琥珀色の戯言

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【映画感想】聖の青春 ☆☆☆☆

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あらすじ
幼少期から難病を患う村山聖は、入退院を繰り返す中で将棋と出会い、15歳で森信雄に師事する。10年後、名人になる夢をかなえるべく上京した聖(松山ケンイチ)は周囲に支えられながら将棋に全力を注ぎ、七段に昇段したころ、同世代で名人のタイトルを獲得した羽生善治に激しいライバル心を抱く。さらに将棋に没頭する聖だったが、がんが彼の体をむしばんでおり……。

satoshi-movie.jp


2016年21作目の映画館での観賞。
祝日前の平日の夕方からの回で、通常料金。観客は30人くらいでした。


観ながら、「星野源よ、これが本物の『プロの独身』だ!」とか、ちょっと失礼なことを考えたりしていたんですよね。
僕は原作の『聖の青春』が大好きで、何度か読み返しているのですが、松山ケンイチさんの村山聖の説得力もすごかった。
こういう映画って、夭折した天才をどうしても美化しがちだと思うのですが、この『聖の青春』の村山聖には、観ていて「ちょっとは空気読めよ、いくら重い病気だからってさ……」と言いたくなるような場面も少なからずあります。
原作では、エゴイスティックな勝負師であるのと同時に、母親や師匠との関係など、村山聖という人間の「どうしようもなさ」と同時に、「かわいげ」というか「愛嬌」みたいなものももう少し丁寧に描かれているのですが、どうしても時間に限りのある2時間の映画だと、こういうふうに「羽生善治さんとのライバル物語」みたいなものに落とし込まないといけないのだろうなあ。


この映画を観ていると、「実在の人物を映画にすること」の難しさを考えずにはいられないのです。
村山聖さんは1998年に亡くなられているのですが、関係者は羽生さん、師匠の森信雄さんなど多くの方が存命で、現在も活躍されています。
この映画、伝記なのだけれど、一部にフィクションのエピソードが描かれており、それについては、作品の最後で、ちゃんと断り書きも表示されているのです。
ただ、そういう「一部フィクション」で描かれてしまうと「どこが嘘のところなんだ?」というのが、僕にはすごく気になってしまうんですよ。
いちおうわかる範囲で書いておくと、「伝説の7五飛」を指したのは、羽生さんとの対局ではあったけれど、タイトル戦ではなかったこと、そして、羽生さんとの「サシ」の場面は、実際になかったこと、など。
いや、気持ちはわかる。映画としても、村山さんと羽生さんが直接絡む場面があったほうが「絵になる」だろうし、舞台設定も含めて、かなり印象的なシーンなんですよ。
羽生さんも「そんな機会があれば、よかったんだけど」と思ったかもしれません。


でも、「実際にはなかったこと」なんだよね。
物語の大部分は「ノンフィクション」であるだけに、もともと、そんなに過剰な装飾をせずに描かれている作品だけに、中途半端な嘘は入れないほうが良かったのではなかろうか。
ほんの少しの「演出」のために、なんだか、全部嘘っぽく感じてしまう。
ただ、「全部本当のこと、わかっていることだけにしたら、それはもうエンターテインメントではなくて、ドキュメンタリーだろう」と言われてみれば、そうなのかもしれないな、とは思うのです。
うーん、難しいよね、それはすごく。


あと、将棋というのは、「妙手」や「悪手」を描くのがすごく難しい題材だなあ、と。
スポーツドラマであれば、野球ならボールを遠くに飛ばす、あるいはバッターが空振りする。サッカーならゴールを決める、その他のスポーツでも、観客が大歓声をあげる、などで「スーパープレイ」を表現することができるのだけれど、将棋の場合は、密室で棋士二人がなるべく感情を表に出さないようにして向き合っているわけです。
いま差しているのが「良い手」なのか「大落手」なのかは、将棋を知らない人がみていても、よくわからない。
そこは対局室以外を見せることや羽生さん役の東出昌大さんの反応で「伝える」ようにしているのだけれど、ことの重大さは観客には伝わりにくいよなあ、と。
この映画をみながら、昔、なんて大げさなリアクションなんだ!と笑っていた『ミスター味っ子』の審査員のリアクションというのは、「味」という見えないものを読者に伝えるための工夫だったんだな、ということがわかったのです。
いや、あれはさすがに「やりすぎ」で、でもそれがあのマンガの個性になっていたのも事実なんだけれども。


そもそも、奨励会のシステムとか順位戦の制度とかを知らないと、あの緊張感の意味はわからない。
僕は原作を読んでいますし、将棋についてもそれなりの知識があるので、わからないところはなかったのですが、将棋やプロ棋士の世界のシステムについて全く知らない人がみたら、おそらく「なんでこの人たちは、こんなに必死なの?この勝負、どっちが勝ってるの?」って置いて行かれるんじゃないかと。
それを説明しようとしたら、それだけで1時間くらいはかかるし、そのあたりを説明するよりも伝わりやすくするために、「羽生善治」という将棋にあまり興味がない人でも認識している「アイコン」を柱に据えた、ということなんでしょうね。
途中、ストーリーと関係ないような「平凡な日常のイメージ映像」が挿入されるのも、あんまり効果的だとは言えないというか、単に「何か意味あるの?」と疑問でした。
あと、東出昌大さんの羽生善治は、「本人出演?」と思ってしまうくらい絵的には若い頃の羽生さんに似ているのですが、映像でみていると本物の羽生さんは「オーラ」が出ていて、「演じる」というのは見た目だけではないのだなあ、と感じました。
松山ケンイチさんの村山聖は、見た目はともかく「ああ、こういう人だったんだな」と思ったんですよ。


原作を読んでいないと、理解するのはちょっと難しいのだけれど、原作を読んでいると、「映画で省かれてしまったところ」「変えられてしまったところ」を指摘したくなる。
フィクションであれば「新たな解釈」で受け入れられるのかもしれないけれど、そうじゃないからなあ……
原作好き、あるいは松山ケンイチさんのファンであれば、松ケンの村山聖だけで観る価値はあると思います。
将棋以外のことに関しては、かなり「困った人」であり、長生きしていたらみんなに迷惑がられていたんじゃないか、とか考えてしまうのですが、村山聖の「勝つこと、名人になること」に純粋に向かっていった姿は、たまらなく魅力的でもあるのです。
僕は村山さんの1.5倍くらいの時間を生きているけれど、なんだか、そんなに生きて申し訳ないような気がしてきました。
できれば、原作を読んでから観てほしいなあ。


fujipon.hatenadiary.com

聖の青春 (角川文庫)

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