琥珀色の戯言

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【読書感想】鎌倉幕府と室町幕府 最新研究でわかった実像 ☆☆☆


Kindle版もあります。

鎌倉幕府が滅亡したのは偶然が重なり合った結果だった。
あるいは室町幕府応仁の乱ののちも存在感を発揮し続けていた――
いずれも、近年の日本史研究で議論されている論点であり、
従来の日本史の常識を覆す研究が次々と発表されている。
本書では、新進気鋭の中世史研究者たちが、
それら最新の学説をまとめて二つの幕府の実像を明らかにする。
巻末には、どちらの幕府が強かったかを議論する執筆者の座談会を収録。
中世史ブームに一石を投じる、すべての歴史愛好家注目の一冊。


 2016年10月に上梓された新書『応仁の乱』がベストセラーになったときには、僕もけっこう驚いたのです。
 NHK大河ドラマでも、「戦国武将もの」がいちばん人気があって、幕末・明治維新は不人気、それ以外の時代のものは源平合戦か『太平記』が採りあげられることがあるくらいでした。
 誰もがその歴史的な出来事につけられた名称は知っていて、「人の世むなし(1467)応仁の乱」と、年号は覚えているけれど、どんな出来事だったか、とにかくややこしかったこと以外は記憶にない『応仁の乱』。だからこそ、実際はどんな争いだったのか、と、あらためて興味を持った人が多かったのかもしれません。

 とはいえ、応仁の乱でも今から550年、鎌倉時代の初期であれば、800年以上も昔のことだし、今さら新しい知見なんてないだろう、と思ってしまうのですが、この新書に寄稿している1980年代生まれの中堅研究者たちは、室町幕府が最近の歴史学者に注目されていると述べています。

 今、室町幕府が熱い。
 室町幕府といえば、日本史のなかでいえば、マイナーで、耳慣れない存在のはずだった。だが2010年代の後半から、応仁の乱観応の擾乱中先代の乱など室町時代を扱った新書がヒットし、室町幕府・足利氏についての概説書や、室町時代を舞台にするマンガも数多く出るようになった。空前の室町ブームが訪れているのだ。
 しかしこれは、決して根無し草のバブル現象ではない。実はこれに先立つ2000年代前半から、日本史研究者の中で、研究の上での室町ブームが起こっていたのである。学界での室町ブームにおいては、当時の若手研究者が次々と清新な論文を発表し、先行研究を塗り替えていった。現在の一般書などにおける室町ブームの基礎に、学界での室町ブームの成果があるのだ。それは若い研究者たちの熱い時代であった。
 筆者たち四人はいずれも1980年代生まれであり、学界での室町ブームを担った世代の最末、ないしその次の世代に属する。かつての学界での室町ブームの熱を、一般の読者のみなさま、そしてさらに次の世代に伝えたい──われらはそう願い、本書を執筆しようと思い立った。
 本書では近年(ここ20年程度)の室町ブームの達成と課題を明らかにするため、先行する武家政権である鎌倉幕府とあえて比較し、両者の特徴を浮き彫りにする手法を取る。


 新書『応仁の乱』で「室町ブーム」が起こったわけではなく、それ以前に、日本史の学界では「室町時代研究の盛り上がり」があったのです。
 あの新書『応仁の乱』も、その流れに乗って世に出て、学者ではない歴史好きの一般の人たちに支持された、という流れだったのです(「学界側」からみれば)。

 鎌倉幕府は、東国の武士たちによる政権で、承久の乱以降はとくに北条氏の力が強く、天皇家を抑えていた、という印象です。
 室町幕府は、三代将軍義満が没してからは、将軍家の力は弱く、各地の守護大名が強大化していった、というのが僕のイメージでした。

 しかしながら、著者たちは、武家政権と思われがちな鎌倉幕府も京都の皇室の意向を軽視はできず、「弱体化」しながらも250年続いた室町時代の「将軍」には、幕府衰亡期にも一定の影響力があったのではないかと考えているのです。

 そういえば、NHK大河ドラマ麒麟がくる』でも、織田信長の家臣であるのと同時に、将軍家にも仕えている、という明智光秀の立場が、これまでのドラマよりも強調されていました。

 近年の歴史学というのは、「マルクス史観」の影響が薄れてきた影響もあるのか、「歴史とは権力が移り変わるのが必然なのだ」という「大局的」な観点から、当時生きていた人々の実感に寄り添った見方をするようになってきているのです。

