琥珀色の戯言

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ルパン三世 ☆☆



あらすじ
絶対に破られることがないという屈指のセキュリティーシステムが敷かれている超巨大要塞型金庫、ナヴァロンの箱舟。手にした者は世界を支配できると伝えられる秘宝クリムゾンハート・オブ・クレオパトラがそこに収蔵されているのを知ったルパン三世小栗旬)は、天才怪盗として強奪不可能をうたったセキュリティーを突破してやろうと決意。銭形警部(浅野忠信)の追跡をかわしながら、仲間である次元大介玉山鉄二)、石川五ェ門綾野剛)と秘宝強奪計画を進めていく。

参考リンク(1):映画『ルパン三世』公式サイト


参考リンク(2):超映画批評『ルパン三世』3点(100点満点)


 なにかと話題の映画『ルパン三世』。
 毎月1日のサービスデーに鑑賞。観客は10人くらいでした。
 僕が観たのは平日の夕食時間の回だったのですが、レイトショーは、もう少し賑わっていたようです。
 ネットで観たかぎりでは、「参考リンク(2)」のような、けっこうネガティブな評価が多かったのですけど、それはそれでけっこう気になるんですよね。
 僕はけっこうアニメの実写化映画を観るのは好きなのです。観て満足できるかは別として。
 「超映画批評」で、『デビルマン』『ガッチャマン』と並び称される(?)低評価を得たこの映画、なるべく期待値を下げておいて、上映スタートを見守りました。


 この映画、なんだかやたらとあわただしく東南アジア各国をルパン一味が巡り、アジア系の新キャラがたくさん出てくるという、「アジア圏での公開」を意識しまくったのではないかと思われるストーリーになっていたのが印象的でした。
 名所観光映画かよ!
 いつ、サラ・ブライトマンさんが歌いだすのかと、気が気じゃなかったですよ本当に。


 この映画を観ていて、ずっと感じていたのは、「ああ、北村龍平監督はマンガやアニメの『ルパン三世』を、原作に忠実に実写映画化しようとしたわけではなくて、『ルパン三世』という有名作品を下敷きにして、「北村龍平のアクション映画」を撮りたかったんだろうな、ということでした。


 でもそこには「『ルパン三世』であるからには、それらしいキャラクターのセリフや名場面っぽいやつを入れなければならない」という制約も生まれてしまうわけです。
 しかも、営業上の「東南アジア戦略」のために、各国のシーンや役者さんに、それぞれ見せ場もつくらなくてはなりません。


 いやほんと、「お金をかけて映画をつくる」って、大変なことなのだなあ、と。
 そして、『ルパン三世』を観ると、あの「中国向け全編広告」の『トランスフォーマー/ロストエイジ』って、けっこういろいろと「うまくやっていた」のだなあ、と感じました。
 『トランスフォーマー』は、「宣伝もするし、ちょっと不自然なシーンも見せるけど、ちゃんとその分お金もかけて、観客にサービスするからね!」という映画なんですよね。その善悪はさておき。
 それに比べて、『ルパン三世』は、「ごめん、ほんとごめん。俺たちお金ないからさあ、このくらいあちこちにお願いして、やっとこんなもんなんだよね。でもさ、そういうふうにしないと、映画撮れないからさ。ごめんね〜」って。


 この映画は『STAND BY ME ドラえもん』と同じ失敗をしているように、僕には感じられました。
 すなわち、いちいち説明しなくて良いことまで説明しようとして、かえって「原作を知っているであろう、大勢の観客」に、薄っぺらい印象を与えてしまっているんですよね。
 前半で、次元と石川五右衛門がルパンの「仲間」になる場面が描かれるのですが、「その場にいた初対面の次元と、なんとなく気が合いそうだったから仲間になった」とか、「高額月給で神社にいた石川五右衛門をスカウト」とかで、何のドラマもないんです、これ。
 うーむ、「映画のシーンというのは、それぞれ、なんらかの意図がある」はずなんだけれども、これって、「状況説明以上の何の含みもない場面」だよなあ。
 こんな中途半端な「仲間になったシーン」を描くくらいなら、いっそのこと、最初から仲間だったことにしてしまったほうが、かえってスッキリすると思うんだけど。
 観客の多くは、ルパン、次元、五右衛門の関係を「熟知」しているわけだし。
 あるいは、この「仲間になるまでのプロセス」を丹念に描いて、一本の映画にしても良いんじゃないかな。
 この実写版『ルパン三世』は、とにかく「中途半端」なんですよ。
 こういう「かえって興醒めな説明シーン」が多い一方で、あるシーンではすごく説明不足だったり、唐突なストーリー展開に付き合わされたり。
 いきなりハッカーが出てきて云々、みたいなのは、21世紀初頭のB級ハリウッド映画みたい……レーザーへの侵入シーンも、あれだけもったいぶったわりには、面白くないし。
 『バイオハザード』のレーザー賽の目攻撃みたいな見せ場もなし。


