琥珀色の戯言

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【読書感想】カルピスをつくった男 三島海雲 ☆☆☆☆☆

カルピスをつくった男 三島海雲

カルピスをつくった男 三島海雲


Kindle版もあります。

カルピスをつくった男 三島海雲

カルピスをつくった男 三島海雲

内容(「BOOK」データベースより)
男の名は三島海雲。一八七八年に貧乏寺の長男として生まれ、一九〇二年、日本語教師として中国大陸に渡った。その後、北京で雑貨を売買する行商会社を立ち上げ、モンゴル高原を行き来する。ある日、遊牧民から乳製品を振る舞われた。未知なる味に心が躍る。その感動は海を渡り、一九一九年、日本初の乳酸菌飲料カルピスが誕生することになる。


 僕が物心ついたころから、冷蔵庫に1本あると嬉しかったカルピス。カルピスの濃さが、その家の豊かさ、というイメージがあって、「もっと濃いやつを飲みたいなあ」といつも思っていたのです。カルピスって、薄めにつくると酸味が際立って、それはそれで爽やかに感じるものではあるのですが。
 

 2007年のカルピス社の調査では、日本人の約99.7%がカルピスと飲んだ経験があったそうです。ここまで圧倒的な数字を見せられると、残りの0.3%、人生で一度もカルピスを口にしたことがない人というのは、どんな人なのだろう?という興味もわいてきます。


 著者は、この本を書くきっかけのひとつとして、こんな話をしています。

 カルピスと戦争にまつわる忘れられない映画がある。
 1988(昭和62)年、私は母に連れられて山形市の映画館で『火垂るの墓』を観た。
 砂浜で遊ぶ兄妹に在りし日の母が声をかける。
「清太さん、せっちゃん、おいで! お腹空いたやろ。カルピスも冷えてるよ」
 主人公の清太と節子が平和だった時代を回想するシーンの「カルピスも冷えてるよ」の一言に、11歳の私は思った。カルピスは50年以上前からあって、戦時中に同世代の子どもたちが飲んでいたのか、と。
 カルピスが、半世紀の歳月を一瞬で縮めた。自然に感情が移り、物語に入り込んでいった。
 あの体験がなければ、カルピスの歴史に特別な興味を抱くことも、ましてやルーツを追おうなんて考えもしなかっただろう。


 僕も、「カルピスって、あの時代にもあったのか」と驚いた記憶があるのです。
 「カルピスが冷えている」というだけで、家族の団らんの様子が、頭に浮かんでくるんですよね。

 カルピスが発売されたのは、1919年の7月7日。もうすぐ100年を迎えることになります。
 そのカルピスの生みの親である、三島海雲さんの生きざまを関係者の証言や文献、内モンゴルへの取材などを通して描いたのが、この本なのです。
 貧乏な寺に生まれ、一度は僧侶として寺を継ごういたものの、狭い世界にいるよりも、中国大陸で「一旗揚げる」ことを目指した三島海雲さんの生涯は、日中戦争から太平洋戦争という時代背景もあって、記録に残っていないものも多かったようです。
 三島さんは1970年にカルピスの社長から降り、1974年に96歳で亡くなられているのですが、没後40年以上経っていることもあり、三島さんを直接、あるいは間接的にでも知る人たちへの取材はかなり大変なものでした。それでも、「できるだけその実像に近づく」ことに妥協しない著者の姿勢には、「ああ、これぞまさに『ノンフィクション』だな」と脱帽せずにはいられませんでした。
 著者は、この本の最後に「なんとか間に合ったのではないか」と書いておられます。
 この「なんとか間に合った」という述懐は、この本を読んだ多くの人が共有できるのではないでしょうか。


 三島さんは、もともと体が弱く、だからこそ「どうやったら健康になれるのか」を意識しつづけていたのです。
 僧侶として生きることに収まり切れず、英語教師として勤めていた頃のエピソード。

 しかし開導中学での生活はたった1年で終わる。人に教える難しさを痛感し、自分の力を試そうと英語の検定試験を受けるために上京したからだ。神田の英語学校に通いはじめた三島だったが、体調を崩して半年ほどで帰郷を余儀なくされる。彼が患らっていたのは胃拡張と脚気だった。


