琥珀色の戯言

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【読書感想】棋士という人生: 傑作将棋アンソロジー ☆☆☆☆

内容紹介
吹けば飛ぶような駒に人生を賭けた者たち。日々盤面に向かう彼らは何を追い求めるのか。大山康晴升田幸三中原誠ら往年の大棋士たちの横顔、才能空しく脚光を浴びずに消えた悲運の棋士の肖像、孤独に戦い続ける若手棋士の苦悩……作家、記者、そして棋士自身が綴った文章の中から二十余の名品を精選。将棋指しという職業の哀歓、将棋という遊戯の深遠さを写し出すアンソロジー。


『聖の青春』『将棋の子』などの将棋・棋士に関する著書も多い大崎善生さんが選んだ「将棋アンソロジー」。
 棋士が書いた観戦記もあれば、棋士の人となりや思い出を描いたものもあり、また、将棋が小道具として使われている作品もあります。

 十年前に三段リーグに入ったとき、僕はベテランの三段たちを思い切り見下していた。
 年齢制限が迫っても三段リーグに在籍しているということは、弱い三段の証明であって、彼らは自分の踏み台、養分になるべき存在と思っていた。
 その不遜な考えが、恐ろしいブーメランになって僕に跳ね返ってきた。それはいわゆる「天罰」のようなものだった。
 参加三十三人のうち、最年長として迎えた三段リーグ。僕は勝負を度外視して将棋を楽しんでいた。
 結果は、前半を終わったところで一勝八敗。そして迎えた十局目、同じ一勝八敗と苦戦していた大橋貴洸君にも敗れた瞬間、僕の奨励会退会が確定した。

 沼春雄五段と桐谷広人五段。
 知らない人が多いのではないか。今回は無名のライバル物語。沼40歳、桐谷39歳。この年齢にしてまだC級2組にいる。次々に強い若い人たちが入ってくる入り口にいて、彼らが50数人もいるこの組から上へ抜けられる可能性は年々小さくなる。C級2組は四段クラス。いわば将棋界の底辺だ。谷川ら若い俊秀たちはここをただの階段の一つとして、すいと抜けていった。ただの踏み台だった。しかし、普通の棋士にとって、ここを抜けるのがどれほど困難なことか。抜ける人よりも、ここにずっととどまる人の方がずっと多いのである。


 将棋の世界は厳しい。
 もともと「天才」たちが奨励会に入ってくるのに、そのなかでさらに競争があり、プロ棋士になれるのは、ごくひとにぎり。
 さらに、プロ棋士になっても、名人戦の挑戦者を決定するA級に上がれたり、タイトルに手が届くのは、その選ばれた人のなかの一部でしかないのです。
 すごい勢いで駆け上がっていく若手棋士がいれば、ずっとその「踏み台」にされるベテランもいる。
 彼らも、「天才」とうたわれて、プロ棋士の座にたどり着いたはずなのに。
 40歳くらいになってしまえば、これから急激に強くなって、名人や竜王に上り詰める可能性は低いでしょう。だからといって、とりあえずプロになって、なんとか食べられている将棋から離れて、違う仕事を探す、というわけにもいかないし。


 夭折された芹沢博文さんについて言及した文章や、芹沢さん自身が書いたものも収録されています。
 芹沢さんは、中原誠さんの兄弟子で、才能は中原さんをしのぐ、とも言われていたそうなのですが、さまざまな「将棋以外のこと」に夢中になり、「いろんなところに不義理もして」51歳で亡くなられました。
 この本のなかで、本人が書かれたものや周囲の人の言葉を読むと、才能や人柄を惜しまれつつも、棋士として生きていくには多才すぎたのかなあ、なんて考えてもしまうのです。
 その芹沢さんが書いた文章より。

 あるときの鞄持ち旅行で、私は木村名人の機嫌のいいころあいをみはからって、「将棋が強くなるにはどうすればいいんでしょう」とたずねてみた。一瞬、名人はあきれたような顔をし、やがて笑いながら応えてくれた。
「将棋が強くなるにはだねえ、まず酒が好きなこと。次ぎに女が好きなこと。そして、バクチが好きなこと。根っからこの三つが好きなら、最低でも八段にはなれる」
 ひとを小バカにしたような答が返ってきた。でも、みんな私の好きなもの、自信のあるものばっかりだ。三道楽で八段になれるなら、こんなに楽なことはない。これが本当なら、私はあすにも八段だ。
「ノム」「ウツ」「カウ」の三拍子がそろったら、どんな人間でも金欠病にかかる。病気を治すには金を稼ぐしかない。稼ぐにはどうするか。自分の本業に精を出すしか道はない。将棋なら将棋の道に励み、勝って稼ぐしかない。
 負けられないと思えば、精神を集中してなんどでも読みなおすはずだ。その一生懸命さのつみかさねが、やがて将棋を強くする。すなわち八段も夢ではない。——これが木村名人に教えられたことだった。さすがに名人の教えはひと味違っていた。


 たぶん、これは今では当てはまらない「教え」ではないかと思うのですが……
 こういう「豪快な勝負師たちの時代」には、なんともいえないロマンがありますよね。
 
 ちなみに、このアンソロジーのなかには、村上春樹さんの『床屋で肩こりについて考える』という文章も収録されていて、村上さんに将棋のことを書いた作品があったのか、と僕は驚いてしまいました。
 「将棋の話がメインの作品」では、ないんですけどね。


 この本を読んであらためて考えさせられたのは、ある詰将棋についての話でした。
 僕も久しぶりに紹介されている詰将棋を解いてみたのですが、この「7手詰め」がなかなか解けない。
 小学校高学年くらい、僕がもっとも将棋にハマっていた時期だったら、5分で解けたはずなのに!
 で、結局解けずに、無念……と思いながら、そのエッセイの最後に書かれている「解答」を読んで、なんだか脱力してしまいました。
 そうか、そうだよな。歩を打って詰ませる(打ち歩詰め)というのは反則だから……と思っていたのだけれど、それなら、こうするしかないなあ、と。
 飛車や角のような大駒は、成ると動ける範囲が広がってより強力になるのだから、成るのが当たり前……なんだけど、詰将棋には、そういう「こちら側の先入観」や「常識」を逆手にとったものがあるのです。
 パズルみたいなものなんだけれど、この問題から、「先入観を、常識を疑え!」という、作者のメッセージみたいなものを感じることができるのです。
 将棋って、本当に奥が深い。
 たぶん、コンピュータであれば、すべての可能性をスクリーニングして、一瞬のうちに答えを出してしまうのだろうけど。


将棋の子 (講談社文庫)

将棋の子 (講談社文庫)

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