琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「死ぬくらいだったら、辞めればいいのに」

23歳女性教師が過労自殺
http://news.www.infoseek.co.jp/society/story/photo02mainichiF20061025k0000m040084000c/
詳しい内容については、↑の記事をご参照ください(この先生が書かれた「遺書」の写真も掲載されています)。

僕はこの記事を
http://nouilles.s25.xrea.com/a-news2.cgi?date=2006.10.26 (『冷麺王宮』(10/26))
↑のサイトで知ったのですけど、ここで藤子さんが、

真面目な先生だったらしい。痛ましい話だ。しかしいつでも辞められるのに死ぬことはあるまいのになあ。本人も幼すぎたのかな。やくみつるも、この人の遺書がガキっぽすぎるって批判してたしなあ。そこは若干同意するところ。

と書かれているのを読んで、僕はなんだかすごくもやもやしてしまったのです。いや、僕だって「死ぬくらいなら辞めればいいのに」ってずっと思っていたのだけれど、実際に仕事というのをやっていると、「辞める」っていうのは、一概に「死ぬより簡単」とも言いきれないような気がしてきて。

 以前、「ある小児科医の遺産」http://www5f.biglobe.ne.jp/~iyatsue/shounikaisan.htmというのを書いたことがあったのですが、多くの「現場で働いている人」は、いくら自分のコンディションが悪くても、そう簡単には投げ出せません。僕は病院で働いているので病院という職場のことしかよくわかりませんが、仮に僕が明日休んだら、外来を受診する患者さんはとりあえず薬だけ出すことにして後日受診しなおしていただくか、他の医者に代診してもらうかしかないわけです。しかしながら、他の医者も忙しいことはわかりきっているので、そう簡単に「オレ調子悪いからよろしく」というわけにはいかない。入院中の患者さんの診療もあるし、当直が入っていれば、誰かに替わってもらう必要があります。結局、どんなに調子が悪くても、「かえって休むほうが大変」だったりもするんですよね。
 多くの職場では、誰かが「休む」「辞める」というのは、他の人にとっては、さらに負担増を生むことになります。それは、そこがキツイ職場であればあるほど、「責任感」が強い人には辛いことのはずです。そして、そういう現場で頑張ってきたという自負心が強い人にとっては、一度でもそういう「失敗」で自分のキャリアに傷をつけてしまうと(実際は、みんなそのくらいの傷は抱えているのが普通なのかもしれないですが)、もう、「負け組確定」だと自分を追い込んでしまう面もあるのでしょう。
 僕自身も、「明日職場に行きたくない、このまま仕事辞めてしまおうか……」と悩んでいた時期がありました。もう10年くらい前、医者になって1年も経たない時期の話。もしあのとき、フォローしてくれる上司がいなかったり、ローテーションで他の病棟に逃げられるタイミングがあと1ヵ月遅かったりしたら、僕はどうなっていたかわからない、と今でも思います。実際に、そんなふうに追いつめられたときって、「辛い」「辞めたい」「もう消えてしまいたい」とかいうネガティブの渦に巻き込まれながらも、「でも、こういうのって、『誰もが通る道』なのではないか?」「それに適応できない自分のほうに問題があるのではないか?」「こうしているうちに、少しずつ慣れてきて、なんとかやれるようになるのではないか?」というふうに考えてしまうところもあったのです。正直なところ、仕事をやっていれば、多かれ少なかれ「辞めたい」と思うことはあるはずで、どのくらい辛ければ「本当に辞めてしまったほうがいいレベル」なのかって、自分ではよくわからないんですよね、きっと。そういうのって、スカウターで数値化できるようなものではないし。当事者は、「まだ大丈夫なはず」とか「みんなこのくらいは辛いはず」なのに「それに耐えられない自分に問題がある」と思い込んでしまいがち。「死ぬくらいなら辞めたらいい」って言うけど、どのくらいが「死ぬくらいの辛さ」なのかって、それこそ、実際に死のうとするときまでわからないんじゃないだろうか?
 結局、こういうのは、「運」とか「周りに理解、協力してくれる人がいるか」というのが大きな分岐点であって、本人の力ではどうしようもない面があるように、僕には感じられてしょうがないのです。そもそも、大学を卒業したばっかりの23歳が、そんなに「大人」なわけないよ。この先生だって、この壁をなんとか乗り越えることができていたら、「大人の」先生になれていた可能性は十分にあると思いますし。
 ただ、教育の現場というのは、どの若い先生もこんな感じのストレスにさらされているのかもしれないな、という気はします。この先生だけが「特別」だったのではなくて。「弱い人間をいちいち守ってやる余裕はない」ような職場で働きながら、子供たちに「弱者への思いやり」を教えなくてはならない立場だというのは、ものすごく悲しいことなのだろうけれども。

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