琥珀色の戯言

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【映画感想】この世界の片隅に ☆☆☆☆☆

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あらすじ
1944年広島。18歳のすずは、顔も見たことのない若者と結婚し、生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。それまで得意な絵を描いてばかりだった彼女は、一転して一家を支える主婦に。創意工夫を凝らしながら食糧難を乗り越え、毎日の食卓を作り出す。やがて戦争は激しくなり、日本海軍の要となっている呉はアメリカ軍によるすさまじい空襲にさらされ、数多くの軍艦が燃え上がり、町並みも破壊されていく。そんな状況でも懸命に生きていくすずだったが、ついに1945年8月を迎える。

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2016年22作目の映画館での観賞。
地元には上映館がなかったので、出張の際に東京(というかテアトル新宿)で観てきました。
金曜日の夕方からの回で、通常料金。なんと満席、立ち見の人もたくさんいました。
少ない上映館で大健闘しているというのは聞いていましたが、公開からもう1ヵ月くらいになるのに、こんなに人気があるとは。
僕が普段行っている地方都市のシネコンでは、こんなに席が埋まっているのを見たことがありません。
映画館で立ち見の観客をみたのは、『タイタニック』が最初に公開されたときくらいしか記憶にない……


 と、まさに大評判の『この世界の片隅に』なのですが、あまりに期待値が上がりすぎていたこともあって、序盤は「なんだかみんな頭が大きいな……」とか考えながら、やや引いた気分で観ていたんですよね。
 すずさんの想像なのだか現実なのだかわからないような場面が多かったのも、僕にはちょっと消化不良な感じだったし。
 でも、観ているうちに、広島に10歳くらいまで住んでいた僕は、「これが、僕の親の親、祖父母の世代が生きていた時代なんだなあ」と、この「少し前の日本の地方都市の人々の暮らし」に引き込まれていったのです。
 暑い夏の日、畳の上にごろんと横になって、うたたねする兄弟たち。
 そうそう、僕が子どもの頃にも、家にはクーラーなんて無いのが当たり前で、暑い日はこんなふうにみんなで仲良くぐったりしていたなあ、とか思い出すのです。
 もちろん、僕が子どもの頃、1970年代の終わりから1980年代とは違うところもたくさんあるのだけれど(テレビも無いですしね)。
 そして、「ああ、僕は自分が子どもの頃、実際にどんなふうに暮らしていたのかを、あきれるほど覚えていないなあ」と思い知らされたんですよね。
 人は、大きな事件とか、人生でもインパクトのある出来事は記憶しているけれど、「ふだんの生活」については記録も記憶もしていないのです。
 ふだん、どんなものを食べて、どんなことに笑ったり、怒ったりしていたのか。


 『この世界の片隅に』は、そういう「あたりまえすぎて、忘れられてしまった」あるいは「覚える必要がないと切り捨てられていた」当時の「日常」を丁寧にすくいあげているのです。
 戦場にいるわけではなく、身内が指導者だったわけでもない人々は、あの時代を、どう生きてきたのか?


 僕たちが「不幸な時代だった」と認識している太平洋戦争のちょっと前には、地方都市でも、アイスクリームにウエハースを乗せたデザートを新しいもの好きの人たちが食べていて、「自立しようという女性」も出てきていたのです。
 配給と窮乏と飢えの時代、「楠公飯」(楠木正成さんにとっては「風評被害」みたいなものだとも思うけど)は、あの時期に突然現れたものではなくて、そんな「楽しい時代」と地続きだったのです。
 それを体験してきた人たちにとっては、「何かがおかしい、なんでこうなってしまったのか?」と思っているうちに、いつのまにか、世界が変わってしまった。
 戦後の食糧難の時代を生きた人たちは、バブル経済の世の中なんて想像もつかなかっただろうし、バブルの時代には、その後の「長期低迷期」なんて考えたくもなかったはず。
 いまの時代のちょっと先に「戦争や飢えの時代」が来る可能性だってあるのです。