 たとえば、鎌倉時代、幕府が朝廷の動向に目を光らせ、「支配」していた、というイメージに対して、こんなエピソードが紹介されています。

 幕府の介入を呼び込もうとする動きはほかの分野にもあった。意外な事例として、勅撰和歌集の編纂についてとりあげたい。平安時代の「古今和歌集」以来、公家政権は勅撰和歌集を代々編纂しており、その権威を示す一大事業となっていった。また、編纂を担う撰者の地位はたいへんな名誉とされ、歌人たちのあいだで熾烈な競争がなされた。その争いに幕府までもが巻き込まれかけたのが、「玉葉和歌集」(正和元年〔1312〕成立)の編纂である。
 当時、二条家、京極家、冷泉家など、藤原定家の子孫たちの歌道家が撰者の地位をめぐって争っていた。「玉葉和歌集」の撰者は京極為兼ひとりとなったため、他の家が猛反発する。冷泉為相は、貴族ながら鎌倉幕府に仕えていた(関東祗候廷臣)ため、そのコネをつかって鎌倉幕府要人に工作して介入をうながし、将軍の和歌の師範だった二条為世も鎌倉に使者を派遣して運動した。このとき為世は、「朝廷の政務の乱れを幕府が諫めて正すのは慣例である」と主張し、幕府が口出しすることを正当化しようとしている。もっともこれらの工作に幕府およびその周辺が動いた形跡はないのだが、京極為兼とその後ろ盾である伏見上皇は幕府に使者を送り、「そちらにお任せします」という消極的承認をとりつけざるをえなくなった。
 鎌倉期のほかの勅撰集では幕府の関与は基本的に見られず、幕府が和歌の世界に進出し文化支配を強めようとしたわけではなさそうである。これは、歌道家間の力が拮抗し公家政権内で収拾がつかなかったがゆえの現象と見られる。
 この事例から、幕府の介入への依存が天皇家摂関家、大寺社などだけではなく、広いレベルまで及んでいたことが推測される。特に、一方がコネを使って幕府の介入を得ようとすると、それに対抗するものが幕府と関係なくとも、介入を防ぐため幕府の承認を得ざるをえなくなる構図が浮かび上がってくる。


 幕府が朝廷のあらゆることに積極的に干渉しようとしたわけではなく、朝廷内での権力争いのなかで、幕府の力を利用しようとする者たちが少なからずいた、ということなのです。
 幕府にとっては、「そのくらいのこと、あるいは幕府にとって専門外のことは、そっちでやってくれればいいのに」ということまで、持ち込まれてきていた面もあるようです。

 僕が学生時代に授業で習ったり、本で読んだりしてきた「歴史が動いた理由」についても、その後の研究でアップデートされつづけているのです。

「いい国(1192)つくろう、鎌倉幕府」と教えられていた幕府創設の年は、いまの学生たちには「いい箱(1185)」になっています。

 では、なぜ鎌倉幕府は滅びたのであろうか。この問いに答えるのは、とても難しい。
 よく言われる滅亡の原因は、蒙古襲来(元寇)の恩賞問題と、永仁の徳政令(1297)である。

・蒙古襲来(1274、1281)での戦功に対して恩賞が出せず、御家人たちが不満をもった。

御家人たちの借金を帳消しにする永仁の徳政令により、御家人への融資が渋られるようになり、むしろ逆効果だった。徳政令はすぐに撤回され、幕府の信用が失われた。


 これらの失政で幕府の支配は動揺し、御家人から愛想をつかされ離反を招いたという説明は、現在の教科書類にも載せられており、まだ一定の影響力を保持しているのが、現代歴史学の場ではほぼ顧みられることはない。なぜならば研究が進み以下のように認識が改まったからである。


・幕府は苦慮しながらも蒙古襲来の恩賞給与に尽力していた。武士たちが不満をもったという史料的証拠も特にない。

・徳政令の社会的・民俗的背景が解明され、一時的な効力の気まぐれな法令ではなかったことが判明した。徳政令が撤回されたというのも誤解である。御家人への融資が渋られるようになったという点も根拠がなく、江戸時代の棄捐令(江戸幕府による旗本御家人の借金取り消し令)などからの類推にすぎない。


 そもそも、両方とも13世紀後半のできごとであり、そこから鎌倉幕府が滅亡した1333年までは遠く、滅亡の原因を直接説明するものとはいいにくい。
 問題は、13世紀末からの鎌倉幕府─すなわち、9代執権の貞時の時代(1284ー1311)と14代執権の北条高時の時代(1311ー1333)をどう評価するかという点にある。


 近年は、「鎌倉幕府は全盛期のなかで突如滅亡したというのがおおよその学界の共通認識になっている」そうなのです。
 北条高時は遊興にふけった暗愚な権力者だとみなされがちなのですが、それも「滅ぼした側からの後付けのイメージ操作」ではないか、と。
 
 そして、結局のところ、「なぜ鎌倉幕府は突如滅亡したのか?」という問いへの研究者たちの現時点での答えは、「わからない」なのだそうです。
 これはこれで、すごく真摯な態度ではないか、と僕は思いますし、結局のところ、「なぜ本能寺で明智光秀織田信長を襲ったのか」も、諸説あるものの、その理由はわからないのです。

 正直、「少し歴史に興味がある」ということで読み始めると、けっこう専門的な内容で、面食らってしまうかもしれません。
 けっして「読みやすい」とは言えませんし、それなりに、鎌倉時代室町時代の基礎知識がないと、何が「新しい」のかもわかりづらい。
 タイトル通り、ではありますし、「新書だし、あんまり難しいことや専門的なことは避けて、とにかくわかりやすく、簡略化してしまおう」という妥協をしていない真摯な内容ではあるんですけどね。
 最近の新書でとりあげられている歴史に関するテーマをみると、「歴史マニア」は僕が思っているよりもずっと多くて、このくらい歯ごたえがあるものを望んでいる人も少なくないのかもしれません。


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