「仲間思い」のはずなのに、大切な仲間がやられても、案外あっさりと「しょうがないなモード」に入ってしまうルパン、なぜか格闘シーン満載で、『エクスペンダブルズ』+『バイオハザード』みたいになってるし……やたらと「本当は身内だった!」みたいな話があとから出てくるご都合主義も、なんだかねえ。
 敵に魅力が無いのもつらい。


 個人的に、もっとも「なんじゃこりゃ」と思ったのが、銭形警部の腰抜けっぷり。
 僕はとっつあんの「融通がきかず、不器用なんだけど、筋はキッチリと通さないと気が済まないところ」が好きなんですよ。
 それが、ルパンに初対面で「取引しよう」ですよ。
カリオストロの城』でのルパンと銭形の束の間の協力がすごく印象的なのは「よっぽどのことが無いと、銭形はそういうことはしない男」だと、みんな思っているからなのに。
 浅野忠信さんも、どう演じていいか、ずっと困惑しているように見えました。
 なんか、『SMAP×SMAP』のコントを、豪華キャスト+壮大なスケールでやった映画という感じ。


 こんなの『ルパン三世』じゃないだろ!と毒づきつつ観ていたのですが、観ながら、ふと考えたのです。
「じゃあ僕は、どんな映画だったら、『ルパンらしい』と思ったのだろう?」って。
 これって、実に難しい。
 『ルパン三世』は、コミカルな回もあれば、シリアス、ハードボイルドの回もあり、ドラマチックな回もある作品です。ルパン自身にも、いろんな面がある。
 逆に言えば、「ルパンファミリー」+銭形警部が出てくれば、なんでも『ルパン三世』だと言えなくもない。


 巨匠・宮崎駿さんの初監督作品が『ルパン三世/カリオストロの城」であることは、よく知られています。
ルパン三世』というと、『カリオストロの城』を思い出す方も多いはず。
 でも、『カリオストロの城』って、「典型的なルパン」じゃないんですよね。


NHK-BSの「BSアニメ夜話」という番組のなかで、唐沢俊一さんが、『カリオストロの城』に関して、こんな発言をされています。

唐沢俊一この作品を語るときには、絶対にその前に、宮崎駿という人間は本当に無名っていうかね、よっぽどのアニメ好きでないと名前を覚えられていなかった、宮崎駿の名前は、あのコレ(『カリオストロの城』)でどんと出たんだけれども。実はその前に『未来少年コナン』という、NHKでやっていた作品があって、それで、そのファンたちがもっと宮崎駿を見たいと。あの、その後(『未来少年コナン』の後番組)で始まっちゃったのが『キャプテン・フューチャー』だったから。その宮崎駿の、あのコナンをもういっぺん観たいというような声に応えて、その『コナン』を作っちゃった。だから、そのルパンファンは、特に最初のファースト・ルパンの、特に前半の大隈正秋演出のルパンが好きだった人間とか、あるいはモンキー・パンチの原作が好きだったルパンファンにとっては、これは、もうルパンではない、と。女の子を抱かないルパン、最後にキスをおでこにするだけで帰るルパンは、これは原作を否定しているじゃないか、という声があったんです。


 『ルパン三世』というのは、切り口を変えれば、どんな話にでもできるところがあるのです。
 この実写映画版の『ルパン三世』の最大の問題は「『ルパン三世』らしくないところ」だと感じてしまうのだけど、実際は「どこかで見たことがあるようなシーンをツギハギした、ありきたりのアクション映画にしかなっていないから、面白くない」のではないかなあ。
 むしろ、『ルパン三世』のおなじみのキャラクターが登場してきて、「またつまらぬものを斬ってしまった……」とかときどき言ってくれるから、なんとか2時間以上も観ていられるのです。
 『ルパン三世』なのにつまらない、というより、『ルパン三世』であることによって、面白さが(少しは)底上げされているのだよねえ……きっついなこれは。
 若干寝不足だったとはいえ、僕は観ながら何度も大あくびをしてしまいました。


 レンタルDVDで、缶ビール片手に「こんなのルパンじゃない!」とか悪態をつきながら観るのが、いちばんこの映画を楽しむ方法なのではないかと思います。

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