 療養中、三島は自己流で病気を治そうとする。夕食の四時間後に口から胃にゴム管を挿入して胃を洗浄するという自己療法である。なぜそのような療法を試したのか分からないが、三ヵ月も続けたらしい。だが、期待に反して体力がどんどん落ちていく。
 英語力を磨こうと教師をやめて上京した矢先である。後述するが、文学寮時代の仲間たちは大陸に旅立つ準備に入っていた。これから自分はどうなるのか。三島は焦燥感を覚えていた。若さゆえの焦りである。心配した母が滋養に富んだ卵の黒焼きを持ってきても「そんなもの……」と口にしなかった。焦りが極端な自己療法に走らせたのかもしれない。
 しかも彼は医師に長く生きられないと言われるほど病弱な子どもた。死を意識したとしても不思議ではない状況である。ふるさとで三島は、焦りと不安にさいなまれていた。
 大阪市立病院で診察を受けた三島は「自己療法をやめなさい」と忠告される。胃洗浄で消化途中の栄養分をすべて洗い流していたのだ。それではやせ衰える一方である。病院を出た三島はその足ですき焼き屋に駆け込んだ。栄養を取りはじめると、22歳の若者らしく体力が見る見る回復していった。

セルフ胃洗浄なんて、よくやるよなあ……としか言いようがないのですが、こういう過剰なまでの探求心と自分の信じたことに突っ走るエネルギーを持った人だったのです。
 一旗揚げようと渡った中国での商売はうまくいったりいかなかったり、という感じではあったのですが、三島さんは真面目で正直な人柄で、多くの人に好感を持たれていました。


 軍馬の買い付けや羊の品種改良のために訪れた内モンゴルで、三島さんは、カルピスの原型に出会ったのではないか、と著者は推測しています。
 著者は、自身も内モンゴルを訪れ、現地で草原の風を体験しながら、当時、三島海雲が食べたものと同じであろうモンゴルの乳製品を口にしています。

 1909(明治42)年3月30日と31日の二日にわたり、朝日新聞に<蒙古の現状>という記事が掲載された。さらに二週間後の4月13日と14日には<蒙古の珍産物>というインタビューが載る。おそらくモンゴルの乳製品について書かれた本邦初の新聞記事だ。インタビューを受けた三島は<牛酪><乳豆腐><乳餅>などの乳製品を含めた6種類のモンゴル遊牧民独自の食品を紹介している。
 いま、目の前に三島が語った<牛酪><乳豆腐>が並んでいた。
 三島は<牛酪>を遊牧民にとってもっとも神聖なものだと語る。モンゴル語でシャルトス。卵の黄身のような色で寒天のように固まっているバターだ。チーズに似た正方形の一口大に切られたホロートが<乳豆腐>。
 テーブルにはさらに二種類の乳製品がある。モンゴル語で白い油を意味する穀物を混ぜたバター状のチャガントスと、純白で生クリームかヨーグルトのようなジョウヒである。
 三島はそれらを毎日食べていたら胃の具合がよくなり、便通も調子よくなったと話して、そんな自分の実体験から<酸乳を信用するに至った理由である>と結ぶ。


(中略)


 三島は、『実業之日本』ではじめて食べた乳製品に砂糖を混ぜたと語っている。三島がはじめて食べた乳製品はジョウヒだった可能性が高い。これが日本人なら知らない人はいない「初恋の味」の原点となったのである。


 ちなみに、「カルピス」は、このジョウヒに強く影響を受けてはいるものの、その後、三島海雲が日本に帰ってきたあとに、専門家と研究して完成させたものであり、「ジョウヒそのもの」ではないそうです。
 日本にやってきたモンゴルの人たちにとっても、カルピスは、「故郷の味を思い出させてくれるもの」なのだそうですが。


 著者は、モンゴルを実際に訪れてみて、遊牧民の生活も近年は変わってきていることも体験しています。


 1919年に生まれたカルピスは、日本の発展とともに、順調に売り上げを伸ばしていきます。
 関東大震災の際には、被災した人たちにカルピスが無償で配られたこともあったそうです。
 「売名ではないか」という人もいましたが、三島海雲は「困っている人を助けるのは当たり前のことで、商売というのは国民を幸せにするためにある」とつねに言っていたのです。

 日中戦争から太平洋戦争の期間、原材料が入手しづらくなったことで、商売は傾きますが、戦後の高度成長に伴って、カルピスは甦っていきます。

 その後も、一時的に経営権を失ったものの、三島海雲は「商売っ気のない経営者」として、カルピスのトップであり続けたのです。
 亡くなる前には、学術を支援する「三島海雲記念財団」を設立し、全財産を寄付しました。

 その一方で、家族に対しては、独善的・支配的な家長という面をみせていて、長男とはあまりうまくいっていなかったことも書かれています。


 三島海雲という人は、我が道を突き進むことで成功をおさめた偉大な経営者であるのと同時に、そういう生き方というのは、身近な人にとっては、いろいろと大変なこともあるのだろうな、と考えさせられるノンフィクションでもあるんですよね。

 甘くておいしいけれど、後味は、少し酸っぱい。
 読み終えて、カルピスを思い出しました。


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