 「当時の人たちは、みんな内心では戦争を嫌っていた」とか、「戦争が早く終わってくれないかと願っていた」というけれど、『この世界の片隅に』を観ていると、「そういうふうに、物事を俯瞰していた人は実際にはほとんどいなかったのではないか」という気がしてきます。
 戦場に送られた人以外にとっては、今日の配給の内容に一喜一憂し、空襲警報で防空壕にすぐに入ることに注意し、家族が無事でいることを願いつつ日常をおくるのに精一杯で、「戦争」というのは、なんだか日常のなかでドラマを演じさせられているようなものだったのかもしれません。


 戦争にあまり興味がなかった人でも、そのなかで、自分が何か(家族であるとか健康であるとか財産であるとか)を失ってしまうと、どんどん「敵国」への憎しみがつのっていく。
 「自分はこんなに大きなものを失ったのだから、取り返すか、すべてがぶっ壊れてリセットされてしまうまで、もう、この戦いをやめるわけにはいかない」という思いにとらわれてしまうのです。
 僕には、「おおらか」というか「ちょっと鈍い、戦争にもあまり熱意がなさそうな」すずさんが終戦の玉音放送を聴いたあとにとった行動が、意外でした。
 すずさんのような人が、ああいうふうにせずにはいられなくなってしまうのが「戦争」なんだよね。
 その一方で、人はどんなに絶望しても美味しいものを食べると少し元気が出るし、困っている人をみれば、助けてあげたい、と思う。
 もちろん、自分が生き延びるために、他人の隙や好意につけこもう、という人もいるのだけれど。


『アフリカ―資本主義最後のフロンティア』という新書のなかに、こんな話が出てきます。
ルワンダという国は、1994年に起きた「ルワンダ大虐殺」で世界に知られることになりました。
人口の8割以上を占める多数派のフツ族と1割ほどの少数派ツチ族
1994年に政権を握ったフツ族の強硬派が、ラジオなどで人々を扇動したことで、2つの民族の対立が激化し、100日間で80万人以上の人々が犠牲になったと言われています(「今も死者の数は正確にはわからない」ということです)。
ところが、このルワンダは、近年、「アフリカの奇跡」と呼ばれる、めざましい復興をとげているのです。


ツチ族でありながら、フツ族の農民と共同で、コーヒー農園を開こうとしているピエールさんが、この本のなかで紹介されています。

「ちょっと見せたいものがあるんです」
 フツ族の村に行く途中、ピエール氏はある小さな丘で車を止めた」
「ここは私の母親が住んでいた村です。ちょっと一緒に歩きませんか」
 丘の稜線を歩くこと10分ほど。こんもりと木が茂った一角があった。母親が住んでいた家の跡だった。近づいてみると、レンガ造りの壁がわずかに残っているだけ。大虐殺の際、隣人のフツ族によって破壊され、何もかも略奪されていた。
 私は思い切ってピエール氏に疑問をぶつけた。あなたは、母親の命を奪った相手をなぜ赦すことができるのか? 怒りや戸惑いはないのか?
「もちろん最初は赦すことなんてできませんでした。フツ族の人間とすれ違うだけで、言いようのない怒りがこみあげてきて、自分を抑えることができませんでした」
 ピエール氏は胸に手をあてて自分に言い聞かせるように言葉を続けた。
「しかし、怒りに我を忘れそうになったときに、母親がいつも私に言い聞かせていた言葉を思い出したのです。それは『ツチ族フツ族も同じルワンダ人なんだ。必ずともに生きていける時代が来る』という言葉です。私は母が遺してくれたその言葉を今も信じているのです」
 ツチ族フツ族も同じルワンダ人――。ピエールの母親が残した言葉。それは実は歴史的にも、科学的にも正しい考え方だ。もともと2つの民族は同じ言葉を話し、同じ文化を共有し、その境界線はあいまいだった。民族を超えた結婚も盛んに行われていた。


(中略)


