーの人々と一緒にスポーツをやったり、ストリートダンスを習ったりできるユースセンターも閉鎖になった。
 そしていよいよ、最後の砦かと思われた図書館が閉鎖になった。マジで政府はこの貧民街を見捨てる気だな、と思った。


 貧しい人たちが勉強する、あるいは彼らの生活をサポートをするための施設が、「緊縮」で、どんどん削られ、格差はさらに開いていくのです。
 その一方で、このような「見捨てられた地域」には、昔ながらの隣近所を中心としたコミュニティが復活し、近所の子どもの面倒をみたり、治安を守るための自警団活動をしたりているところもあります。
 過酷な条件下でも、イギリスのおっさんたちの、人生を楽しんで生きていこうとしている姿には、読んでいて僕も勇気づけられるのですが、正直、ずっと真面目に働いてきたはずの彼らが、なんでこんなに肩身の狭い思いをしなければならないのだろう、とも思うんですよ。
 

 しかし、お上はこのような状況にあっても「閉鎖」という言葉は使わない。「図書サービスはコミュニティーセンター内に移転」などという姑息な表現で同センター内に図書室が設けられたかのようなことを吹聴したが、このコミュニティーセンターというのがまたしょぼくて小さな建物だ。しかも、半分は民間企業に売却されてフィットネスジムになりやがっている。あんな狭い施設のどこに図書館ができてるんだろうと行ってみれば、地元のお母さん、お父さんたちと乳児・幼児が使える子ども遊戯室の隅っこのおよそ六畳ぐらいのスペースに段ボールが並べられ、中には子ども向けの絵本が入っていて、脇のテーブルにデスクトップのコンピューターが一台。図書室というより、野外マーケットの古本市みたいだが、これがいまや貧民街で唯一の公共の図書サービスなのだ。
「愚民政策だな」とスティーヴは言った。
EU離脱投票のときは、労働者階級をバカだの無知だのさんざん言ったくせに、政府はさらに俺らの頭を悪くしようとしている」


 イギリスでは、緊縮財政のなか、NHS(国民保険サービス)の危機が叫ばれているのです。国にお金がないなかで、NHSを続けていくのは難しく、民間保険サービスへの切り替えが必要なのではないか、と唱える「有識者」も多いのです。
 その一方で、イギリスの労働者階級は、NHSを「最後の砦」としてなんとか守ろうとしています。

 福祉国家の縮小、をまさに体現しているのがNHSである。ブレグジット投票で離脱に票を投じた人びとの多くが、「離脱すれば、週3億5000万ポンド(約500億円)のEUへの拠出金を国内でNHSに投入することができる」という離脱派キャンペーンのデマを信じて離脱を選んだという事実が、英国の人々がどれほどNHSに愛着(執念にも似たほどの)を持っているかということを象徴している。


 イギリス人がEU離脱を選んだのは、移民政策への不満やドイツ・フランス主導の体制への疑問だけではなくて、自国の保険制度を守るため、という面もあったのです。
 実際は、これはデマだったわけで、本当に、ひどい話だとしか言いようがないのですが。

 僕はニュースや本で「イギリスの社会情勢」みたいなものを知っているつもりだったのですが、それは、あくまでも「ニュースを伝える側が選んだ情報」でしかないのです。
 実際にイギリスの労働階級のなかで生活している著者は、自分で見たこと、体験したことだけを書いていて、まさに「地に足の着いたイギリス」が伝わってきます。
 イギリスで「こんまり」ブームが起こっていたり、イギリスの「酒事情」が大きく変わっていたり、という情報は、なかなか日本では知ることができません。

 近年、英国ではパブじたいが激減している。若い世代がアルコールを飲まなくなったからだ。だから、多くのパブは店の半分をレストランにしたりして、食事を充実させることで生き残りを図っている。「英国人って、つまみも食べずにビールだけを何時間も飲むよね」と日本人観光客が驚いた時代はもう終わった。
 若い世代はそんな旧式の英国人のライフスタイルはとても不健康だと思っている。だから国全体でアルコール消費量が落ち、パブだけでなくライブハウスやクラブの数も減っている。ブライトンでも、ナイトクラブがオーガニック食品のスーパーになったり、パブがスムージー・バーになったりして、「ヘルシーはクールだ」な世相を露骨に反映しやがっている。ショーンが勤めていた倉庫だって潰れてフィットネスクラブになったというのだから、酔って寝ゲロを吐くようなおっさんの時代は終わったのである。


 若者のアルコール離れやヘルシー志向というのは、日本だけの話ではないのです。そして、肩身が狭そうにしながら、酒場で怪気炎をあげるおっさんたちの存在も。
 新型コロナウイルスの影響で、「飲み会文化」みたいなものも、さらに見直されていくのではないかと思いますし、僕みたいに「飲み会があまり得意ではないおっさん」もいるんですけどね。
 この本を読んでいると、どんどん居場所がなくなっているおっさんたちに、せめて酒くらい(身体を壊さない程度に)飲ませてやれよ、と言いたくなってくるのです。

 強面で人の話を聞かない、中年のおっさんたちが、なぜかとても愛すべき存在のように思えてくる、そんな本なんですよ。
 僕自身もおっさんなので、イギリスで頑張っているおっさんたちに乾杯したくなりました。


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