琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「ドルアーガの塔」と「坊っちゃん」

ドルアーガの塔」はクソゲーだったのか?
http://d.hatena.ne.jp/ryoko_komachi/20050914/1126715287

参考リンク「ドルアーガの塔」(ゲームミュージアム by いやしのつえ)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~iyatsue/doru.htm

 ちょうど「坊っちゃん」の話ともリンクしてくるわけなのですが、正直、今はじめてこの「ドルアーガの塔」で遊んだら、「なんだこのクソゲーは!」と怒り心頭だと思うんですよ僕の場合は。グラフィックやサウンド(いや、サウンドは今でも素晴らしいと僕は思うけど)はさておき、そもそも、「ドルアーガ」って、あまりにも難しいし、「イヤガラセかよ!」と言いたくなるような宝箱の出し方も、けっして少なくないんですよね。まあ、当時の大部分のプレイヤーは、「攻略本を読みながら」プレイしていたんですが、実際は攻略本を読んでいて、宝箱の出し方がわかっていたとしても、それをなかなか実行できないくらい難しい面もけっこうあるし。でも、当時リアルタイムであのゲームを遊んでいた僕たちにとっては、ああいう「ロールプレイングっぽい雰囲気」とか、本当にギルの足が速くなったり、剣を出すスピードが速くなったりといった、「強くなっていることが体感できるアクションRPG」という点で、非常に大きな魅力があったのです。結局、このアクションRPGというジャンルは、「ハイドライド」「ザナドゥ」という2大巨頭を生み出しましたが、今は「ゼルダの伝説」シリーズのひとり勝ち、になってしまいましたが。
 「ドルアーガの塔」というのはまさに「過渡期の名作」なんですよね。あの時代のゲーマーであった僕たちは、単に襲ってくる敵を撃破するというアクションゲームから、自分が成長したり、物語を伴っているアクションRPGという新しい世代のゲームへの希望を「ドルアーガ」に見出していたわけです。だからたぶん、「ドルアーガ」への思い入れっていうのは、あのゲームそのものへの思い入れだけではないのです。

 そういう意味では、「坊っちゃん」を今読んでも「これが歴史的名作なのか…」という興味以外に面白くもなんともないのは、「坊っちゃん」というのは、たぶん、日本の娯楽小説における「ドルアーガの塔」だったからではないかと思うのです。「坊っちゃん」には大きな歴史的意義はあるし、リアルタイムで読んだ人にとっては、面白い小説ではあったに違いありません。でもまあ、今はじめて読んでも、あんまり面白くはない。
 ゲームでも、「スーパーマリオ」のような「完成した名作」は、時間が経ってもやっぱり面白いものが多いのです。漱石でも「こころ」とか「それから」なんていうのは、今読んでもけっこう面白いしね。ただ、「過渡期の名作」には、リアルタイムでしか体験できない喜びがあるのも事実です。
 しかし、そう考えてみると、最近のゲームには、そういう「可能性の喜び」を与えてくれるものがほとんど無くなってしまったような気がするんですよね。それは、ゲームという娯楽にとっての「袋小路」なのか、単に僕の感性が鈍ってしまっただけなのか、なんともいえないところではあるのですけど。

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