 そうした中、フツ、ツチという2つのグループを民族として峻別し、優劣をつけたのがベルギーによる植民地支配だった。
 そもそもベルギーはなぜツチ族を優遇したのか? その理由は実にあきれたものだった。ツチ族には比較的背が高くて鼻筋が通った人が多く、欧米人に似ている。だから優れた民族だというのだ。
 当時、ヨーロッパでは、ナチスによるユダヤ人差別の理論的な支柱となった優生思想が流行していた。民族には優劣がある、そして欧米人がその頂点に立つ、という誤った思想だ。最終的にホロコーストに行き着いたこの思想がアフリカの地に伝わって、2つの民族を分断し、後の大虐殺を生みだすことにつながったのだ。


 対立の中、「同じルワンダ人」の共存共栄を信じていた、ピエールさんのお母さん。
 憎しみの連鎖のなか、こんな素晴らしい人がいたのだ、ということ、そして、その志を受け継いで、憎しみの連鎖を超えようとしている息子さんがいるということに、涙が出てきました。
 でも、考えてみてください。
 裏を返せば、「ピエールさんのお母さんのような『ルワンダ人の未来』を信じていた人がいたにもかかわらず、あの大虐殺は起こってしまった」のです。
 人は本当に弱いものだし、ひとりの人間の「善意」なんて、圧倒的な暴力の前では無力です。
 日頃は「共存共栄」を求めていた人でも、虐殺がはじまったら、武器をとらずにはいられなくなっていた。
 植民地時代に外国人が「自分たちに少しは似ているかどうか」ではじめた、バカバカしい「差別」でさえ、こんな悲劇につながってしまう。


 人間というのは、「差別したい生き物」であり、「本質的には、争いを好む」のではないか。
 そして、一度、誰かや何かが犠牲になり、「憎しみの連鎖」がはじまってしまうと、そこから抜け出すことは、とても難しいことなのではないか。


 原爆は、大勢の非戦闘員を犠牲にした「大量破壊兵器」であり、戦争犯罪だと「戦後の広島に住んでいた子ども」である僕は思っています。
 しかしながら、もしあの原爆という「圧倒的な力の差を見せつけられ、絶望させられる兵器」がなければ、もっと多くの人が犠牲になっていたかもしれません。
 その犠牲者のなかには、僕のルーツとなった祖父や父親も含まれていた可能性もあります。


 だから、原爆は正しい、なんて言いたくはないし、そう言うつもりもない。
 ただ、あの戦争を終わらせたのは「良心」ではなくて、「絶望的な戦況と敗北感」だったのは事実です。


 『この世界の片隅に』で描かれているのは、「自分の日常生活を誠実におくっている人々」なのです。
 彼らには、「反戦」なんていうイデオロギーはないし、戦争が終われば、美味しいものを食べて笑顔になることだってできた。
 それは悪いことではなくて、そうやって生きていけることが市井の人々の「強さ」でもある。
 でも、亡くなった人々、そして、戦争が終わっても苦しみ、失われようとしている人々は、戦争が終わっても、それで解放されるわけではない。


 それでも、僕はすずさん夫婦が廃墟の街でみつけたひとつの「未来」みたいなものに、映画館の中で目を伏せ、隣の人に涙を見られないようにせずにはいられなくなったのです。
 それは「平和な時代の人間の感傷」でしかないのだと思う。
 それでも、そうやって、僕の親たちは生きてきた。
 そして、僕や僕の子どもがいま、ここにいる。


 なんだかもう、映画の感想ではなくなってきているのですが、原作で驚かされた「ある秘密」に、この映画のなかでは、一切触れられていませんでした。
 その「ある秘密」を知って、僕は、こうの史代さんの「覚悟」に圧倒されてしまったのです。
 率直なところ、その秘密というか種明かしみたいなものがない『この世界の片隅に』は、原作と同じ作品と言っていいのだろうか、とも思うのです。


 話題になっている「のん」さんの声優としての演技も、「上手い下手というより、すずというキャラクターと『あまちゃん』などの『のん』さんのイメージに重なる部分があったから伝わりやすかった」だけだと思う。
 ただし、そういうふうに「役柄のイメージに合っている」というのは技術云々よりも、ずっと作品にとっては大事なことなのです。


 僕は、この映画を「絶賛」できなかった。
 でも、ものすごく心を揺さぶられました。
 一人でも多くの人に、いま、観ておいていただきたい作品です。


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のん、呉へ。 2泊3日の旅

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