あらすじ
妻のヘレンや娘のヴァイオレットら家族と、ごく普通の生活を送っていたMr.インクレディブルことボブ。だが、あることをきっかけに、ボブと同じ驚異的なパワーを持つヘレンが正義のヒロイン、イラスティガールとして再び活躍するようになる。そこでボブは、彼女に代わって家事や生まれて間もない息子ジャック・ジャックの世話をする。
2018年、映画館での26作目。
平日・夕方の回で、観客は20人くらいでした。
8月1日の公開初日から、前作を復習してから観よう、ということで(なにせ、前作は14年前ですからね)、先送りにしていたのですが、ようやく観ることができた、という感じです。ちなみに、前作は今観てもけっこう面白かったのですが、なんで14年間も続編がつくられなかったのだろうか……もしかしたら、前作のおさまりがよすぎたのかもしれません。
この映画、観れば面白いであろうことはわかっていたのだけれど、なんというか、最近のディズニー/ピクサーの「政治的にも正しいエンターテインメント映画」に、ちょっと疲れてきてもいたのです。
『ズートピア』とか、『シング』とかの「多様性って、大事だよ」というのは、たしかにその通りなのだけれど、「アニメーションは子どもも観るものだから、多様性を重視し、男尊女卑になってはいけない」という「教育・啓蒙っぽさ」を感じずにはいられないところがあるんですよ。
この夏の映画でいえば、『ジュラシック・ワールド』や『ミッション・インポッシブル』みたいな、「とにかく観客を楽しませてやろう」というような割り切りかたが、今のアメリカのアニメ映画ではできなくなっているのではなかろうか。
「できない」じゃなくて、「やらない」だけなのかもしれませんが。
最初に上映された、短編の『PAO』という肉まんを擬人化した映画が、「食べ物を擬人化されるのが激烈に苦手」な僕としては、トラウマになりそうな内容だったのです。あんなのみせられたら、肉まんを食べることに慎重になるよね。個人的には、「モーたまらんうまさ」とか牛の口から言葉が書かれている焼肉屋の看板とか、見るといたたまれなくなります。
どうしても、「食われる側」の感情を想像してしまうのだよなあ。
『インクレディブル・ファミリー』に戻りますが、観てみると、やっぱり良い映画ではありました。
今回は、イラステッド・ガールが主役っぽい感じだったのです。
パワー頼みのMr.インクレディブルや凍らせるだけのフロズンに比べると、バーバパパ的な動きの面白さがあるイラスティ・ガールのほうがアニメとして映えるのは事実でしょうし、基本的に「アニメとしての表現の面白さ」にこだわっている映画でもあるのです。
家族それぞれに見せ場もあるのですが、総じていえば、「男はみんなバカ」ってことなのだろうなあ。
赤ちゃんのジャック・ジャックのスーパー・パワーがどの場面で活きるのか、と思っていたのですが、「親を困らせるのに役立つ(?)」という潔さはさすがです。
まあ、親にとって、子ども、とくに赤ん坊というのは、多かれ少なかれ、ジャック・ジャックみたいなものだよねえ。さすがにレーザーとかは出さないけど(出されたら困りすぎる!)
僕は、スーパーヒーローとしてのプライドと家庭の板挟みになり、家事・育児に疲れ果ててしまうMr.インクレディブルに感情移入しまくりでした。
子どもたちにはソッポを向かれ、洗濯をすれば白い服をピンクに染めてしまい、寝不足でボロボロになりながら、よき父親であろうとするボブを、僕は心の中で、ものすごく応援していたのです。
男が外でしっかり働いていれば許される時代ではなくなったのは、スーパーヒーローだけではないのです。
スーパーパワーで親を喜ばせたり辟易させたりするのは、スーパーヒーローの赤ん坊だけではないのと同じように。
それにしても、なぜ僕は、『インクレディブル・ファミリー』は許せて、『未来のミライ』は不快なのか。
たぶん、『未来のミライ』は、当たり前のことを、当たり前に描こうとして、「どうしてあなたはそれができないの?」と責められているような気分になるんですよね。
『インクレディブル・ファミリー』は、「いやでもこの人たちは、スーパーヒーローだから」という別世界感とともに、「うまく時代に適応できない男たち」の悲哀も伝わってくるし、「できないことも含めて、助け合おうよ」という、良い意味でのおおらかさがある。というか、深刻な家族の問題になりそうなタイミングでいつも敵に襲われて、都合よくうやむやになってしまうだけなのかな。
前作が2004年ということを考えると、なぜこんなに続編までに時間がかかってしまったのだろう、とは思うんですよ。
前作はかなり評判が良かったし、できあがったものをみていると、それこそ、家族それぞれを主人公にして、テレビで毎週放映するような作品にだってできそうな感じもするのに。
家族というものを、いまの時代にバランスよく、どこからもクレームが出ないように描くのは、ディズニー/ピクサーであっても、簡単なことではない、ということなのかもしれません。
綾瀬はるかさん、前作はヴァイオレットの年齢と近かったのに、今回はすっかり大人になってしまいました。声はあまり変わっていないように感じるのですが。
この映画って、日本語吹替えをやっている人たちが、声優としての技術が高いわけではない、というのが、かえって良い味を出しているんですよね。
完璧すぎて物足りないほど、完璧なファミリー向けエンターテインメント映画でした。
そして、屈辱でも、戦わないほうがリスクが少ない場合って、少なからずありますよね。そういうときの処世について、考えさせられました。
育児や家事も、母親という「スーパーヒーロー」頼みでは許されない時代ですし。
あと、この映画の音楽はすごく好きでした。
ちゃんと、Mr.インクレディブル、イラスティガール、フロゾンのテーマ曲がつくられているんですよ。それも「いかにも!」って感じの曲が。
昔のスーパーヒーローものって、現代では「政治的に正しくない」のかもしれないけれど、僕はやっぱり好きだなあ。
もしかしたら、僕のような時代に適応できないドリーマーオッサンの「生きづらさ」こそが、この映画の裏テーマなのかもしれません。
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