琥珀色の戯言

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【読書感想】たゆたえども沈まず ☆☆☆☆

たゆたえども沈まず

たゆたえども沈まず


Kindle版もあります。

内容紹介
誰も知らない、ゴッホの真実。


天才画家フィンセント・ファン・ゴッホと、商才溢れる日本人画商・林忠正
二人の出会いが、〈世界を変える一枚〉を生んだ。


1886年、栄華を極めたパリの美術界に、流暢なフランス語で浮世絵を売りさばく一人の日本人がいた。彼の名は、林忠正。その頃、売れない画家のフィンセント・ファン・ゴッホは、放浪の末、パリにいる画商の弟・テオの家に転がり込んでいた。兄の才能を信じ献身的に支え続けるテオ。そんな二人の前に忠正が現れ、大きく運命が動き出すーー。『楽園のカンヴァス』『暗幕のゲルニカ』の著者による
アート小説の最高傑作、誕生!


 原田マハさんのアート小説、大好きなんですよ。
 遠い存在だった画家が、「ああ、こういう人だったのか」と肉付けされていくような感じがします。
 その一方で、一連の作品が実在の人物をモチーフにしているだけに、「これは、どこまで事実で、どこからが原田さんの創作なのか?」というのが気になってしまうところもあるんですよね。
 この『たゆたえど沈まず』は、フィンセント・ファン・ゴッホと彼を経済的・精神的に支え続けた弟のテオ、そして、当時のパリで浮世絵などの日本美術を商っていた林忠正とその右腕であり、テオの友人ともなった加納重吉という4人の人物を中心に描かれているのです。
 パリは芸術の街ではあるのですが、そのパリでさえ、新しい作品に対して必ずしも好意的な評価ばかりではなく、印象派という呼び名も「なんかぼんやりとした絵を画家のイメージで描いている連中」という悪口から生まれたものでした。
 新しい時代の画家としての才能を持っていながら、精神的に不安定で、居場所を見つけることができなかったフィンセント・ファン・ゴッホ
 彼を生涯支え続けたのは、画商として勤勉に働きつづけた、弟のテオであることはよく知られています。
 ゴッホとテオは頻繁に手紙でやりとりをしており、それによって、ゴッホの人となりがわかるというのも、この画家の物語が多くつくられていることの理由のひとつなんですよね。
 ゴッホをはじめとする印象派の面々が、当時のフランスで大流行していた浮世絵などの日本の絵画に強く影響を受けたことはよく知られていますし、ゴッホが浮世絵を模写したものも残されています。
 日本人に「ゴッホ贔屓」が多いのも、日本美術との繋がりを感じるからではないか、と原田さんはインタビューで仰っていました。
 

 この小説を読んでいると、ゴッホという画家が生きているうちはほとんど評価されなかったにもかかわらず(存命中に売れた絵は1枚だけだったそうです)、後世になって評価されるようになった理由がわかるのと同時に、それが可能だったのは、ゴッホの絵がテオとその妻という、良き理解者に恵まれていたことが大きかったのだ、ということをあらためて感じます。
 テオは画商でありながら、自分の兄の絵を積極的に売りさばくことはなかったのですが(当時、テオが勤務していた画商のオーナーは、印象派のような「どこの馬の骨だかわからない画家の作品」を軽視していた、という事情もあり)、送られてきた兄の絵をきちんと保存、分類していたそうです。
 図書館の本などもそうなのですが、作品そのものがあっても、それが整理・分類されているかどうかで、価値や利便性は大きく変わってくるのです。
 テオは画商としてそのことを理解していて、リアルタイムでは売れなかった兄の絵を丁重に扱っていたんですね。
 この相続したゴッホの作品、今持っていたら、超大金持ちだよなあ、なんて俗なことを考えてしまいました。
 代表作は、1枚で何十億、だからなあ。
 日本でも『名探偵コナン』に採りあげられるくらい、老若男女に知られた存在でもありますし。


 加納重吉という人物は、原田マハさんが創作した存在で、僕はそれを知ったとき、「この小説に、そんな『噓』が必要なんだろうか?」って思ったんですよ。
 ただ、画家としての才能はとんでもなくあるはずなのに、なかなかそれを発揮できず、実社会のなかでは、ほとんど厄介者でしかなかったフィンセントを支え続けた弟・テオと、日本では包装紙に使われていて、ほとんど美術品としては評価されていなかった浮世絵をフランスで紹介し、多くの画家たちに影響を与えながらも、のちに日本国内では「日本の至宝を外国に流出させて金儲けをした」という批判にさらされた林忠正という人に「寄り添う存在」をフィクションの中だけでもつくってあげたかったのではないか、とも思うんですよね。
 ちなみに、フィンセントと林忠正の直接の交流の記録は史実には残っていないそうです。
 ふたりの生きた時代と場所を考えると、なんらかの形で「接点」はあったのかもしれませんが。


 アートは、アーティストだけがいれば成り立つものではない。
 そんなことをあらためて思い出させてくれる小説であり、いま、ゴッホの作品を見ることができるのは、ものすごく幸運なことなのだ、と感じます。
 

 正直なところ、こういう「歴史上の人物に架空の人を加えて創作された物語」に対して、僕は身構えてしまうところもあるんですよね。所詮、フィクションじゃないか、って。
 最初から「これは作家が創った小説です」ってアナウンスされていれば、割り切って読むことができるのだけれど。
 そんなことをいいはじめたら、歴史小説とか読めないだろう、と自分でも思うのですが、どうも、僕の場合は、日本でいうと「明治維新以後」くらいになると、史料もそれなりに残っているだけに、引っかかることが多くなります。


 これ、本当に素晴らしい小説なんですよ。それは間違いない。
 原田マハさんのアート小説を読んだことがない人には、最初に読む一冊として、ぜひおすすめしたい。
 表紙のゴッホの『星月夜』は、僕も死ぬまでに一度は本物を見てみたいのですが、「タイトルが邪魔で、絵が隠れてるじゃないか!」とか思ってしまいました。


 この小説を読んでいて、ノルウェーオスロ美術館の片隅で展示されていた、雛人形のことを思い出していたのです。
 日本では、どこにでもあるような、くすんだ雛人形
 それが100年くらい前に、はるばる海を渡って北欧に運ばれてきたら、「美術品」になって、立派な美術館に飾られている。これを観たヨーロッパの人たちは「日本にはこんなものがあるのか」と感心し、丁重に扱ったのでしょうね。
 その雛人形を、日本からやってきた僕が、こうして、ノルウェーオスロで観ている。
 それはすごいことではあるのだけれど、「異国での再会」の感慨とともに、その雛人形は、なんだかとても所在無さげにも見えたことも覚えています。


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楽園のカンヴァス(新潮文庫)

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