琥珀色の戯言

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江の生涯 ☆☆☆☆


江の生涯―徳川将軍家御台所の役割 (中公新書)

江の生涯―徳川将軍家御台所の役割 (中公新書)

内容(「BOOK」データベースより)
浅井三姉妹の末娘―江。その夫である徳川秀忠は恐妻の彼女に頭が上がらず、長男家光は母から愛されなかった、などと語られることが多い。しかし史料を丁寧に読み解くことで見えてきたのは、それとは違う江の姿である。両親を早くに失い、頼るべき縁を持たず、明日もわからぬ戦国の世をどのように生き抜いたのか。将軍家御台所として何を守ろうとしたのか。極端に少ない史料のあいだから、いま、江が語り始める。

今年のNHK大河ドラマの主人公・江。上野樹里さんが演じるこの女性のことを、僕はほとんど知りませんでした。
浅井三姉妹」といえば、長女で豊臣秀吉の側室となって秀頼を生んだ、淀君が有名ですが、三女・江は、徳川秀忠の正室となり、三代将軍・家光の生母となりました。
実は、この新書のなかで、著者は「家光は、江の実子ではない」という説を主張しておられるんですよね。
僕もこれを書く前に少しネットで検索できる範囲で調べてみたのですが、江は、自身が生んだとされる2人の男子のうちの家光に冷淡で、弟の忠長に優しかったといわれており、そんななかで、家光を支持し、世継の地位を守るために活躍したのが春日局、というのがよく知られている「歴史」のようです。
しかしながら、丁寧に資料を分析して書かれているこの本を読んでいると、「家光は江の実子ではなかった」可能性は十分あるのではないかという気がしてきます。
そのことに関しても、著者は誠実に資料をあたって、「家光が江の実子ではなかった」ことを証明しようとしていますし、「実子ではない子供を『天下を治める人間の責任として』サポートし、自分の子ども(忠長)をそれに従わせた」という点をもって、江の「御台所としての偉大さと、母親としての哀しみ」をアピールしています。
ただ、これはもう、決定的な証拠はなく(江の遺骨が残っているそうですから、DNA鑑定など行えば同定できる可能性がありますが、それはおそらく、誰も幸せにしないやりかたでしょう)、僕のなかでは、「家光は江の実子だったのかどうか?」というのは、「保留」にしています。
しかし、江という女性が「将軍家御台所」として、徳川幕府の安定に尽力したことは間違いありませんし、大坂の陣で、夫と義父が、実の姉とその息子を滅ぼすという悲劇のなか、それでも、自分の立場を粛々と守り続けたのですから、その功績は大きかったのではないかと思います。

この新書は、江の話というよりは、「戦国の世を生き抜いた、女性たちの物語」という印象が強かったのですが、織田信長によって滅ぼされた浅井長政の娘たちが、徳川将軍家の妻となり、将軍を生んだ、つまり、浅井長政の孫が将軍となった、というのは、血縁の不思議さを考えずにはいられません。
もちろんそれは、家光が江の実子でないとすれば、浅井長政からの縁も切れてしまうのですけど。

 江は上方女のプライドを心の奥に秘め、「ふくさ」(温和で優しい人)に生きる道を選んだのである。刀を帯し、いつ武力を行使するかわからない男たちの前で、当時の女たちが生きるためにとった止むを得ない選択であり、それが賢く生き延びるための最善の策でもあったろう。
 その結果、江の生涯は、家光を疎んじ、忠長を鍾藍したと伝聞される以外は、目立つこともなく地味に過ぎていったが、徳川将軍御台所のなかで唯一人、将軍の生母として尊敬され、死後においても歴代将軍の正室・側室のなかで三十三回忌が行われたのは江だけであった(山本梨加「幕藩体制下における将軍の御成」)。延宝三年(1675)9月には五十回忌法会も営まれている。江は、女性像の大きな転換点において「ふくさ」な女性として生きる道を選ぶことで、将軍家御台所としての大きな足跡を残すことができたのである。

もともと、当時の資料には「女性」について書かれているものがあまりに少なく、この新書のなかでも、「実際に江が行ったこと」「江の性格・人物像」については、あまり触れられていません。
これを読んでも「私的な場での江は、どんな女性だったのか?」というのは、わからないんですよね。
それでも、いくら偉かったからといって、嫌われていたり、軽んじられていたりする人のために「三十三回忌」や「五十回忌」が行われるとは考え難いので、江は、その血統的なインパクトも含めて、当時の人たちに「丁重に扱われていた」のは間違いないようです。

しかし、「天下のためには、自分が生んだ子どもを贔屓するわけにはいかない」のが「天下人の宿命」であるとするならば、天下人というのは、なんと悲しい存在なのだろう、とは考えてしまいますね。

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